心の病について

今大きな悩みがあります。

私の母親です。

私の母親は醜形恐怖症と重度のうつ病を患っています。

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うつ病はわかると思いますが、醜形恐怖症とはこういうものです。

私の母親の場合、目に関してコンプレックスを持っており、目の血管の数が増えた、目の充血が進んだなど普通の人が気にならないようなことに気になってしまう病気です。鏡を手放すことができないような状態。気がつけば鏡を手に持っています。

若い頃、20代の頃発病し一時はなくなったみたいで、その後私が生まれてから22になるまでは特に何もありませんでした。大学4年の23になる年の夏、急激に人が変わってしまったかのようになりました。本当にいきなりでした。

そこからうつ病もきてWパンチ。物は食べられない、寝たきり、働くこともできない、生きてることに希望も何も感じられないそんな状態。もう私が知ってる、私を可愛がって育ててくれた母親の面影はありません。会話も成り立ってるのかわからない、最近は思考力も行動する動きも低下してきています。正直要介護に近い状態で。そんな現状です。

うつ病の対処としては、3つ。本当はもっとあるけど、多分今家族としてできないといけないのはこの3つ。

1、家族が理解してあげる

2、無理をさせない、励まさない、頑張らせない、こころにゆとりもたせてあげる。

3、とにかく待つ。否定しないで待つ。

理屈では分かる。けど実際はそう上手くいきません。

脳の神経の病気、甘えや怠惰とかではない。理論では分かっても、実際親にひどいことを言ってしまうのが現実です。本当に申し訳ないと思うけど、我慢できずに言ってしまう心の小ささ、そして今になるまで何もしてこなかった親不孝さ、心には葛藤があります。

自分はまだ母親に対して何かしてあげられてない。だから本来自分には文句を言ったり母親を責める権利すらないのかもしれないと思います。何で何もできなかった。正直後悔の部分もあります。

それと同時に心配なこと。父親です。母の面倒をしてくれるのは全部父親。だけど、最近父親も参ってきてます。今年65才の父親。父親も教員で今年で再任用職員も終わりです。かれこれ、ここ6年仕事し、家事し、母親のことを見る、全てをやってくれます。

今年度からは自分にも時間等にも余裕ができた関係と、今まで父親に全て任せきりにしてたことの申し訳なさ、自分も力にならないといけないと思い、家事を手伝い始めました。少しでも負担を減らせたらと思って。今になって気がついて本当に申し訳ない限りです。出来ることをやって力になれたらと今は取り組んでいます。

話を戻して、父親が「疲れたな」とこないだいっていました。僕は父親のことを尊敬しています。父親のことが本当に大好きです。父親は弱音を吐いたり人の悪いところを言うなんてことはありません。誰にでも優しい分け隔てなく人に接する、本当に親ながら、仏様のような存在と思っています。

そんな父親が最近はもう参っているというのが目に見えて分かります。というより、本来居心地の良いはずの家が、家族3人誰にとっても居心地の良い場所で無くなってきていると思います。父と2人のときは特にゆったりですが、今の母がそこに来るのは2人とも正直良い気がしないそんな状態です。

正直今、不安が渦巻いています。父親が疲れて早死にしてしまうのではないか。母親も治らずこのままで人生を終わるのではないか。2人が定年を迎えるここからの最後の人生を満足できるものにならないのではないか。

もし父親が今死んでしまったら自分が母親を面倒みないといけません。正直それを考えるとかなり重たいです。俺にそんなことができるのか。結婚考えてる彼女との生活が実現した時にうまくやっていけるのか。自信がないです。そんなことを考える最近です。好きなことをやって希望もあるけど不安も大きいです。(誰もがそうだと思いますが)

ここまでマイナスのことを言ったけど、やることは一つってわかっています。(じゃあ書くなよと思う人もいるかもしれません。すいません)

誰かがやるんじゃなくて自分がやる。誰もやらないなら自分がやる。(恩師に言われた言葉であり、自分の生き方に影響した言葉)

もう腹括って、3つのことを実行するしかないんだよなと。本当に考えたくない。ハッキリ言って地獄だと思います。できたらやりたくないです。逃げたいです。けど、自分がやらなきゃきっと母親は治らないだろうし、いつまでも避けてはいられないんだと思う。正直母親の子育てを恨んだこともあるし、憎んでる部分もあります。けどそれでも、はじめての子育てで、母親は偽りのない愛情を持って自分を育ててくれたのは間違いないし、母親がいなかったら自分は生まれてないし、今ここでこんなことをnoteに書くこともできていない。だから子供として親にできる最大の親孝行というか恩返しが母親が元気になるために支えるだと。

自分が力になれたら母親だけでなく父親の力になれるとも思うから。結果育ててもらった恩を返せる。

それと、自分が結婚した時に親に元気な状態で、彼女にあって欲しい。

後は将来両親には自分の子供、つまり孫を見せてあげたい。2人が元気な状態で、孫に会わせてたくさん可愛がってもらって、良いじいちゃん、良いばあちゃんって自分の子供に感じてもらって大きくなって欲しいから。

28になる年に、自分を変えるチャンスと捉えるしかない。人生で何をするために生きたいのか?=何で教員を選んだのか? 今自分の中にある答え、「誰かの幸せのために自分が力になりたい」を1つ実現すべき大きな課題であるかもしれないかなと。

本当はネガティブな感情と、こんな人もいるよ、うつ病って大変だよ、助けてくれってマイナスなことだけを書いて終わろうしてました。

けど、書いてるうちにやっぱり母親に治ってほしい、「元気になって普通の生活して欲しい」って思いめした。親は親なんだよな。そしてこんな書き方になりました。弱音を匿名のこんなところで書き出させてもらえたおかげで楽に少しなれたのと同時に当初の予定と反した結果で考えがまとまって何やろうかを考えたり、気づかせてもらえてありがたいです。文字に書き起こしてよかった。

趣旨はそれたけど決意とか覚悟も込めて、苦しい思いして踏ん張ってやりますとの締め方にします。

多分すぐには力になれないと思う。何年かかる、いつ治るか、もしかしたら治らない、それも分からないし、多分簡単に実行できないし、葛藤もたくさん出てくると思うし甘くないだろうと。そんな力のある人間じゃないから。それでも基本三歩進んで二歩下がるくらいの速度で、たまにはたくさん進んでいくくらいの感じで支えらるような精進します。

重たい話ですいません。

治るのを信じて待って精進します。

絶対治る!!!!これは忘れん!


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