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六十話 米西戦争

 布哇含むアメリカの太平洋我が物化は、計画的だった。その計画の一環として、米西戦争がある。

 一八九八年一月、西班牙スペイン領キューバの首府ハバナで起きた暴動が発端となる。アメリカは、キューバの砂糖資源に投資していたこともあり、断続的に行われていたスペインの弾圧に対して、介入の世論が高まっていたのだ。
 その上で、同年二月十五日、ハバナ湾でアメリカの戦艦メイン号が、白人士官の上陸後に爆発して沈み、乗員二百六十六名(八名の日本人コックとボーイ含む)を失う事故が起きる。
 これが決定打となり、四月二十五日、アメリカはスペインに対して宣戦布告。事はウォール街が支援するメディアの思惑通りに進む。

 五月一日、まず太平洋上のスペイン領土を巻き込むため、ジョージ・デューイ提督率いるアメリカ太平洋艦隊が香港を出港。フィリピン・マニラ湾でパトリシオ・モントーホ提督率いる七隻のスペイン艦隊を攻撃する。六時間ほどでスペイン艦隊は旗艦を含む三隻が沈没し、四隻が炎上するなど壊滅状態に陥った一方、アメリカ艦隊の被害は負傷者七名のみとほぼ無傷で完勝。これにより、ホノルルが、アメリカ軍をフィリピンに輸送する船舶にとって、重要な寄港地となった。

 アメリカは、すでに真珠湾の独占使用権を獲得していた。しかし、これを機に、より強固にするため、布哇を併合する必要があるとメディアが煽り、世論が高まった。
 マスメディア、いわゆるマスコミが、プロパガンダ機関、マッチポンパーとして活用されるようになったのは、この頃からだった。

 なお、米西戦争におけるキューバでの戦いにおいて、アメリカは給炭船を湾口に自沈させ、スペイン艦隊の出港を防ぐ閉塞作戦を実行し、失敗したが、これを後の日露戦争で日本を救う秋山真之が視察しており、旅順港閉塞作戦で成功に導いた。
 また、キューバ陸戦にてスペイン軍約十万人に対し、義勇騎兵隊ラフ・ライダーズ(荒馬乗り)連隊を含む約一万七千人で突っ込み、一日で陥落させた中佐が後にパナマ運河を作り、米大統領となるセオドア・ルーズベルトだ。そして、このセオドア・ルーズベルト(共和党)の義理の甥が、日本に真珠湾を攻撃させ、第二次世界大戦に招き入れた戦争狂フランクリン・ルーズベルト米大統領(民主党)だった。
 
 何はともあれ、スペインは負けた。結果、キューバの他、フィリピンやグアムも失うこととなった。

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