百七十六話 夜明け前
四人掛けの座席の窓側に腰を下ろす。向かいのホームを見ると、何人もの子供たちが窓際の復員兵に何か売っている。
「日本の子供達も支那の小孩と同じようになったか・・・」
商売っ気丸出しの子供たちを見て、浅井は何とも言えぬ気持ちになる。
駅の被災地図では、自宅は空襲を免れている。気が大きくなっていた浅井は、財布の紐も緩んでいた。
「何を売っている?」
子供らはチョコレートを出して来た。
浅井は貰ったばかりの二百円から拾円札十枚出すと、子供らに渡す。
子供たちは小躍りして㐂び、その分だけチョコレートをくれた。
子供相手に度量を見せ、気をよくした浅井は、同じ座席の初見三人にチョコを分け与える。三人は吃驚しつつも受け取った。
このことにより他人行儀は消え、一気に連れになる。チョコを啄《ついば》みながら、語らう。彼らのうちの一人から、広島に新型の爆弾が落とされたらしいという話を聞いた。何でもこの先百年は草木も生えないという被害の甚大さらしい。
「広島を通過する時はお互い寝ないで見とおこう」
そう話し合い、意見は一致した。
しばらくして、復員列車は出発した。
車窓から、防風林に囲まれた趣のある農家が見える。また、畠の中に福助足袋や大学目薬、仁丹、中将湯といった看板が・・・。
馴染みの風景にすっかり安心した浅井は、祖國日本に帰って来たんだという思いが一層強くなる。その安心感は同席の三人も同じで、皆すっかり寝込み、中には口を開けて爆睡する者も出た。
結果、広島どころか神戸、大阪、京都、さらには名古屋まで通り越す。列車は、熱海〜函南駅間にある八千米近い丹那トンネルを通過。その轟音により、浅井は目を醒ます。
車窓の外には太平洋が広がっていた。
遥か彼方、水平線上――太陽が顔を出したかと思うと、海を朱に染めていく。
やがて、その光が熱海にまで届くと、祖國日本は朝を迎えた。