犬が怖くて脚立から降りられない人の物語を、7頭の犬をめぐるエピソードと4つの対話で描いた戯曲「イヌコワ」の紹介です。 個人に顕著な弱点があること、それは社会から克服する努力(無茶なチャレンジ)を求められる。仲間に入りたかったら、壁を越えなさい。犬恐怖症は不自由だからと、なんとか克服(マスキング)したら、恐怖という原初的な感覚を克服したら、何か大きなものを失うのではないか。 「成長」とは「自主的洗脳」じゃないのか、脳を社会に都合よく調整すること、構成員として整然としたピースに
家族が奇妙な病気になり入院、数か月ずっと無力だった。心配と緊張と待機しかできなかった。自滅しそうになると遠隔地に逃避。今回は火星。「オデッセイ」という映画を観る。近未来、火星に置き去りにされた宇宙飛行士が空気もない星で来るともしれぬ助けを待つ…命の危険があるのは私ではなくて家族なんだけど。 植物学者のマーク・ワトニーは嵐に吹っ飛ばされて仲間とはぐれてしまうんだけど、仲間は火星を離脱してしまい、残留物と火星の資源を使ってなんとか生き延びる。物質、酸素や食料も必需品だけど、人間
猛暑だ、窓を開けて暮らす人も減ってくる時節柄。夕方になると、シュワッチ!という声が響きわたる。時には複数回にわたりアパートから毎日、M78星雲のかなたに300万光年かけて帰っていくウルトラマンがいるのか、あるいは単に窓を開けてくしゃみをしているのかも。 くしゃみは「はっくしょん」だと思っているけれど、日本語のオノマトペではそうだけど、このケースでは明らかに「シュワッチ!」と言っている。くしゃみだろうなと予想はするけれど、万が一そうじゃないのかも。
界隈に住んで通算で20年くらいになるので、人付き合いが苦手な私にも、さすがに数人のご近所さんはいる。集合住宅なので、エントランスで顔を合わせたりすると挨拶くらいはするわけだ。こないだ、同じ階の人とEVで乗り合わせた。仕事が気がかりで大いに油断していたので、ちょうどいい感じのEVピッチ話ができなかった。 ご近所さんは、沈黙に耐えかねて話しかけてくれる「暑くなったわね」「そうですね」「今年の夏も猛暑みたいよね」「そうですかあ」「去年は暑かった、あなたも夏は?」「はい?」「あなた
所用があり、阿武隈川流域に出かけた。東北本線、二本松に行く電車は平日の日中は1時間に1本。二本松駅を降りると、目的地に行くバスは駅前ではなく「駅入り口」というバス停からしか出ない、不安。それも1時間に1本しかないという。それとこれが一致するのはなかなかの難問だった。 二本松にはお城があって、城下町には大きな神社など、高村智恵子記念館とかさ、観光地がいろいろある、お祭りも数々、大手酒蔵もあったりして栄えている。駅で言われたバス停について見ると、行先がいくつもあって、どれが目的
20年前に観たアメリカ映画。疎遠だった娘パーシーが、母が遺した家を故郷のニューオリンズに確認にいったら、母を看取ったという男が二人で家に居座っていて、3人で暮らすことになる話。二人のうち、ボビーという年配の男がジョン・トラボルタ。原題からして予定調和的だった。 でもなんか、ずっと忘れられないのは、ボビーがクズだから。彼は元大学教授で、アル中の爺さんだけど、トラボルタ(好きすぎ)だから朗らかで脆くて色っぽい、でも正気の時間は短い、あとはきわどいジョークを言うか、泥酔するか、誰
出番を待つその人を私はずっと見ていた。 円形の広場を囲む柱に恰好をつけて寄りかかり、ネクタイをチーフのように胸ポケットに挿して。手には大きな黒いこうもり傘をステッキのように持っている。グローバルリングは円形広場で中央部が少しくぼんでいるから、雨がふれば浅い池になるし、ストローラーのついたトランクを押して横切ろうとすると、円の中心にわずかに引き寄せられるようなわずかなスロープがあって、意識も目線も真ん中に集まるように引力が働く。 円を囲むように巡らされたベンチには、たくさんの
その家にはテレビがなかったが、猫がいた。 私がいつその家に連れてこられたのか、どうして連れの大人がいなくなり、そこにいなくてはならなかったのか、全く思い出せない。「8時だよ全員集合!」が見られないとわかったから、土曜日だったはずだ。まだ外が明るいのにもう寝る時間だといわれた。夕飯は出なかった。パジャマがないかときいたら、その家の老婆に、椅子にかかっていたチクチクするセーターと、備品と書かれたゴワゴワの埃臭い毛布を渡された。寝る場所を聞いたら、黙って床を指さし、電気を消して行っ
4月末日、快晴、風力3 10時26分発各駅停車新宿行、7号車の床を細いものが蛇行中。頭らしき塊があり、それに先導されて、離れてつながる細い紐状の胴体が移動している。南に進む電車、床の中央、南北に吹く風にのってそれが移動する。動きを目で追う。 それは向いの座席よりで止まり、ふわりと頭をもたげ、こちらを向いた。停止した姿をよく見ると、頭も胴体も左右非対称の出鱈目な構造をしている。床上5センチの気流の風向きが変わり、それがこちらにむかって進んでくる、来るのか、という瞬間、南からや
4月になると布団をクリーニングに出す、ダニ防止加工はちょっと値段がはるけれど必要があってそうしている、同じ業者に頼む。今朝、集配日を確かめようと思って、業者のマイページをチェックした。うそ! そこには7件のまるで覚えのないオーダーが連なっている。えええ!合計すると相当な額になる。注文した覚えはもちろんない。 これがよくある「乗っ取り」というやつ!ECを呑気に注文している客が誰かにカモられること、21世紀はその人がどんなポジションでも、経済活動としてはゼロでも、リストに載っ
各駅停車しか止まらない駅、入構してきた快速は速度を緩めもせずビュンビュン通過していく、ホームに立っている人たちは総じて体をちょっと引き、通り過ぎる電車をやり過ごす。 わかっているんだけど、もちろん。 ここは乗り換え駅でもないのだから、快速は止まらない。 でも、電車に乗ろうとしている当事者として、乗れもしない電車が通っていくこと、乗れない電車が豪速で通り過ぎること、当然のように警笛を鳴らされ、体をひいてやりすごすことに、わずかに傷ついてしまう。 わかっているけれど、もちろん。
「ポルノグラフィックな関係」 50代はどのくらい若く、どのくらい老いているものなのか、どう振る舞うべきなのか、良いモデルが見つからない。40代は切れなく多忙で、私生活でも仕事でも飛んでくる球をガンガン打ちかえすだけで精一杯、何がなんだかわからないままだった。 たまに渋谷のとあるアパレル店で天井まで5面鏡のあるフィッティングルームに入って試着をすることにしている。チェックをすると、いつもは見えないような背中の下の鞍肉のような肉の塊が見える、愕然とする。 そんな肉、年齢とともに
今年も暖冬で御神渡りは見られない。 辰年なのに、諏訪の水神様は湖を渡らないようなのだ。そうだけどどうしても行きたい。なんとしても諏訪大社四社をコンプリートしたかった。そこで「あずさ」で茅野にいき、守屋山方面に。駅から歩いて30分ほどで前宮に到着する。その道すがらなにかがおかしかった。小学生のころ、給食を食べてすぐ校庭を走り回ると横っ腹が痛くなったが、それ的に久々片腹に疼痛、駅の「八ヶ岳オクテット」 で巨大野菜のサンド(シャキシャキでうまかった)を食べてすぐ歩き出したからかも
地下鉄有楽町線の市ヶ谷駅に急いでいた。出がけに家の廊下の書棚から川端康成の「みずうみ」をとって鞄に入れて、通勤の時間潰しにしようと思った。川端作品は文豪デカダン大好き10代のころの幼い蔵書だったけれど、何がどう「みずうみ」なのか、思い出せない。 主人公銀平は1行目で軽井沢駅に到着し、2行目でズボンをはき替え、ワイシャツからセーター、レインコートから靴まで新調して、古いものは季節外れの他人の別荘に捨てていく。追われているらしいのだが、1ページ目でとにかく全身着替える主人公、予
友を得るには300年必要 新刊『赦しへの四つの道』(アーシュラ・K・ル・グィン=著)にA Man of the People(同胞)という短編がある。主人公はマチンイェヘダルヘッドデュラガマラスケッツ・ハヴジヴァという少年。僻地の星から選ばれて高等教育を受け、長じて宇宙を仕切る組織エクーメンの使節になり亜光速で星間移動をして仕事をしている。移動に80光年かかってしまうので、旅行中に親兄弟も自分の子どもさえ死に絶えてしまうという。 この「ビジネストリップ」と「血縁の死」はあ
女の子がおじさんを尾行する話、というだけで観に行こうと思ってしまった映画「彼方のうた」。「春原さんのうた」で定評がある杉田協士監督の作品だので。それから端田新菜さんが出演しているので。 こういうのってどうなんだろう。ヒロインが偶然映ってしまった感のある粗めの画角で登場するって。ドキュメンタリーの風味は観客の立ち位置を微調整する。尾行する彼女を尾行する、目撃しちゃった感を出すため。ああ、私たちは普通の映画の観客より罪深い秘密の存在なのだと知らされる。座位を強制する椅子に座らさ