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百七十二話 船中思索

 船底に落ち着くと、兵隊の間で反証のしようがない流言が広まった。
 その噂によると、船は日本に向かわず、ブラジルに行くと言う。また、戦争の賠償金を払う代わりに、兵隊は睾丸を切り取られ、ブラジルで強制労働をさせられるというのだ。
 「何っ!?」
 「まさか・・・」
 思わず上がる声を聞く。
 反証がないとはいえ、日本は無条件降伏している。従って、何をやらされても不思議ではない。大きな話で言えば、当然賠償金は払うことになるだろう。第一次世界大戦で負けたドイツは、莫大に賠償金を支払った。
 今回また牙を剥いた独逸、加えて日本、伊太利亜と、次は賠償金では済まされず、まさに何でもありの状況と言えた。

 上海で積荷を降ろし、空船同様になったリバティ輸送船は、東支那海に入ると木の葉のように揺れた。
 仰向けになって寝る。すると、目の前に空が迫って来る。また、そうかと思えば、今度は奈落の底か海の底に引き摺り込まれるような感覚を味わされる。言わば、遊園地のバイキング船以上。真っ向から急な垂直上昇降下を永遠繰り返し、上げては降ろし、降ろしては上げる。その結果、大半の者がブレイキングダウン効果でゲーゲー吐いた。吐きに吐き、終いには吐き出すものがなくって尚吐き気に襲われるのだ。
 
 そんな中、逓伝が届いた。船底に居る兵隊たちは、交代で甲板に上がる。海上に浮遊しているかもしれない機雷を見張れという命令だった。
 将校達は依然姿を見せないもの、命令だけは依然して来た。
 浅井は、船壁の梯子を伝い、甲板に上がった。船は荒波に襲われっ放しだ。上下動を激しく繰り返す甲板から、海面なんか見ちゃ居られない。例え、もし機雷を見つけても船員が甲板に居ないため艦橋に伝えに行くしかない。そうなると、行ったとしても言葉が通じない。

 軍隊では兵隊に無意味な時間を与えることを極力避ける慣習があった。暇さえあれば、塹壕を掘らせ、それが出来ると埋めさせる。その要領で、機雷を探せと言ったのだろうか。もしくは、自分達を日本まで届けてくれる米軍に恭順の意を示すため、聯隊長が兵隊を使役として差し出したのか――。
 浅井は捕虜司令官暗殺の件を根に持っていた。そのため、聯隊長に対して穿った見方をしていた。

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