百六十二話 死
自身の指により、極長の回虫一本釣りに成功した浅井。しかし、肝心のマラリヤによる高熱は一向に下がらなかった。
これでは、他の兵にネタを提供しただけとなる。山下古兵に至っては実利まで得ようとしているのにだ。変な話、流石に産んだ子を攫われたとまでとは言わないが、得も言えぬ気持ちが沸き、浅井は釈然とせぬ思いで居た。
無論、そのことで意見する気もない。そうでなくても戦場故まともに寝られないのに、そこにマラリヤが加わる。一睡も出来ないばかりか、昼夜飢えと震えで体力を削がれ、立っているのもやっとの状態だ。また、すでにマラリヤで死に絶えた者も多く、今いる兵も約一年半前の大陸縦断作戦開始時と比べて、体重が半分以下になっているのだ。
疲弊し切った身体で、連日立ち代わり入れ代わり来襲してくる蒋介石の國府軍及び毛沢東の八路軍と戦う。負けたら最期、落伍しても最期。いずれにしても死だ。それでも現状、聯隊は戦闘に勝ち続け、休みなく進軍していた。
戦闘は行軍が止まるメリットがある。一方、落伍は何のメリットもない。いかに落語好きの浅井であっても、落伍の方は恐怖でしかなかった。
翌早朝の八月十二日、浅井は大隊の殿を務め、江西省南部、陝西の岩山を稜線伝いに行軍していた。
岩がゴロゴロ転がる極めて覚束ない足元。気を抜けば即捻挫する。
また、容赦ない夏日が続き、気温は連日四十度を超えた。
灼熱の大地を行く聯隊は、ただただまともに直射日光を浴び続けた。
もう駄目だ――このままでは意識を失って斃れてしまう。
浅井は朦朧とし、意識が途絶えそうになる。
「ここで倒れて、小指を切り取られ、人生を終えるのだ」
前について歩いているうちに、自分を客観視してしまう。すでに幽体離脱しているだ。
「ああ、これでいい。これで楽できる」
そう思うと、暗い谷間に引き摺り込まれる感じがした。
若干十九歳、浅井・のらくろ一等兵・宏は、安らかな気持ちで倒れていった。
「浅井上等兵転倒!衛生兵後方へ!」
中隊最後尾にいた古兵の逓伝で、班長田村は駆けつけた。
浅井の胸に耳を当てる。まだ微かに鼓動があった。
衛生兵に手伝わせ、浅井を山の斜面に引き摺り降ろす。山裾を流れるクリークに浅井の両足を浸け、腰から小銃を抜き獲る。そして、戦死した小隊長が持っていた私物の日本刀を取り出し、浅井の頭の傍らに置いた。
「御苦労。いくぞ!」
田村は声を掛ける。
「ハッ!」
衛生兵は敬礼し、先行く兵を追い駆けた。