七十九話 ありえない光景
隊列は高粱畠を外れ、道路に出た。
道路といってもコンクリ―トで舗装されておらず、周囲には家一つ見えない。単に長い間人が通り、踏み固められた道だった。
とは言え、五、六十メートル間隔で、藁が落ち、側に楊柳が植えてある。
これでも一応、街から街を結ぶ主要道路に思えた。
沿線には民家一軒もないが、支那服を着た人が何人も歩いている。愛想もくそもない。皆一様に道行く隊列を無視している。
小孩《しょうはい》たちが何か拾いながら、輸送司令の馬が通った道を横断していた。正直言って、皆汚い身なりだ。
「何を拾っているのだろう・・・」
浅井は怪訝に思いながら行進する。
「馬の糞を拾っているんだ」
隣を行く農家の出らしい年上の新兵が言った。
「肥料にするためにですか?」
「そうじゃない。糞の中の未消化の麦粒を食うためだ」
「エッ!」
浅井は驚きのあまりと叫んだ。
東京も食糧不足だったが、そこまでではない。ましてや馬の糞の中の物を食べる発想がなかった。
しばらく行くと道端に男が倒れているのが見えた。
が、支那人たちはそれがまるで見えていないかの如く、平然と通り過ぎている。ザ・無関心。
日本國内だったら救急車や警察を呼んだりして大騒ぎになっている。
「こんなんだから、支那は列強國に踏み込まれてしまったんだ」
ありえない光景を目の当たりにし、浅井はそう思わずに居られなかった。
「軍歌斉唱!」
異國のハードコアな状況下を行く新兵に気合を入れるためだろう。
馬上の輸送司令官が、付近の先任下士官に命じた。
それを受けた下士官が「歩兵の本領!」と軍歌の曲名を猛々しく告げる。率先して「万朶の桜か襟の色(歩兵の色)」と最初の一小節を唱い出した。
佐倉連隊にて、目一杯軍歌演習をやらされた新兵たちも「万朶の桜か襟の色」と声張り上げ、後に続く。
下士官の「花は吉野に花開く!」に、新兵も「花は吉野に花開く!」と復唱する。
「大和男子と生まれたら!」
「大和男子と生まれたら!」
「散兵線の花と散れ!」
「散兵線の花と散れ!」
隊列を作って行進する新兵たち。知らず知らずの内に自らが悲壮感に包まれていくのを感じる。故に、それを打ち破らんが如く、皆で声を張り上げ、唱い、歩を進めた。
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