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百六十八話 初乗り

 國府軍の方からなかなか仕事が来なかった。仕事がありすぎるのは困るが、無いのも困る。ましてやタダ飯を食わしてもらっている身分。申し訳ないと思った田村班長が、引き獲られた軍馬を運動させると申し出た。
 その仕事のようで仕事じゃないような申し出に、昨日の敵がどうでるか注目されたが、あっさり許可される。
 秘かに浅井はあせって居た。都内出身の浅井、実はこれまで馬に一度も乗ったことがない。その上、今回鞍なし、くつわなし。あるのは綱だけというハードコアぶり。前途多難は火を見るより明らかである。

 古兵の後について馬房に入る。武装解除されて國府軍に引き渡された日本馬が二、三百頭繋がれていた。
 班長以下入って行くと、支那兵と日本兵の違いが判るのか、一斉に脚で前掻きする。その実にいじらしい動作に「さすが我が日本馬!」と浅井は褒めたくなった。
 
 古兵は手当たり次第、端から順に馬を曳き出す。一方、浅井はりに選った。結果、比較的小さく、かつ大人しそうな栗毛を見付け、外に連れ出す。高台のある所まで行き、馬に乗る。そして速攻、古兵達の馬群の中に入る。一頭だけ勝手な動きをされたら、最早制御出来ないと思ったからだ。

 日本兵を乗せた十頭は、班長の馬を筆頭に営門を出た。
 無錫の市街地と逆方向に向かう。運河に沿った道を一列で進んだ。
 浅井は図らずも最後尾。ここでも殿しんがりを務める。馬に初乗りした浅井は、視界がグンと広がったことに驚く。ただ、同時に爽快でもある。しばし快適な気分を味わいながら進んでいると、馬列前方、黒い親家鴨あひるとそれに続く小鴨十五羽くらいが、道を横断しているのが見えた。ブラックスワン先頭にそのまま向いの運河に入って行く。また、しばらくすると今度は小さな黒い野豚ブラック・ピッグが現れる。
 やや不吉な気がしないでもなかったが、昨日までの戦場とは打って変わって、長閑な光景であることは間違いない。この一年八ヶ月間、来る日も来る日も、昼夜を問わず戦闘と行軍を繰り返して来た。そんな浅井にとって、今まるで異次元空間に舞い込んだように思える。浅井は平和の良さをしみじみ感じていた。

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