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初孫(酒ぶたの思い出)

小学3、4年生のころ、学校が終わると、近所の酒問屋にまっすぐ向かっていた。

酒問屋の敷地には酒の空きびんのケースが山のように積んであり、毎日のように友達とのぼってお宝を探していた。お宝というのは酒瓶のふたのことだ。

空き瓶のなかにはふたが残されたままのものがあり、ふたをもらってコマのようにして遊んでいた。学校で友達とどちらが長くまわしていられるか勝負するのが流行はやっていた。

酒ぶたの底はぺたんこであり、コマのようにうまくまわるはずはない。
そこで秘密兵器、〝星ピン〟の登場である。この押しピン(画鋲)のうしろには中央の部分がとがった星が刻印されており、酒ぶたの底にさすとコマのようにくるくると回転した。

しだいにお宝探しの目的は変わっていった。日本刀が工芸品として扱われるようになったのと同じ(?)で、よくまわるコマを探すというより、どれだけレアでかっこいい酒ぶたを見つけるかに変わった。男の子のコレクター魂がうずいた。

よく見かける「いいちこ」や「剣菱けんびし」、おたふくマークの「千福」は雑魚ざこである。「賀茂鶴かもづる」もたくさん見かけたが、いろんな種類があり、ゴールドのものは人気だった。

私のお気に入りは「菱正宗」である。黒地に金文字で「菱正宗」と書かれており、荒々しい筆書体がかっこいい。
月桂樹の葉のような縁どりもあり、黒光りする姿はロールスロイスのような高級感があった。

ときどき私は、お菓子が入っていた缶の宝箱から「菱正宗」を取り出し、はあっと息を吹きかけ、シャツのすそでみがいていた。

吐く息も白くなる12月、終業式のあと教室で半紙が3枚配られた。
冬休みの宿題として書きめが出された。お題は自由で、3枚のうちよく書けたものを1枚提出しろという。

「青山はなんて書くん?」

私はとなりの席の青山くんにいた。青山くんは漢字博士として知られており、「薔薇ばら」や「檸檬れもん」といった難解な漢字を書くことができた。漢字博士がどんなお題にするのか興味があった。

「俺は〝キリン〟にしようかな」

「〝キリン〟って、あの首の長い動物のキリン?」

「ちがう、中国の伝説上の動物。こうやって書くんよ」

青山くんはらくがき帳に「麒麟」という漢字を書いてみせた。

「キリンビールの〝キリン〟。ほら、ビールの瓶に見たこともない動物の絵が描いてあるじゃろ。あれ」

私の父はアサヒ派だったので、ぱっと「麒麟」の絵は浮かんでこなかった。
青山くんは書き初めに「麒麟」と書くらしいが、私の場合、「スーパードライ」と書くわけにはいかない。長いしカタカナだしかっこ悪い。

なにかいいお題はないかと考えていると、酒ぶたの「菱正宗」を思いついた。これなら「麒麟」に負けず劣らずかっこいい。

学校の帰り、書き初めに「菱正宗」と書くことにしたと話すと、みんな自分のお気に入りの酒ぶたをお題にすると言い出した。

「俺は『司牡丹つかさぼたん』にしよう」と山田くん。「じゃあ、俺は『玉乃光』」と高木くん。三男坊の平田くんは「一人娘」にするという。

われながら名案だと思っていたが、年が明けて、いざ書き初めにとりかかると苦労することになった。

酒ぶたの「菱正宗」をお手本に書こうとしたら、達筆の「菱」の字がつぶれており、よくわからなかった。
横にふりがなが打ってあるから読めるものの、見よう見まねで書くのはむずかしい。「いいちこ」にしておけばよかったと後悔した。

結局、始業式の日に提出したのは「初孫」だった。こちらも黒地に金文字の酒ぶたからとったお題である。
ところが、酒ぶた仲間のみんなは「お正月」や「お年玉」といったベタなお題を書いていた。

「お前ら、どうしたん?」

わけを訊くと、「小学生がお酒の名前を書くなんて」と親にとめられたらしい。

書き初めを提出するとき、先生に「お前は初孫なんか?」と訊かれた。

お酒の名前だとわかったら怒られると思ったので、「そうです」と答えた。
私は母方の祖父母からすれば2人目の孫、父方の祖父母からすれば6人目の孫だった。

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