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My Favorite Songs

それは偶然であの日雨が降ったから
君に逢ったあの日雨が降ったから
青の水平線に晴れた空が
落としていったもの鮮やかな夕日を見て
もう始まっていたあっけなく好きになっていた

帽子と水着と水平線 / aiko

いちばん記憶に残っている雨の日はいつのときだろうか。まず僕の頭には、台風で氾濫した川に友達のさえきくんと自転車で突入して警察に通報されたことが思い浮かぶ。地面と水路の境界が曖昧になっていることを逆手に取り、さえきくんは「自転車を川の中で漕ぐ」という全小学生の夢を成し遂げて見せた。雨の中自転車を漕ぐさえきくんはとても輝いて見えた。僕たちは夢中で自転車を漕いだ。「ギア1でも全然すすまんよこれ!!」というさえきくんの声は雨の中でもよく通った。




You better save it for a rainy day
You better save it for a rainy day

Save It For A Rainy Day / Stephan Bishop

もしものために備えておく、ということが昔からできない。その理由は別に備えていなくてもなんとかなると思っているからだ。一万円だけ持ってベトナムに行き、一日でお金がなくなったときもなんとかなった。周りがスーツの中、ボーダーの服とジーパンで面接試験を受けてもなんとかなった。そんなわけでこの世は大体なんとかなるようにできているのである。そんな僕が思う、別に持っていかなくていいものトップ3を発表する。

まず3位は筆箱。これは全員が持ってるので大体貸してもらえる。受付係に申し出ると、鉛筆、ボールペン、消しゴム、三角定規などありとあらゆるものを貸してもらえるだろう。第2位はスマホ。20年前まで人類はスマホなんてなかった。50年前まで遡ると携帯電話すらもなかった。500万年前から培われてきた私たちの能力を信じるのだ。道は人に聞けばいいし、連絡は事前に取っておいて集合する。インスタなんか見るより街ゆく人を観察した方がよっぽどおもしろい。第1位は靴。靴なんか別に履かなくていい。一度裸足でスーパーに行き、インド料理店に行ってカレーを食べてみた。まったく不自由はなかったし、いつもよりも「大地」を近くに感じられてなんだか健康的な感じがした。裸足で外出する日を作ってみてもいいかもしれない。

このように大体のことは貸してもらえたり、教えてもらったりできるので僕たちは思っているほど物を持つ必要はない。しかし、裸足で見知らぬ人に道を聞いてしまうと、警察を呼ばれること間違いなしなので靴だけは履いといた方がいいかもしれない。




街の静けさが生々しくて
むき出しの僕らは此処に在って
それでも何処かしら頼りなくて
最深部で濁るブルーから
這い出すために糸を吐いて
その糸でいつか希望を編んで
ありもしない羽で空を飛ぶ日を思う

架空生物のブルース / ASIAN KUNG-FU GENERATION

ASIAN KUNG-FU GENERATIONのこの歌詞を聴いたとき僕はちょうど阪大坂の交差点を渡り切ったところだった。何を言ってるのか聞き取れはしなかったが、メロディがとても綺麗で僕はもう一度サビの手前へ白丸をスクロールした。4限終わり、大学生たちが僕の目の前をぞろぞろ歩いていって、坂の下の踏切でがやがや言いながら止まった。

「街の静けさが生々しくてむき出しの僕らは此処に在って」
この曲は私たちの存在を問う。自分はなぜ生まれてなんのために生きているんだろう、という疑問に誰も答えてくれない私たちは、生まれながらにして不幸な存在である。人々はそんなとき、誰かと話して、ご飯を食べて、お酒を飲んだりする。そんな人間の弱さが集まっている居酒屋という場所が僕はとても好きだ。居酒屋の賑やかさは私たちの不安を少しはましにしてくれる。と同時に、私たちの存在の軽さはグラスの氷が溶ける音によく似ている。

阪急電車のマルーンカラーが目の前を通りすぎる。音が止まって踏切が開くまでのその時間、僕たちは一瞬静かになる。電車が通過した後、自転車にまたがる高校生と目があって、踏切が開いた。進み出した自転車のライトが僕の横でちらちらと揺れる。街は再び喧騒に包まれて、僕は再びイヤホンを耳に入れる。この街がいちばんうるさくなるとき、それはこの踏切の前だ。しかしいちばん静かになるときも、実はこの踏切の前だということは誰も知らない。

あぁ 神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて
あぁ わたしたちはここにいるのだろう

Orphans / cero



Time Stream / Count Basie

ジャズを聴く暴走族というのはいるのだろうか?知っている人がいればぜひ教えてほしい。爆音でエンジンをかけるのではなく、爆音でジャズをかける暴走族が一人いればこの街はもう少しおもしろい。そんな奇特な暴走族に、僕がまずかけてほしいと懇願するのがこの曲だ。ベースとドラムのイントロから始まるこの曲は、上品さを保ちながらどんどん推進していく。夜明けのように次第に曲は盛り上がっていき、人々は踊り出してしまうこと間違いなしである。

時刻は3時42分。空はまだ黒いが、明けていく気配が無音の中にぼんやりと漂う。
「この曲なんですが…」
僕は日本のどこかに存在している、ジャズを流して暴走すると噂の暴走族にCDを渡していた。
「カウントベイシーね。おれはビッグバンドはあんま聞かないんだけどな。なんか耳がはりきっちまう。もっと、こう、な、煙草でもふかしながらかるーく聴けるやつがいいんだよ俺は。まあいいけどさ」
彼はCDを受け取り、曲名がリストアップされたメモ帳に「Time Stream」と書き込んだ。彼にジャズをかけて暴走してもらいたい人が他にもいるのだろう。僕の順番のひとつ前には、ヘレンメリルの「Falling In Love With Love」 が書き込まれている。きっと彼はこっちの音楽の方が好きなんだろうな、夜明けにも合う。でも僕はバイクにまたがった彼が、この曲を聴いてニヤっとするところを想像する。
「じゃあな、今日は月曜日だし、かっとばすぜ」
彼は僕の返事を待たずに、バイクにまたがってエンジンをかけた。真っ直ぐに伸びる国道には、まだ一台の車も見えない。Time Streamをのせたバイクは夜明けとともに遠ざかっていく。




遺伝子の混じり合いもうそこに愛は無い
変わりに花を手向ける
幸せになれたぜ俺もお前も
名前を変えて晴れて my men

Thanks / 唾奇

hiphopは個人の辛さとか弱さをぐいんと捻じ曲げて、ぶっきらぼうに目の前にドンと置くことができる。その置かれたもの見ることは、別の音楽にはない痛快さがあって、それはちょうど、太陽の塔を見たときの感覚に似ている。「なんかもうごちゃごちゃうるせーんだよ、風呂入って寝ろバカヤロー」と不機嫌そうなあの顔に言われてるような気もしてくる。そしてこの突き放す言葉のうちに、優しさや弱さを感じ取る人たちは、というよりも、突き放す言葉のうちにしか、本当の優しさや弱さを感じ取れない人たちが、hiphopを好んで聞くようになるのだろう。

「フライパンぶっ叩かれた頭」「包丁持たして刺してみ?」この曲はまず、彼自身のエピソードが語られる。その内容は暗いがビートは対照的に懐かしくて暖かい。サビの直前「変わりに花を手向ける」で歌詞の世界が大きく転換する。「幸せになれたぜ俺もお前も 名前を変えて晴れて my men」ここで彼は「幸せになれたぜ」と言い切ってしまう。おそらく彼はまだ自分の経験を消化しきれていない(し、それはできるものでもない)のだが、彼はそう言い切る。次に「俺もお前も」と続くが、この「お前も」というのは「愛のない遺伝子の混じり合い」をした自分の両親のことで、彼はラッパーとしての名前で生きていくことにより親との関係を清算している。ここで名前を変え、「うぜえんだよ死んじまえ」と親を罵倒して関係を完全に断ち切ることもできるのだが、彼は再び「my men」として関係を結び直す。この一連の流れに、hiphopの、そして太陽の塔の持つ「突き放すような優しさ」が含まれているような気がする。

3月、香川に帰省したとき、自分の母親の誕生日にアジアンタムという植物を贈った。指の爪ほどの小さな葉が、連なって広がる小さな植物である。乾燥に弱く、常に土を湿らせている必要があるので育てるのが難しい。植物を贈った2ヶ月後、「あんたにもらったあの草、枯れたで」とLINEがきた。そこで僕は、母親が2ヶ月間植物を育てていたことを知る。あのアジアンタムが、実家のリビングで2ヶ月間葉を伸ばし続けていたことを知る。そして枯れたアジアンタムが捨てられ、空になった植木鉢のことを考える。僕はありがとうとかごめんなさいとかの言葉の代わりに、そのようにして優しさを知ることもある。

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