「映画:チョコレートドーナツ」と「BlackLivesMatter」と「知的柔軟性」について
少し長いですが、是非読んでみてください。
チョコレードドーナツ
みなさんチョコレートドーナツ(原題: Any Day Now)という映画を観たことはありますでしょうか?
この記事は映画のネタバレを多少含みますので、是非観て下さい。
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ただ、ちょっと哀しい描写もありますので、心が凄くしんどい時には気をつけて下さい。
【あらすじ(公式サイトより)】
1979年、カリフォルニア。シンガーを夢見ながらもショーダンサーで日銭を稼ぐルディ。正義を信じながらも、ゲイであることを隠して生きる弁護士のポール。母の愛情を受けずに育ったダウン症の少年・マルコ。世界の片隅で3人は出会った。そして、ルディとポールは愛し合い、マルコとともに幸せな家庭を築き始める。ポールがルディのために購入した録音機でデモテープを作り、ナイトクラブへ送るルディ。学校の手続きをし、初めて友達とともに学ぶマルコ。夢は叶うかに見えた。しかし、幸福な時間は長くは続かなかった。ゲイであるがゆえに法と好奇の目にさらされ、ルディとポールはマルコと引き離されてしまう……。血はつながらなくても、法が許さなくても、奇跡的に出会い深い愛情で結ばれる3人。見返りを求めず、ただ愛する人を守るために奮闘する彼らの姿に我々は本物の愛を目撃する。
ここからは、観た人・ネタバレを気にしない人はどうぞ。
40年前のアメリカ
この映画は1979年のカリフォルニアが舞台なので、約40年前の設定です。
ゲイカップルとダウン症の少年が、様々な苦境や偏見の中を歩む話。
現在ほどLGBTについての情報や認知が広まっておらず、その為に多くの困難が彼らを襲います。ゲイであることは恥ずべきこと、隠すべきことである。
登場人物の多くは本質的に彼らを見ず、先入観や固定観念を持って接します。
現在の僕たちからすればかなり違和感を感じる対応や反応も、当時の人達にとっては当然の対応だったのかもしれません。
人間の愚かさ
この映画には不幸な結末が待っていますが、僕は誰かが「悪かった」とは思いません。
ただ、ただ、哀しいなと思います。
2020年6月の僕には、なんでもっと受け入れられないのか、理解しようとしないのか、話し合わないのか、と強く感じます。
狭い視野で物事を見ることに、なんとも言えない憤りを感じます。
ただ、恐らく僕も未来の人から(あるいは現代の人にも)すると「なんでそんな狭い視野で物事を見るんだ!」と憤られるのだろうと思います。
人間は、どうしても愚かで。
しかし、いつだってそこから学んだり発達したり、進んだり出来るのが人間です。
それが人間です。
僕は、その愚かな人間を愛しているので今の仕事をやっています。
チョコレートドーナツの原題のAny Day Nowは、ボブ・ディランの「I Shall Be Released(直訳すると俺は解放されるべきだ)」の歌詞から来ています。
劇中でもルディが歌っていますね。
我々は、いつの日にか、あるいはすぐにでも、この愚かさから解き放たれるのでしょうか。
BlackLivesMatter
2020年5月に、ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性のジョージ・フロイドさんが、白人警官に首を押さえつけられ死亡しました。
不当な暴力だと抗議活動がアメリカ中に広がり、現在でも暴徒化したデモ隊と警察との衝突が続いています。
SNS上にもその波は広がり「#BlackLivesMatter」というハッシュタグで様々が意見が投稿されています。
BlackLivesMatterとは?
ブラック・ライヴズ・マター(英: Black Lives Matter、通称「BLM」)は、アフリカ系アメリカ人のコミュニティに端を発した、黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える、国際的な積極行動主義の運動である。特に白人警官による無抵抗な黒人への暴力や殺害、人種による犯罪者に対する不平等な取り扱いへの不満を訴えている。(wikipediaより)
2013年に、今回の事件に類似した事件がありました。
フロリダ州で黒人少年のトレイボン・マーティンが白人警官のジョージ・ジマーマンに射殺された事件(トレイボン・マーティン射殺事件)
そして、各SNS上で#BlackLivesMatterというハッシュタグが拡散された。
翌年の2014年には、7月にニューヨークでエリック・ガーナーが白人警察官による過剰な暴力により死亡、8月にはミズーリ州ファーガソンでマイケル・ブラウンが白人警察官に射殺された。
そして2020年、上記の事件の動画がSNS上で拡散されたことで、大きなムーブメントとなっています。
アメリカの人種問題(黒人差別)は根深く、幅広い。
特にアフリカ系の方々は元々奴隷として連行されきたという歴史的背景もあわせてより複雑な立場を強いられてきました。
1862年に奴隷解放宣言がされて自由になった後も、人間の価値観や観念はすぐには変化せず、実態は平等とは言い難いものでした。
1955年にローザ・パークスがバスの席を譲らず、有名なキング牧師の演説が行われた後も、徐々に世界は変化し始めましたがこの問題は根深く残り続けています。
この大きく世の中が変化していっている中でこそ、人類が抱え続けている1つの課題に全員で目を向け、取り組んでいくタイミングなのかもしれません。
※1992年にロスで起きた人種差別に関する最大のデモ・暴動をまとめたナショジオの動画です。
ドキュメンタリーですが、映画の様な構成で気付いたら2時間経っています。是非御覧ください。
(暴力的な映像が少し入りますのでお気をつけください)
正しさの押し付けの危険性
ただ、こういった差別や偏見をテーマとして取り扱う時に気をつけてほしいのは。
自分の方が正しいという考えや思い込みを持っていないかと。
迫害され、虐げられ、傷つけられた人達は、立ち上がる時に復讐心を強く持つかもしれません。
あるいはそういった人達を知って、見て、義憤にかられる人もいるかもしれません。
ただ、正義を振りかざし、自らの意見や価値観や思想を他人に押し付けて回ること。
誰かに「この価値観や思想を認めなさい、従いなさい」と押し付けること。
それは、結局立場が入れ替わっただけで、同じことの繰り返しではないでしょうか?
実際にそうした所で、多くの人達、特に違った価値観や普段から関わりの弱い人が「そうだね、君が正しいよ」と変化することはないでしょう。
同じ価値観の身内の結束は高まるかもしれませんが、より孤立や孤独を促進するだけのように僕は感じます。
多様性と是非
様々な意見がある。その意見を存在の段階で優劣や是非を決めると非常に危険だと思います。
議論によって淘汰や選択されることはあっても、存在自体を最初から否定してしまっては物事を見誤る。
どんな考えも、どんな意見も、どんな価値観も、この世に存在することは否定されない。
これは、インテグラル理論でいえばグリーンの段階であり、ある意味僕はベビーブーマーの弊害である多様性を盲信する自己陶酔とナルシシズムに陥っているともいえるでしょう。
つまり、長々と書いている僕の意見も当然正しい訳ではなく1つの存在であるということ。
それでも、表明することに意味があると僕は思う。
知的柔軟性
ペンシルベニア大学が提供する人間のキャラクターに関する調査ツールに「VIA-IS」というものがあります。
僕はその中で「知的柔軟性(Judgment)」というものを上位に持っています。
これは、物事をあらゆる角度で見る・安易に決めつけない・自分と違った視点や考えを受け入れるといった徳性です。
僕は、どうしてもそれを自分にも、人にも求めずにはいられない。
もちろんそれを否定する考えすらも、受け入れたい。
でも、自分の考えを全て変える訳でもない。
全ての前提となる情報、価値観、思想、視点を受け入れた上で、改めてそれぞれが「自分の意見はどうだろう?自分は何を選ぶのだろう?」と考え続けること。
それが僕の人生で大切なことの1つ。
もうやめよう
結局何が言いたいのか。
それは「もう、本当にやめましょう」ということです。
人種で、国籍で、宗教で、趣味嗜好で、その人を判断し型にはめ、貶めたり排斥する行為は。
何より、暴力や暴言によって傷つける行為は。
これは、黒人だけではなく、LGBTや、オタクなどのマイノリティ全体へのテーマだと僕は思います。
アップデートしていく
せやろがいおじさんの、この動画の中でも「誰が悪いとかではなく、みんながそれぞれ自分自身の古い価値観や常識をアップデートしていくことが必要」だと出てきます。
※この動画の内容にはあまり賛同しないところもあるので、意識をアップデートする必要があるという点のみの引用です。
それは大変なことかもしれないけど、誰かに任せておける事ではない。
一人ひとりが、取り組んでいくしか無い。
余談ですが、僕もミソジニストの部分が自分の中に以前は強くあり、それに気付いた時には非常にショックでした。ただ、そんな自分をしっかりと見つめ続けることで、徐々に自分に変化が訪れているとも感じています。
Initiate(イニシエート)
僕の役割は「Initiate(口火を切る)」です。
こうやって何かの意見を文字に起こすことで。
読んでくれた人が賛同しても、しなくても。
何かを考えてくれるキッカケになれば。
みんなで、一緒に考えていければ、僕は嬉しいです。
是非コメントで、ご自身のSNSで、皆さんの意見や感想をお聞かせください。
貼った動画も見たとするならば、とんでもない時間が経っていることでしょう。
長いのに読んでくれて有難うございました。