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大学生、介護中

関西空港から飛行機で一時間半。僕は新千歳空港に降り立った。大阪よりも一段と乾いて冷え込んだ空気が、山積みにされた白い恋人とともに僕を迎えてくれた。十月、北海道はもう冬だ。これからバスを乗り継ぎ乗り継ぎ、四時間かけて北海道の南端、浦河町へと向かう。

浦河町にある「べてるの家」は統合失調症の患者たちが共同で暮らしている施設である。そこでは患者自信が自分の症状を研究し、発表する「当事者研究」が行われている。「三度の飯よりミーティング」「安心して絶望できる人生」などの言葉とともに行われるべてるの家の当事者研究は世界からも注目を集めており、今日はその研究発表が行われる。中でも注目を集めるのは、「幻覚妄想グランプリ」という世にも奇妙な大会である。統合失調症患者たちが、自分の幻覚・妄想を研究し合い、もっとも面白い、またはもっとも迷惑をかけた患者に賞が送られるのだ。僕はそれを見に北海道まで来た。しかし、旅行の計画を立てるのが下手すぎて、一日目の閉会式と二日目の開会式しか参加できなかったのだがそれはまた別の機会に話すことにする。

今年の優秀賞は、松本さんに送られた。松本さんは「僕は野球がうまい。だから王貞治がプリウスで僕を迎えに来ると思っていたのに、なぜか救急車が迎えに来た」「僕、妊娠しました」などの名台詞を残し、賞を受賞した。彼は嬉しさのあまり、壇上で喋り続けた。あまりにも喋り続け、あまりにもスベっていた。会場からは「いいぞー!」とか「おめでとう!」という声がずっと聞こえていた。そして壇上では、子供が椅子を持って走り回っていた。なんだここは。

その日の前夜、べてるの家の夕食会があった。北海道の美味しい料理が所狭しと並べられ、患者、医者、見学者、一緒になってそれを囲んだ。ステージの上では、ギター2本とボーカル、というポストモダニズム的な芸術音楽が繰り広げられており、会話はギターのディストーションによって全て遮られた。会場は盛り上がり、患者なのか医者なのかわからないおじさんがけん玉を始めたが、けん玉の糸がちぎれて玉がどっかに飛んでいった。そしてあたりでは続々と盆踊りの輪が広がっていた。司会はマイクで演歌を歌っている。なんだここは。べてるの家ではこれが当たり前の光景である。いきなり歌い出すやつもいればいきなり走り出すやつもいる。それらを受け入れる包容力がべてるの家にはある。北海道の南端にあるその場所は僕にとって、圧倒的ポンコツである僕にとって、聖地のような場所であった。そこには人を似たもの同士で分類する境界線のようなものはなく、すべてが混ざり合っていて、すべてが許されていた。自分は福祉に関する知見を深めるというよりも、その寛容性に惹きつけられて北海道まで来たのではないか。福祉に関わっていく中で、自分の肩の力がほぐれていくのを感じている。

とある日曜日の昼下がり、僕たちは公園でヘビを探していた。茂みの中を木の枝でつつき、両手で木の幹を揺らし、池の中を見つめた。公園にヘビはいないかもしれないな、そう思った僕は必死に水面を見つめるゆうとくんに「もしかしたらヘビおらんかもな」と声をかけた。ゆうとくんは「ヘビ、みたい」と言う。そうか、ヘビみたいよな、と思った。普段はヘビのいない五月山動物園が、たまたま年に一回のヘビ特集イベントをやっていることに一縷の望みをかけて、僕たちは公園を出て坂を登った。

これが僕のアルバイトである。僕は池田城跡公園でヘビを探すことにより、給料をもらってご飯を食べている。この仕事は「障害者移動支援」と言われる介護の一つで、僕は大学三年生の春から、訪問介護のアルバイトをしている。業務は主に「移動支援」がメインだ。車椅子の人、知的障害の人などその人が一人では行くことができないところへ行くお手伝いをする。喫茶店、映画館、ショッピングモールなどなど。移動支援は余暇活動としての側面が強く、自分も一緒に楽しむことができるので僕はこの仕事がとても好きだ。一緒に手話サークルに参加して手話を話したり、通天閣に行ってたこ焼きを食べたりもした。もちろんヘビ探しもその中の一つである。

他にも「家事援助」という仕事がある。食べ物をスーパーに買い出し行ったり、トイレ掃除や風呂掃除をしたり、その人が生活を営む上で必要なことをする。これはただ家事をするだけで面白くなさそうと思われるが、自分にはどうやら主婦の適正があるかもしれないらしく、この仕事もとても好きだ。利用者さんの家に行って、ポテトサラダを作ったり、トイレをピカピカにしたり、米を炊くのを手伝う。中でも一番好きなのが、斉藤さんのおつかい業務である。斉藤さんはちょっとした「得」を集めるのが好きで、僕のおつかいメモは大きな貿易会社の発注書のように、値段と個数と、どんなものを選んで買ってくるべきかが事細かに決められている。今日は茎の太いほうれん草と、葉っぱが詰まっていてどっしりと重量のあるキャベツと、ブルガリアヨーグルトと食パンと弁当を買ってくるように命じられた。僕はスーパーに行ってほうれん草二つを手に取り、茎の太さを見比べては小さい方をおき、小さい方をおき、を繰り返してビッグほうれん草を手に入れる。その横では腰を折り曲げたおばあちゃんが、僕と同じようにほうれん草を手に取り、置き、手にとって置くことを繰り返している。僕はそのスーパーの、人間が自分の生活を少しでも良くしようとひたむきに生活しているのをみるのがとても好きだ。

そんなわけで僕はこの「介護」という仕事をとても気に入っており、毎日楽しくバイトをやっている。介護というイメージは一般的な印象はあまり良くない。僕も始める前はその一人で、なんだか楽しそうだからやってみるかという気持ちではなく、自分は「介護」をやらなければならない、そこで自分は苦渋を舐めなければならない、という覚悟を決めて高いところから飛び降りるような気持ちで始めたものだった。そこには僕の家庭環境が大きく作用している。僕がじいちゃんの震える手を初めて見たのは、じいちゃんがボケて僕の家の廊下で大便を撒き散らしたときである。それを見た自分の母親は、今にもじいちゃんに飛びかかって殺してしまうのではないかと思うほど、ものすごい剣幕でじいちゃんを怒鳴りつけた。じいちゃんは自分が何をしたのか、自分はなぜ怒鳴られているのか理解できずに、ただ冷たくて重い大粒の涙を、自分の膝の上にぽろぽろと降らせることしかできなかった。うんこが飛び散った廊下で、泣きながら震えているじいちゃんを怒鳴りつける母親を僕は爪を噛みながらただひたすら見ていた。地獄だと思った。僕は介護をしなければならないと思った。介護という業界に、少しでも足を踏み入れなければならないとそのとき強く実感した。

僕の母親は、いや僕の親族は誰かに優しくするというのが絶望的に下手な人たちの集まりである。僕たち中村家は、いつしか他人に手を差し伸べることはダサい、面白くない、面倒くさいことであるという空気を共に吸うようになった。家族間の会話は少なく、極めて個人主義的な生活が、ただ同じ屋根の下行われている。そこには大音量で流れるテレビと、何台かのスマートフォンがあるだけだった。その空気を、いとこの家の一室で、ひとり沈黙のうちに吸っているのが僕のおばあちゃんであった。おばあちゃんは中村家から疎まれていた。なぜならば、おばあちゃんはすぐ誰かに手を貸そうとする「ええことしい」であり、おしゃべり好きですぐに話しかける「面倒くさいやつ」だったからである。おばあちゃんに関わりたくないいとこたちは、おばあちゃんの部屋の襖を開け、毎日、机の上に千円をおいていった。おばあちゃんはそのお金で一日のご飯を賄わなければならないのだが、すぐに無くしてしまってよく怒鳴られていた。おばあちゃんは怒鳴られた後、すごすごと自分の部屋に戻り、電気もつけずに布団に横になった。暗い部屋で唯一テレビだけが煌々と輝いていた。

では、そんなおじいちゃんとおばあちゃんと見て僕は何をしたか。何もしなかった。おじいちゃんの入院していた病院に足を運ぶこともせず、ばあちゃんが一日一人でテレビを見ている中僕は電話すらかけなかった。面倒臭かったという理由がある。自分の時間を彼らのお見舞いに使うことは、ひどく勿体無いことだと思った。ひどい扱いを受けている祖父母を見て見ぬふりをしていたということは、他人に優しくすることを恥だと思い、人に関わらないようにできるだけ穏便に生きていく中村家の空気の粒子が、自分の体内にもいっぱいあるということだ。恥ずかしかったという理由がある。僕は自分の家族の前で、誰かに優しくすることに大きな違和感を感じる。ばあちゃんやじいちゃんに電話をかけるということは、自分にとっては母親の好奇の視線に晒され続ける一種の「我慢」のようなものであった。ぼくはその視線に耐えるよりは、自分の部屋にこもって本を読むことを選んだ。僕が介護をしている理由は、漏らしたおじいちゃんが怒鳴られながら泣いている強烈な光景と、自分が誰かに優しくできなかったフラストレーションの発散のようなものだと思う。

とある日曜日の昼下がり、僕たちは動物園でヘビを見ていた。あの日、僕たちはヘビを見つけることはできなかった。帰ってもなお、ゆうとくんのヘビ熱はおさまらず、僕たちはその次の週、天王寺動物園まで足を運ぶことになった。ヘビを見つけたゆうとくんのヘビ熱はさらに高まり、ヘビゾーンの前ではやくも二時間が経過しようとしていた。疲れた僕はヘビゾーンの後ろにあるベンチに座って休もうとしたが、お前もちゃんと見ろといわんばかりにゆうとくんは僕の方へやってきて再びヘビの前へと連れていく。ヘビは丸まって眠っていた。もうちょっと動いてくれればいいのになあと思いながら暗闇で光るヘビの鱗を見つめていた。

このアルバイトを始めてから自分が少し変わったなと思う点。それは何かに対して、あまり評価をしなくなったことかもしれない。以前の僕であれば、なんでヘビ2時間も見なあかんねんと思い、つまりヘビを見続けることにマイナスの評価を与えて、ライオンの檻を薦めただろう。そしてそれは今までの人生や社会によって形作られた勝手な評価だった。でも、そんなことには意味がないのだ。ゆうとくんにとってはヘビを見ることが全てであり、ゆうとくんの見える世界に点数はほとんど存在しない。唯一ヘビと仮面ライダーが百点の評価を与えられているだけだ。ぼくはゆうとくんの、その純粋性から多くのことを学んだし、何より自分自身が救われている。すぐに忘れ物をし、すぐに予定をすっぽかす、このダメダメな自分が、ゆうとくんの目の前では全てが許されているような、受け入れられているような、そんな気持ちになれるのである。

でも同時に、介護という仕事で大きな無力感も感じている。ぼくはゆうとくんをどこまで支えられるのか、この人の人生をどこまで引き受けることができるのか。答えは明白で、自分は他人の人生を引き受けることなんてできない。重荷を減らせてあげることなんてほとんど不可能だ。人生の苦しみや悩みはその人のものであり、いくら不平等であれ、その人がずっと背中に背負って生きていかなければならないものである。それを理解しながらも、関わろうとする。彼の抱える問題は、ぼくが解決できるものではなく、彼が解決していくものである。べてるの家の言葉を借りれば、その人が「自分の悩みや苦悩を背負う主人公になる」ということだ。悩む力をこちらが奪ってはいけない。それは無責任なのか?ぼくは信頼だと思う。相手には、自分の苦労と向き合うことのできる能力がある、と思う信頼である。それまでぼくは、無理に介入せず、ただ伴走していきたいと思う。自分はあまりにも無力だが、ただ一緒にヘビを探して行きたいと思う。

天王寺動物園で、ヘビの暗い鱗を見つめながらそんなことを思った。ゆうとくんは、まだ真剣な表情でヘビを見つめている。


*文章中に出てくる人物名は仮名です。

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