百十三話 発射
「目標、前方八百メートルにある棗の木!」
伝令が、静粛を破った。
棗の木は、荒野の弩真ん中だ。
将校全員の双眼鏡が、一斉に山砲に向く。
その視線の先に、浅井は居る。
端から無為無策。徒手空拳、破れかぶれの浅井は、「ここが潮時、年貢の納め時」とばかりに観念し、自暴自棄となる。
「どうせ一発射てば終わりだ」
そう心の中で呟き、堂々、居直った。
砲に付いた眼鏡を後ろに回す。
指揮班からの指示通り、「間接照準」を合わせているように見せかけ、その実、密かに「直接照準」で棗の木を捉える。
「準備完了ーッ!!」
浅井は、大声を張り上げ、四一式山砲から逃げるように離れた。
(当たれば官軍。後は野となれ山となれだ!)
そう思いながらも、抗命したことへの罪悪感からか、穴があったら入りたいくらいだった。
「発射!」
小隊長の命に応じて、班長田村が、砲手に引き鉄を引かせた。
ドカッーー-----ン!!!!
大爆音とともに閃光一閃!
三半規管を喪失させる凄まじい音が轟く。
白煙を上げ、直径十一センチの実弾が、空に放たれた。
「突撃ッーーー!!!」
小隊長が絶叫した。
荒野に散開していた新兵たちが、喚声を上げ、一斉に飛び出す。
総員七百十九名、皆新兵。
実戦さながらの模擬戦が始まった。
しかし、将校たちは模擬戦を観ていなかった。
雌雄を決する肝心の砲弾はどこ飛んだのか――皆、双眼鏡で懸命に着弾地点を探している。
が、己が眼鏡の中、終ぞ瞬発信管の弾ける画を捉える者はいなかった。