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発達理論が今注目される理由-1 悟りと発達

こんにちは。

さて、発達理論のそもそもの話の次は
昨今の発達理論の世界での扱いと功罪のお話に入ってきます。

そもそも、なぜ発達理論は今注目されているのでしょうか?
※界隈では


メタ的な視点

成人発達理論やインテグラル理論には、メタ的・包括的な特性があるとのこと。それは僕自身も非常に感じることです。

メタ的とは

メタ(meta-、 古希: μετὰ-) とは、「超越した」「高次の」という意味の接頭辞で、ある学問や視点の外側にたって見る事を意味する。-引用Wikipedia

メタとは、一歩引いて対象を俯瞰的に捉えること。
レースゲームで、ドライバーの視点のゲームと車全体が見えている視点のゲームがありますが、その違い。FPSとTPS。

つまり、今までその人が学んで来た成長や発達や支援に関することを、一歩引いて全体像から見ることができるということ。

発達理論によって、今まで学んできた(特に対人支援に関する)色んな理論やスキルの整理ができるということ。

ここが発達理論の1つの注目ポイントになるのだと。

段階モデル

スポーツ、パソコン、家事、営業、コミュニケーション、マネジメント。各々の特定のスキルの中で、昇級していく様にその段階が上がっていくことは誰もが理解し実感しています。

発達理論やインテグラル理論は、一歩引いたメタ的視点で段階を上がっていく、成長・発達を語ることができるフレームとして新しい可能性を我々に提示してくれます。


新自由主義・フラットランドの限界

そもそも、現代において我々はほとんどの部分を量的な価値基準で判断する規範性、認識に囚われています。

この数十年の新自由主義、フラットランド※な世界の中で、全てを量的な成果・結果・評価として処理することに、多くの人が違和感を抱えていたのではないでしょうか。

労働、格差、成果、家庭、幸福。
頑張っているけど、満たされない、ズレた感覚。
何か違うのではないか、自分の人生はこれでいいのか。
組織は、社会は、国家は。
(こういったテーマは発達に関わらず何度も書いてきたと思います)

そういった、漠然と持っていた違和感や感覚を、言葉にすることで考えやすくなり、理解しやすくなる。
言語的で思考として捉えることができるようになる。

発達理論は、違和感を持つ人達に刺さったのではないか。

※フラットランドについては、この記事が概略としては分かりやすい。[http://integraljapan.net/articles/2012_goto01.htm]


emancipationからの逆行

リーダー、コーチ、その他対人支援者にとって、クライアントの成長に寄与できているのか、というのは常に自己への問いになります。

前述の様な従来のスキルだけではクライアントに適切に寄り添うことが難しく、そういった人達にも発達理論は1つのツールとして注目されます。

ただ、改めて発達理論を学び実践する際の注意点として、発達理論を高い成果を得るための次世代のスキルとしてだけ捉えることは、非常に危険であり、発達理論本来の考え方から遠ざかります。

フラットランドの世界において、常に量的な成果を追求する人にとって、もう現代の様々なスキル(コーチング・マネジメント・組織論・タスク処理)は学び尽くされてしまったのではないか。
そういった人達が、次のスキルとして発達を捉えている人もいるのでは?と鈴木さんは語っていました。

この流れは、発達理論に逆行し、emancipationに逆行する。

正に経済合理性の世界に違和感を抱き、フラットランドの呪縛から解き放たれるために発達理論に出会った人達が、逆に経済合理性に縛り付けられることになる。これでは何が何やらわかりません。

しかし、非常にこういったケースは多いのではないか?と感じます。


智も無く、また得も無し

般若心経に「智もなく、また得もなし、無所得を以ての故に」という部分があります。

「およそ一切の万物は、すべて皆『空なる状態』にあるのだ。『五蘊』もない、『十二処』もない、『十八界』もない、『十二因縁』もない、『四諦』もないと、聞いてみれば、なるほど『一切は空だ』ということがわかる。しかも、その空なりと悟ることが、般若の智慧を体得したことだ、と思って、すぐに私どもは、その智慧に囚われてしまうのだ。しかし、元来そんな智慧というものも、もとよりあろうはずがないのだ。いや智慧ばかりではない。そういう体験さとりを得たならば、何かきっと『所得』がある、いやありがたい利益や功徳くどくでもあろうなどと、思う人があるかも知れぬが、それも結局はないのだ」というのが、「無レ智亦無レ得」ということです。                    引用:般若心経講義

悟りを得れば、幸せになれる。賢くなれる。素晴らしい人になれる。
そういった「所得」があるという考え方そのものが、悟りへの道から逸れるという話です。

僕は、発達にも同様の考え方が出来るのではないかと思います。
発達すればもっと稼げる、成功できる、幸せになれるというのは、中々発達から遠ざかっていくのではないかと思います。


失敗もアリなのでは

ただ、鈴木さんの書籍にも書かれているようにそもそも発達とは「古い自己が心理的に死んで、新たな自己が生まれる」ものです。
自分の限界、見えていた世界の狭さ、囚われに気付くこと。
それは、後に振り返ってみると自分を恥ずかしく感じる瞬間も多い。
(若い頃の自分の発言や行動を思い返し赤面することは誰もがあるでしょう)

そういった意味では、現在のフラットランドの世界観の中で、発達理論を誤った使い方をするというステップも存在しているのではないかと個人的には思います。
もちろん誤った使い方をした方がいいということではなく。

発達の過程は本当に複雑で、個性的で、長期間に渡ります。
強み診断士としては、その十人十色のパターンや可能性に可能な限り目を向けていきたいと思います。

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西村太嘉
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