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チベット僧院での問答の仕方(実践編)

これは、チベットのゲルク派僧院における問答(rtags gsal)についてその基礎から述べ、今後ゲルク派僧院に留学する予定のある人が円滑に問答会場(chos ra)に参加できるように手助けするものである。本章の読者としては、ドゥラ(bsdus grwa)はある程度読めるが、ドゥラに書かれていることをどう実際の問答に活かせばよいかはっきりとは分からない人を想定している(それはまさに留学前の私である。そういった人は日本にそれなりにいると思う)。

また、問答の細かな言い回しや流儀は各僧院によって異なる。ここで記すのは、ギュメ学堂のドゥラ小学級(bsdus chung)の問答に参加して自分が問答をする中で身につけた作法である。そしてそれは、セラ寺出身のゲン・チャンパニェンダー、ゲン・ツェワンの懇切丁寧な指導と、同級生の言い回しに基づいている。そして、ドゥラはギュメ寺が採用している『ヨンジン・ドゥラ』に基づく。

基本的な問答の進め方は、どの章であっても同じである。したがって、一つの章でカタをきっちりと習得すると応用がきく。本説明では、ドゥラ小(bsdus grwa chung ba)で扱う範囲を満遍なく網羅して、問答のフレーズと実際のやり方を説明する。ドゥラ小学級(bsdus chung)は、ゲルク派のお寺に入ったお坊さんが最初に属する学級であり、最も基礎的な教義の学習をする。留学した場合、この学級に所属することになることが多い。

問答会場への持ち物と基本的な作法

問答は大抵夕方に行われる。ギュメ学堂の場合は、18時に鐘が鳴るのでそれを合図に集合する。問答の会場はチューラ(chos ra)と呼ばれ、本堂の近くにある。そこから、個人戦を19時まで。団体戦を19時から19時半まで行う。出席確認は、団体戦の初めにされる。問答が19時半終わると、密教の儀軌の暗唱(skyor sbyang)が行われる。儀軌の暗唱は密教に関わる事柄であるので、留学生の参加は認められない。

持ち物は、座布団と念珠の二つである。地べたに座り袈裟などが汚れるのを忌むためか、基本地べたに座ることはない。座布団に胡坐する形になる。念珠は問答の際左手に掛ける。基本、本や紙などは持ち込まない。とはいえ、問答の後に暗唱があるので、そのためのテクストと折り畳み机を持ってくるものも幾人かいる。いずれにせよ、問答の途中で定義を参照するために紙を見たりすることはない。定義をど忘れした場合は、見回りの監督に聞くか、問答を組んでいるパートナー同士で確認し合う。できるだけパートナー同士で自己解決することが推奨される。

問答は、二人でするものと、団体でするものがある。両者に大きな違いはない。二人でするものに慣れたなら、団体のものにもすぐ慣れることができる。二人でする場合、立って問いを投げ議論を進める側と、座って問いに答え自説を守る側の二人がいる。前者を、タクセルトンゲン(rtags gsal btong mkhan)あるいは、チワタンゲン(dri ba btang mkhan)という。後者をタムチャワ(dam bcha' ba)という。

チワタンゲンの方は定義の確認などの基礎的な項目が終わると、メチャクチャな主張をする。あるいは、基礎的な項目でタムチャワが犯した誤りを追求する。タムチャワの方はチワタンゲンの追求を論理的に正しく切り崩していく必要がある。問答の面白さはチワタンゲンのテーマ選択のセンスにかかっているが、他方、タムチャワのほうも少し間違えたり、間違えにこだわり続けたりするなどすれば面白くなる。

チワタンゲンは、念珠を一匝にして左手に掛け、袈裟を外して腰に巻き付けることが多い。もちろん袈裟をつけたまま問答してもよい。チワタンゲンは立って、座っているタムチャワに問いを投げるたびに手を打つ。自分が問いを言っている間は、左手の掌を相手に見せ、右手を右耳の上あたりに上げている。問いを言い終えると胸の前あたりで掌同士を打ち、音を鳴らす。そのとき左足を上げて、地面に踏み込む。この踏み込んだ勢いで念珠が腕から外れそうになるので、右手を左手に巻き付ける形で、念珠を右手で左脇の辺りまで押し上げる。この動作をしている間にタムチャワは回答する。

回答が遅い場合は、「ヨーチルチル」と言い、掌を2回上の方で叩いて急かす。これをチルと呼ぶ。セラ寺はチルの回数は3回で「チルチルチル」という。ギュメ学堂は、「ヨーチルチル」と2回のみである。しかし、二人組で組んでいるときは、小声で「チル」が一回だけで手を叩かないことがある。また団体戦のときは、多くの場合、「ヨーチルチル、ヨーチルチル」と2回セットにする。そして、タムチャワが回答したら、再び、左手の掌を相手に見せ、右手を右耳の上あたりに上げて、問いを発する。この繰り返しである。とはいえ、念珠の扱いなどはきっちりとはなされず、ただ手を叩くだけのことが多い。

問答中、チワタンゲンが言葉に詰まるのはよくない。タムチャワが言葉に詰まることはよくあるが、チワタンゲンは頭の中にシナリオがあるので言葉に詰まることは通常ない。もし詰まりそうになったら、そのときの繋ぎ言葉は「ター」と「ヤー」である。それ以外の「アニ」「カレサー」といったよく口語で使われる繋ぎ言葉は使用しない。「ター」は問いを発する前に使われ、「ヤー」は問いを発している途中に使われる。具体的には「ター、マインバータッ(ta/ ma yin par thal)」、「インバータッ、ヤー、コニガワインベーチル(yin par thal/ ya/ kho gnyis 'gal ba yin pa'i phyir/)などである。

セラ寺出身の先生が雑談で、ガンデン寺の僧侶たちは、言葉に詰まったときに、yin par thal/ を「インバータ」と言わずに、「インバータールルル」などと l を何度も発音して時間を稼いでいると揶揄っていたが、真偽のほどは定かではない。タムチャワも言葉に詰まったときは、de red/ de red/ と言って、チルされることを防ぐ方法がある。さまざまに言葉に詰まることを防ぐ方法が学僧により開発されているが、あまり本質的ではなく、重要なのは、スムーズに速やかに受け答えすることである。

タムチャワについては、基本自分が持ってきた座布団の上に胡坐して座る。その際は靴を必ず脱ぐ。座る側は基本袈裟を着崩さない。念珠はポケットにしまっているか、あるいは腕に三匝か四匝してかけている。タムチャワは、決められた短い返答の言葉しか返すことができないが、いくつかのケースでは言葉を発することができる。とはいえ、そういった原則は守られず、口語でチワタンゲンに突っ込みを入れることがある。タムチャワはチワタンゲンの質問が遅ければ、チルをするか、あるいはあなたの質問はそれで終わりなのかという意味を込めて、「ゾースレタ(rdzogs song re 'dra)」と言って急かすことができる。しかし、これは半ばネタであり、正式な用いられ方ではない。正式には、タムチャワはチワタンゲンの質問が遅い場合、チワタンゲンの質問の声が小さくてよく分からない場合に、「ドゥートゥーン」と言って急かしたり、言い直させたりすることができる。しかし、実際の問答で「ドゥートゥーン」はほとんど使われない。

問答会場では、見回りの先生がいるが、主に雑談をしていないかをチェックしている。しかし、一部の僧侶は雑談をしており、その雑談がバレないように、一定のテンポで手を叩いて問答をしているように見せかける工作などをおこなっている。留学生はできるだけ雑談を避けて熱心に問答している方が心象がよい。

ギュメの場合は、団体戦のときに、同じ学級の人が集まって問答をするが、そのときに出席確認がある。返事は「ラーユ(lags yod)」と答えるのみでよい。名簿に名前を載せてもらいやすくするために、チベット名があるとよい。チベット名があると、問答のときにも自分を定義基体(mtshan gzhi)として挙げられるので便利である。

問答を始めるにあたって構文の確認

さて、この箇所以降、立って議論を進める側であるチワタンゲンをA、座って受け答えするタムチャワとBとする。本稿は、ドゥラをある程度読める人を対象に執筆しているので、ここで問答の基本的な構文を詳細に解説することはしない。問答の実践的な部分について主に説明する。

とはいえ、簡単に、基本的な受け答えについて説明する。「Pチューチェン。Qインバータ。Rインペーチル(P chos can/ Q yin par thal/ R yin pa'i phyir/)」という構文と、Pインナ、Qインベキャワター(R yin na Q yin pas khyab par thal/)という二つの主要な構文を理解していれば問題がない。前者の意味は、「PはQである。Rであるから。」であり、後者の意味は、「あるものがRであれば、それは絶対(インジーミンジ)Qでなければならない」の意味である。集合論的な言葉遣いでは、RがQに含まれているという意味になる。基本的にこれらのことは、Aが言う。

他方、Bは、ドゥー('dod)、チーチル(ci'i phyir)、ターマドゥプ(rtags ma grub)、キャパーマチュン(khyab pa ma byung)を受け答えに用いる。もちろん他にも答えるべきものはあるが、基本はこの四つである。それぞれ意味は、前から、承認、不承認、因がおかしい、因と述語との遍充関係がおかしい、の意味になる。前の記号を用いるなら、ドゥーは、PとQの関係が主述として妥当だと認められる場合に使う。チーチルは、PとQの関係が主述として妥当だと認められない場合に使う。ターマドゥプは、PとRの関係が主述としておかしい場合に使う。キャパーマチュンは、RがQに含まれていない場合に使う。また、ドゥーとチーチルは、Aの質問がター(thal)で終わっている時に使用する。ターマドゥプとキャパーマチュンは、Aの質問がチル(phyir)で終わっている時に使用する。

Aが投げかけられるのは、PQRのセットか、PQのセットか、Qのみか、Rのみかである。Pのみで投げかけることは基本的にない。ただ、Rのみの場合は言語としておかしいので、意味のない空っぽのQを用意する。それが、「マインバータ」であり、ma yin par thal/ R yin pa'i phyi/ のように用いる。P、Q、Rをそれぞれ、ツシー(rtsog gzhi)、サワー(gsal ba)、ター(rtags)という。以上が基本的な構文のごく簡単な説明である。

まず議論を始めるときは、文殊菩薩の種字真言ディー(dhiḥ)を唱える。ディー・ジタルチューチェン・マインバター(dhiḥ ji ltar chos can/ ma yin par thal/)このように始める。この文章には意味がないが、形式的にこのように始めると定められている。そして、ここに理由(rtags)を付け加え、この理由を否定する形で、議論が始まる。議論が始まると、最初に聞かなければならないことは、ある程度決まっている。それらを聞き終えると、自分のやりたいように議論する。次で述べるのは、最初に聞く必要のある事柄である。

基本の問答の仕方とドゥラとの対応関係

まず、『ヨンジン・ドゥラ』の因果の設定(rgyud 'bras rnam gzhag)の自説(rang gi lugs pa)に、以下のように因の定義が与えられている。

རྒྱུའི་མཚན་ཉིད་ཡོད་དེ། སྐྱེད་བྱེད་དེ་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།

これをもとに問答をいかにするのか。それは以下の通りになる。ここであるAはチワタンゲンであり、Bはタムチャワである。そして、行数の番号はやり取りの順である。Aは各行の終わりに前述の方法で手を叩く。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན།
7A སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན། རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A སྐྱེད་བྱེད་ཡིན་ན། རྒྱུ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
10B འདོད།
11A ཁྱབ་སྟེ།
12B ཁོ་གཉིས་མཚན་མཚོན་ཡིན་པའི་ཕྱིར།

1行目の文章は前項で述べたとおり、意味があるのは理由を述べている部分である。そして、その理由の部分は明らかにおかしいので、それをターマドゥプで否定するところから始まる。5行目のショーは、今議論になっているそれを答えてみよという意味で、ここでは定義を答えろという意味になる。それは定義を答えろ(mtshan nyid zhog)と言い換えることもできるが、この言い回しは授業では使われるが、実際の問答ではほとんど使われない。そして、6行目で答える。定義であるならば、それが満たすべき遍充があり、それを確認するために、7行目がある。7行目の部分は重要な意味を議論にもたらさないので、AはこのときBの方を向かずによそ見して言ったり、くるくる回転しながら言ったり、歩きながら言ったりする。9行目もほとんどおまけである。定義であるなら必ず遍充していることを確認している。11行目のキャプテ(khyab ste)は、10行目の主張が成り立つ理由を聞いている。大抵末尾の音を高くして発音される。回答としては、その理由が定義と定義対象であることによるから、12行目のように答える。この問答はほぼ機械的に行われるので、丸暗記でも差し支えない。

12行目の答え方にはいくつかのヴァリエーションがある。最も模範的なのはskyed byed rgyud yi mtshan gnyis yin pa'i phyir/である。しかし、最も多用されるのは、上に書いた通り、kho gnyis mtshan mtshon yin pa'i phyir/ である。もしこの後、kho gnyis mtshan mtshon yin te/ とその理由を聞かれた場合は、kho gnyis mtshan mtshon khyab pa sgo brgyad tshad mas nges rim dang bcas pa grub pa'i phyir/ と答える必要がある。これを早口で言えるようにしておくことが好ましい。

私が問答で最初に躓いたのは、論理的な問題でなく、早口で言うべき言葉をすらすら暗記して言うことだった。先生が授業中に何度もフレーズを繰り返してくれるので、意味はわからなくてもとにかくその場で覚えることに専念すれば、対応できる。

お坊さんはカム人が多いので、カム訛りに対応することも重要である。カム訛りでは、chos はチューではなく、チーである。skyed byed chos can/ rgyu yi mtshan nyid yin par thal/ は、ケーチェーチューチェン、ギューイツェンニーインバータではなく、シェーシェチーチェン、ジューイツェンニーインバータとなる。最初は戸惑うが、スペルと対応させて理解すると規則性があるので、すぐに慣れる。

オッツァとツァウェータムチャワ・オッツァの使い方

以上の標準的な問答に引っ掛けをAが作ったとして、Bがまんまと引っかかり、そしてそこから矛盾をAは引き出したとする。いわば論破したそのとき、AはBに言う特別な言葉がある。それは「オーツァ、オーツァア(ngo tsha/ ngo tsha/)」である。1回目のオーツァで、Aは自分の左手の掌の上で右手の甲を叩き、2回目のオーツァでAは右手の掌の上で左手の甲を叩く。「ツァア」と1回のみの場合もある。その時はオーをきっちり発音しない。できるだけ相手の目の前に手を近づけて叩く。以下、使い方を見る。なお、「???」は論理的に誤った反応をしている場所につけており、「!!!」はオーツァの箇所につけている。それぞれ対応関係にある。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B བུམ་པ་ཁོ་རང་ཆོས་ཅན།
7A བུམ་པ་ཁོ་རང་དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་ཡིན་ན། བུམ་པ་ཁོ་རང་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
10B ཅིའི་ཕྱིར།
11A བུམ་པ་ཁོ་རང་དེ་བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
12B རྟགས་མ་གྲུབ། ???
13A འོ་ན། བུམ་པ་ཁོ་རང་དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
14B ཅིའི་ཕྱིར།
15A འོ་ན། བུམ་པ་ཁོ་རང་དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་ཡིན་པར་ཐལ།
16B འདོད།
17A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ། !!!
18A བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་ཡིན་ན། བུམ་པ་ཁོ་རང་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ། བུམ་པ་ཁོ་རང་དེ་བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
19B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
20A བུམ་པ་ཁོ་རང་བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་ཡིན་ན། བུ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་ཡིན་ན་བུམ་པ་ཁོ་རང་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
21B འདོད།
22A མ་ཁྱབ་པ་ཞོག
23B བུམ་པའི་ཁ་དོག་ཆོས་ཅན།
24A བུམ་པའི་ཁ་དོག་དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་འབྲས་བུ་ཡིན་པར་ཐལ།
25B འདོད།
26A བུམ་པའི་ཁ་དོག་དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པོ་ཁོ་རང་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
27B འདོད།

上の議論で、12行目でBが論理的に間違った反応をしている。それを揚げ足取る形で、Aは議論を進め、15行目でおかしいことを確認し、17行目でオーツァとなっている。そして、オーツァが出ると、今までの間違った反応は帳消しされて、議論がおかしな反応をする前に戻り再スタートする。この場合は、12行目でキャパーマチュンと答えるべきところ、ターマドゥプと答えたのでこのようになった。したがって、Bは二度目の議論では、19行目で正しく答えている。上の議論で何が行われているかについては、『ヨンジンドゥラ』の該当箇所の自説の設定を一通り理解すれば、容易に意味は知られるので、ここでは説明しない。

次にツァーウェータムチャワ・オーツァの使い方について説明する。これはBの最初の主張が間違えていたときに使われる。例えば、以下の問答を見てみる。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། ཚོགས་སྤྱི་ཡིན་ན་སྤྱི་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
2B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་། ???
3A ཚོགས་སྤྱི་ཡིན་ན་སྤྱི་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཀ་བུམ་གཉིས་ཆོས་ཅན། སྤྱི་ཡིན་པར་ཐལ།
6B འདོད། ???
7A ཀ་བུམ་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཁོ་གཉིས་ལ་བྱེ་བྲག་ཡོད་པར་ཐལ།
8B འདོད། ???
9A ཀ་བུམ་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཁོ་གཉིས་ལ་ཡིན་པ་ཡོད་པར་ཐལ།
10B ཅིའི་ཕྱིར།
11A ཀ་བུམ་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཁོ་གཉིས་ལ་ཡིན་པ་མེད་པར་ཐལ།
12B འདོད།
13A ཀ་བུམ་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཁོ་གཉིས་ལ་བྱེ་བྲག་མེད་པར་ཐལ།
14B ཅིའི་ཕྱིར།
15A མེད་པར་ཐལ། ཁོ་གཉིས་ལ་ཡིན་པ་མེད་པའི་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
16B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
17A ཁྱབ་པར་ཡོད་པར་ཐལ། ཁྱོད་གཉིས་ལ་ཡིན་པ་མེད་ན་ཁྱོད་གཉིས་ལ་བྱེ་བྲག་མེད་པའི་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
18B འདོད།
19A ཀ་བུམ་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཁོ་གཉིས་ལ་བྱེད་བྲག་མེད་པར་ཐལ།
20B འདོད།
21A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ། !!!
22A ཀ་བུམ་གཉིས་ཆོས་ཅན། སྤྱི་ཡིན་པར་ཐལ།
23B ཅིའི་ཕྱིར།
24A ཀ་བུམ་གཉིས་ཆོས་ཅན། སྤྱི་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
25B འདོད།
26A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ། !!!
27A ཀ་བུམ་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཚོགས་སྤྱི་ཡིན་པར་ཐལ།
28B འདོད།
29A ཚོགས་སྤྱི་ཡིན་ན་སྤྱི་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
30B འདོད།
31A ཚོགས་སྤྱི་ཡིན་ན་སྤྱི་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་བཞག་རྒྱུ་མེད་པར་ཐལ།
32B འདོད།
33A རྩ་བའི་དམ་བཅའ་བ་ངོ་ཚ། !!!

上の問答では、Bは2行目でターマドゥプと答えるべきところを、キャパーマチュンと答えてしまったことによる矛盾を、初期の段階で気づかずに、その後何度も矛盾を作ってしまい、最終的に3回もオーツァが出たものだ。21行目のオーツァは8行目の間違えに起因する。26行目のオーツァは6行目の間違えに起因する。そして、33行目のオーツァは、2行目の間違えに起因する。問答が始まってわずか数秒で間違いを犯しており、タムチャワの最初の主張が誤りなので、33行目では、ツァウェータムチャワオーツァと言う。このときAは一度だけ、オーツァと同じ要領で手を叩く。ツァウェータムチャワオーツァが出ると、そもそも最初の主張からおかしいので、正しかった時点に戻り議論を再開するということはしない。最初から議論をやり直す。

ちなみに31行目の表現は、いわばタメというもので、31行目でオーツァにしてもいいが、Bに自身の主張の非をはっきりと認めさせるために、このようにいう場合がある。特にツァーウェータムチャワ・オーツァの際は、このフレーズで一度タメを作り、盛大にオーツァと叫ぶことが多い。

また、2行目のキャパーマチュンは特殊な用法である。これは実際の遍充関係について否定しているのではなくて、理由以外が空っぽの主張の場合で、その理由を承認する場合は、キャパーマチュン、承認しない場合はターマドゥプと言うという規則がある。いわばドゥーと同じ意味を持つキャパーマチュンである。

ペーチャタンガー・チャーペタダンガー、ディーコルスムの使い方

ペーチャタンガー・チャーペダンガー(dpe cha dang 'gal/ phyag dpe dang 'gal)は、Bの主張が論理的に誤っているのではなく、定義の暗記間違えといった過失により教義と反していることを主張している場合、あるいは、ドゥーの連発でBが意図的に教義と反してまで自説を曲げない場合に使われる文句である。使い方は例えば、以下の通り。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། བེམ་པོ་ཡི་མཚན་ཉིད་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་ཆོས་ཅན། !!!
7A མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་ཆོས་ཅན། བེམ་པོ་ཡི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A མ་ཡིན་པར་ཐལ། མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་གཟུགས་ཀྱི་སྐྱེ་མཆེད་ཀྱི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པའི་ཕྱིར། རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་བེམ་པོའི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
10B རྟགས་མ་གྲུབ།
11A ག་རེའི་རྟགས་མ་གྲུབ།
12B གཉིས་པ་མ་གྲུབ། !!!
13A རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་ཆོས་ཅན། བེམ་པོའི་མཚན་ཉིད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
14B འདོད།
15A མ་ཡིན་ན། དཔེ་ཆ་དང་འགལ། ཕྱག་དཔེ་དང་འགལ། དེ་ཡིན་པར་ཐལ། དེ་ལྟར་ཡིན་པ་དེ་ནི། རང་ཅག་རྣམས་ལ་བཀའ་དྲིན་དང་ཐུགས་རྗེ་བླ་ན་མཆིས་པ་ཆེན་པོ་ཡོངས་འཛིན་ཕུན་ལྕོག་བྱམས་པ་རྒྱ་མཚོ་ཐམས་ཅད་མཁྱེན་པ་རང་ཉིད་ཀྱི་དགོངས་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། འཁོར་གསུམ། !!!
16A ཡིན་པར་ཐལ། རང་ཉིད་ཀྱི་མཛད་པའི་ཡོངས་འཛིན་བསྡུས་གྲྭ་ཆུང་བ་ལས། བེམ་པོའི་མཚན་ཉིད་ཡོད་དེ། རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་དེ་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། ཞེས་གསུངས་པའི་ཕྱིར།
17A དེ་འདྲའི་ལུང་དེ་ཆོས་ཅན། སྒྲ་ཇི་བཞིན་པ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
18B ཅིའི་ཕྱིར།
19A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ། !!!
20A རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་ཆོས་ཅན། བེམ་པོའི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
21B འདོད།
22A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ། !!!

上の問答で、Bは bem po と gzugs kyi skye mched の定義を間違えて答えたにも関わらず、その後自分の主張を撤回しなかったために、『ヨンジンドゥラ』の定義を否定する回答を12行目で言ってしまい、教義を否定する発言を行った。確かに、bem po と gzugs は同義で、gzugs kyi skye mched の定義と混乱する気持ちも分からないではない。とはいえ、もし10行目で自分の非を認めていれば、ただのオーツァで済む。

このような自説に固執して、教義に反する場合には、15行目でこのペーチャタンガー・チャーペタンガーを使う。このガーを言うときにオーツァと同じ要領で手を叩く。チャーペタンガーを付け加えるのは、セラ寺の流儀で、他の僧院の流儀ではペーチャタンガーだけのことが多いようだ。ギュメ学堂は、ペーチャタンガー・チャーペタンガーという形で2回手を叩く流儀を採用している。15、16、17行目は一連の流れなので、早口で一息で言う必要がある。団体でやる場合は息をそろえて早口で言いうので、とても盛り上がる。15行目の ma yin na/ は 'dod na/ といってもよい。ちなみに私は、ma yin na/ を好んで使う。

15行目のコルスム('khor gsum)のときには、ディーコルスムという形で文殊菩薩の種字真言を最初に付けて唱える。このとき高めの声、できれば裏声を使ってディーと言う。そしてコルスムのときに、念珠を右手に持ち替えて、Bの頭の上を回す。ただし、このディーコルスムをしてよいのはBの方がAに比べて年少であるときに限ってであり、年齢がわからない場合は、しない方が無難で、ディーコルスムを飛ばして16行目のセリフに入るのがよい。ディーコルスムのときに念珠を頭の上で回すに留まらず、Bの頭を手で掴み揺さぶるAも中にはいる。

ディーコルスムの乱用は好まれない。一回の問答あたり一回までに止めるのが普通である。できる限り、論証によって解決すべきとの考えがある。ちなみに、教証を引かずにBを論破しようと考えるならば、上の問答の15行目以下を変えて、以下のような問答がありうる。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། བེམ་པོ་ཡི་མཚན་ཉིད་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་ཆོས་ཅན།
7A མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་ཆོས་ཅན། བེམ་པོ་ཡི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A མ་ཡིན་པར་ཐལ། མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་གཟུགས་ཀྱི་སྐྱེ་མཆེད་ཀྱི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པའི་ཕྱིར། རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་བེམ་པོའི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
10B རྟགས་མ་གྲུབ།
11A ག་རེའི་རྟགས་མ་གྲུབ།
12B གཉིས་པ་མ་གྲུབ།
13A རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་ཆོས་ཅན། བེམ་པོའི་མཚན་ཉིད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
14B འདོད། ???
15A ཡིན་པར་ཐལ། རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་དང་བེམ་པོ་གཉིས་ལ་མཚན་མཚོན་ཁྱབ་པ་སྒོ་བརྒྱད་གྲུབ་པའི་ཕྱིར།
16B རྟགས་མ་གྲུབ།
17A གྲུབ་པར་ཐལ། རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་ཡིན་ན་བེམ་པོ་ཡིན་པས་ཁྱབ། བེམ་པོ་ཡིན་ན་རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་ཡིན་པས་ཁྱབ། རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་མ་ཡིན་ན་བེམ་པོ་མ་ཡིན་པས་ཁྱབ། བེམ་པོ་མ་ཡིན་ན་རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་མ་ཡིན་པས་ཁྱབ། རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་ཡོད་ན་བེམ་པོ་ཡོད་པས་ཁྱབ། བེམ་པོ་ཡོད་ན་རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་ཡོད་པས་ཁྱབ། རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་མེད་ན་བེམ་པོ་མེད་པས་ཁྱབ། བེམ་པོ་མེད་ན་རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་མེད་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
18B འདོད།
19A རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་དང་བེམ་པོ་གཉིས་ལ་མཚན་མཚོན་ཁྱབ་པ་སྒོ་བརྒྱད་གྲུབ་པར་ཐལ།
20B འདོད།
21A རྡུལ་དུ་གྲུབ་པ་ཆོས་ཅན། བེམ་པོའི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
22B འདོད།
23A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ། !!!

この問答では、定義が定義である理由を、『ヨンジンドゥラ』に求めずに、定義が定義であるために必要な定義と定義対象との八つの遍充関係をそれぞれ理由として愚直に17行目で示したものである。

これで実際の問答でBが折れるかは微妙なところだが、例えば、ここでターマドゥプと反応した場合でも、それぞれ遍充関係を満たさない定義基体(mtshan gzhi)を示させて、それがなければその主張は退けられるし、たとえBが例示したとしても、それを個別に検討すればその主張は退けられる。

ただし、8通り全ての場合を検討するとかなりの時間を要し、またそのような問答は頭を使わないので、避けられるべきものである。問答では頭を使うことが要求される。ちなみに、11行目のカレターマードゥプは、二つ以上理由をあげたとき、そのうちの何番目の理由がおかしいか尋ねる表現である。

問答における代名詞 khyod の使い方

問答では主題(rtsod gzhi)を指し示す際に、khyod を正式には用いる。しかし、kho も口語的ではあるが許容される。使用頻度は双方同じくらいである。また、rang や rang nyid も khyod と同じように使用することができる。

以下において、khyod の使い方を見てみる。Khyod がある場合とない場合とで、大きな違いをもたらす問答を例示する。

1A ཀ་བ་ཆོས་ཅན། མི་ཡོད་པར་ཐལ།
2B ཅིའི་ཕྱིར།
3A མི་མེད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
6A ཀ་བ་བཟོས་པའི་གང་ཟག་མེད་པར་ཐལ།
7B ཅིའི་ཕྱིར།
8A མི་མེད་པའི་ཕྱིར།
9B རྟགས་མ་གྲུབ།
10A ཀ་བ་ཆོས་ཅན། མི་ཡོད་པར་ཐལ།
11B འདོད།
12A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ།
13A ཀ་བ་ཆོས་ཅན། ཁྱོད་ལ་མི་ཡོད་པར་ཐལ།
14B ཅིའི་ཕྱིར།
15A ཁྱོད་ལ་མི་ཡོད་པར་ཐལ། མི་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
16B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
17A མི་ཡོད་ན་ཁྱོད་ལ་མི་ཡོད་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
18B འདོད།

ここでは、ka ba chos can/ mi yod par thal/ といった場合には、承認してよい。人は存在するからである。しかし、ka ba chos can/ khyod la mi yod par thal/ と言われたら承認してはならない。柱に人はいないからである。yin や ma yin の場合は、rtsod gzhi が gsal ba に強い拘束力を持つが、yod や med の場合はそうではない。したがって、rtsod gzhi が gsal ba に影響を及ぼすことを明示しようとした場合には、khyod という言葉を補う必要がある。これは、kho や rang や rang nyid と言い換えることができる。

ちなみに、rtsod gzhi の中において、khyod chos can/ ということはほとんどない。多くは、de chos can/ となり、de を用いる。

以上のような何かと特定のものを指し示す代名詞としての役割を khyod は持っている。他方、不特定のあるもの、任意の何かを示す役割も khyod にはある。任意の何かを指し示すときには、khyod のみが用いられ、それ以外の代名詞は用いられない。例は以下の通りである。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། ཁྱོད་མཚན་ཉིད་ཡིན་ན་མཚན་ཉིད་ཁྱོད་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ
3A ཁྱོད་མཚན་ཉིད་ཡིན་ན་མཚན་ཉིད་ཁྱོད་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B དོན་བྱེད་ནུས་པ་ཆོས་ཅན།
7A དོན་བྱེད་ནུས་པ་ཆོས་ཅན། མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A མཚན་ཉིད་ཡིན་ཏེ།
10B དོན་བྱེད་ནུས་པ་དངོས་པོའི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
11A མཚན་ཉིད་ཆོས་ཅན། དོན་བྱེད་ནུས་པ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
12B འདོད།
13A མ་ཡིན་ཏེ།
14B རྟག་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
15A མཚན་ཉིད་ཆོས་ཅན། རྟག་པ་ཡིན་པར་ཐལ།
16B འདོད།
17A དོན་བྱེད་ནུས་པ་ཆོས་ཅན། རྟག་པ་ཡིན་པར་ཐལ།
18B ཅིའི་ཕྱིར།
19A ཡིན་པར་ཐལ། མཚན་ཉིད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
20B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
21A མཚན་ཉིད་ཡིན་ན་རྟག་པ་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
22B འདོད།

この3行目はどのように理解すればいいかというと、あるものが定義であるとしても、定義がそのものであるとは限らない場合がある、という主張として理解し、5行目はその場合の具体的なものを示せと理解すればよい。

定義自体(mtshan nyid kho rang)は常(rtag pa)であるが、あるものが定義だからといってそのものが絶対常であるとは限らない。その理解を問うた問答が17行目以降であり、20行目のように返答すればよい。

ドゥラの内容を確認するための問答

さて以上の言い回しを理解したところで、「補論3:最も基本の問答の仕方とドゥラとの対応関係」の続きをについてここで述べる。まず、『ヨンジン・ドゥラ』の因果の設定(rgyud 'bras rnam gzhag)の自説(rang gi lugs pa)は、以下のようである。

གཉིས་པ་རང་གི་ལུགས་ལ།
རྒྱུའི་མཚན་ཉིད་ཡོད་དེ། སྐྱེད་བྱེད་དེ་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། ・・・(I)
རྒྱུ་འབྲས་བུ་དངོས་པོ་གསུམ་དོན་གཅིག ・・・(II)
དངོས་པོའི་རྒྱུའི་མཚན་ཉིད་ཡོད་དེ། དངོས་པོའི་སྐྱེད་བྱེད་དེ་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། དངོས་པོ་ཡིན་ན། ཁྱོད་ཀྱི་སྐྱེད་བྱེད་ཁྱོད་ཀྱི་རྒྱུའི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར། ・・・(III)
དངོས་པོའི་རྒྱུ་ལ་དབྱེ་ན་གཉིས་ཡོད་དེ། དངོས་པོའི་དངོས་རྒྱུ་དང་། དངོས་པོའི་བརྒྱུད་རྒྱུ་གཉིས་ཡོད་པའི་ཕྱིར།・・・(IV)
དངོས་པོའི་དངོས་རྒྱུའི་མཚན་ཉིད་ཡོད་དེ། དངོས་པོའི་དངོས་སུ་སྐྱེད་བྱེད་དེ་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།・・・(V)
མཚན་གཞི་ཡོད་དེ། དངོས་པོའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་དེ་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།・・・(VI)
དངོས་པོའི་བརྒྱུད་རྒྱུའི་མཚན་ཉིད་ཡོད་དེ། དངོས་པོའི་བརྒྱུད་ནས་སྐྱེད་བྱེད་དེ་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།・・・(VII)
མཚན་གཞི་ཡོད་དེ། དངོས་པོའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་དེ་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།・・・(VIII)
དེས་དངོས་པོ་ཐམས་ཅད་ཀྱི་དངོས་རྒྱུ་དང་བརྒྱུད་རྒྱུ་རིགས་འགྲེ།
ཡང་དངོས་པོའི་རྒྱུ་ལ་དབྱེ་ན། གཉིས་ཡོད་དེ། དངོས་པོའི་ཉེར་ལེན་དང་དངོས་པོའི་ལྷན་ཅིག་བྱེད་རྐྱེན་གཉིས་ཡོད་པའི་ཕྱིར། ・・・(IX)

上のドゥラの内容が暗記できているかを確認するための問答は以下の通りである。ドゥラ本文に筆者がつけたローマ数字は、以下の問答群の該当箇所との対応を示すためのものである。ドゥラ本文がどのように問答に結びついているかを確認していただきたい。

(I)
1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག།
6B སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན།
7A སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན། རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A སྐྱེད་བྱེད་ཡིན་ན། རྒྱུ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
10B འདོད།
11A ཁྱབ་སྟེ།
12B ཁོ་གཉིས་མཚན་མཚོན་ཡིན་པའི་ཕྱིར།

(II)
13A རྒྱུ་དང་ག་རེ་དོན་གཅིག
14B རྒྱུ་འབྲས་བུ་དངོས་པོ་གསུམ་དོན་གཅིག
15A རྒྱུ་འབྲས་བུ་དངོས་པོ་གསུམ་དེ་ཆོས་ཅན། དོན་གཅིག་ཡིན་པར་ཐལ།
16B འདོད།

13行目はかなり口語的な表現で、このときは行末でも手を叩かない。

(III)
17A ཏ་མ་ཡིན་པར་ཐལ། དངོས་པོའི་རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
18B རྟགས་མ་གྲུབ།
19A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
20B འདོད།
21A ཞོག
22B དངོས་པོའི་སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན།
23A དངོས་པོའི་སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན། དངོས་པོའི་རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
24B འདོད།

(IV)
25A དངོས་པོའི་རྒྱུ་ལ་དབྱེ་ན་ག་ཚོད་བཞག
26B གཉིས་བཞག
27A གཉིས་མེད་པར་ཐལ། གཉིས་རེ་རེ་ནས་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
28B རྟགས་མ་གྲུབ།
29A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
30B འདོད།
31A ཞོག
32B དངོས་པོའི་དངོས་རྒྱུ་དང་དངོས་པོའི་བརྒྱུད་རྒྱུ་གཉིས་ཆོས་ཅན།
33A དངོས་པོའི་དངོས་རྒྱུ་དང་དངོས་པོའི་བརྒྱུད་རྒྱུ་གཉིས་དེ་ཆོས་ཅན། དངོས་པོའི་རྒྱུ་ཡི་དབྱེ་བ་ཡིན་པར་ཐལ།
34B འདོད།

25行目の数を尋ねる問答表現は、ga tshod bzhag 以外にも、ga tshod zhog や ga tshod yod(標準的にはカツーユーとなるが、カム訛りは、カセーイェーとなる)。があるが、多用されるのは、ga tshod bzhag である。また、dbye ba は高い声調で発音する必要がある。また25行目も手を叩かない。

(V)
35A ཏ་མ་ཡིན་པར་ཐལ། དངོས་པོའི་དངོས་རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
36B རྟགས་མ་གྲུབ།
37A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
38B འདོད།
39A ཞོག
40B དངོས་པོའི་དངོས་སུ་སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན།
41A དངོས་པོའི་དངོས་སུ་སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན། དངོས་པོའི་དངོས་རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
42B འདོད།

(VI)
43A ཏ་མ་ཡིན་པར་ཐལ། དངོས་པོའི་དངོས་རྒྱུ་ཡི་མཚན་གཞི་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
44B རྟགས་མ་གྲུབ།
45A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
46B འདོད།
47A ཞོག
48B དངོས་པོའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་ཆོས་ཅན།
49A དངོས་པོའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་ཆོས་ཅན། དངོས་པོའི་དངོས་རྒྱུ་ཡི་མཚན་གཞི་ཡིན་པར་ཐལ།
50B འདོད།

(VII)
51A ཏ་མ་ཡིན་པར་ཐལ། དངོས་པོའི་བརྒྱུད་རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
52B རྟགས་མ་གྲུབ།
53A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
54B འདོད།
55A ཞོག
56B དངོས་པོའི་བརྒྱུད་ནས་སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན།
57A དངོས་པོའི་བརྒྱུད་ནས་སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན། དངོས་པོའི་བརྒྱུད་རྒྱུ་ཡི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
58B འདོད།

(VIII)
59A ཏ་མ་ཡིན་པར་ཐལ། དངོས་པོའི་བརྒྱུད་རྒྱུ་ཡི་མཚན་གཞི་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
60B རྟགས་མ་གྲུབ།
61A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
62B འདོད།
63A ཞོག
64B དངོས་པོའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་ཆོས་ཅན།
65A དངོས་པོའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་ཆོས་ཅན། དངོས་པོའི་རྒྱུད་རྒྱུ་ཡི་མཚན་གཞི་ཡིན་པར་ཐལ།
66B འདོད།

(IX)
67A ཡང་རྒྱུ་ལ་དབྱེ་ན་ག་ཚོད་བཞག
68B གཉིས་བཞག
69A གཉིས་མེད་པར་ཐལ། གཉིས་རེ་རེ་ནས་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
70B རྟགས་མ་གྲུབ།
71A གཉིས་རེ་རེ་ནས་བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
72B འདོད།
73A གཉིས་དེ་ཞོག
74B ཉེར་ལེན་དང་ལྷན་ཅིག་བྱེད་རྐྱེན་གཉིས་ཆོས་ཅན།
75A ཉེར་ལེན་དང་དངོས་པོའི་ལྷན་ཅིག་བྱེད་རྐྱེན་གཉིས་དེ་ཆོས་ཅན། རྒྱུ་ཡི་དབྱེ་བ་ཡིན་པར་ཐལ།
76B འདོད།

67行目はいきなり yang から始まるが、この yang は問答の中で特別な意味を持っている。『ヨンジンドゥラ』に二つの分類の仕方があるときにドゥラで言及される順番が後の方の分類を答えさせたいときに、yang を使う。

以上に示した一連の問答は、どれほど年少の僧侶であってもドゥラ小学級に属している限りできるものである。そして、この一連の問答ができなければ、問答の輪に入れてもらえない。したがって、ゲルク派僧院に留学する者は、この問答の意味をある程度理解し、スラスラとこなせるようになる必要がある。もちろん丸暗記でも差し支えない。

場合分けをするための問答

問答において、NとMがという二つの何かがあったとして、NとMとの関係性は、排反('gal ba)、同義(don gcig)、三つの場合(mu gsum)、四つの場合(mu bzhi)のいずれかである。

簡単にそれぞれ説明すると、NとMが名前が異なり、かつあるものがNであり、かつそれが同時にMであるという状態がないとき、このNとMの関係を排反('gal ba)という。NとMは名前が異なるだけで、あるものがNであり、かつ同時にMである場合、NとMの関係を同義(don gcig)と呼ぶ。

三つの場合(mu gsum)とは、正確ではないにせよ集合論的な表現を使うと、集合Nが集合Mに含まれているとき、つまり集合Nが集合Mの部分集合であるとき、集合Nの元ではないが集合Mの元であるもの、集合Nと集合Mの二つの元であるもの、集合Nの元でもなければ集合Mの元でもないもの、の三つに全体集合の全ての元は分類できる。このようなNとMについて、三つの場合(mu gsum)の関係があるという。

四つの場合(mu bzhi)とは、集合Nが集合Mに含まれていないが、集合Nと集合Mの積集合が空集合でない場合に、集合Nの元ではないが集合Mの元であるもの、集合Mの元ではないが集合Nの元であるもの集合Nと集合Mの二つの元であるもの、集合Nの元でもなければ集合Mの元でもないもの、の四つに全体集合の全ての元は分類できる。このようなNとMについて、四つの場合(mu bzhi)という。

今回は、三つの場合(mu gsum)の関係にある二者をテーマとして、三つそれぞれを場合分けして、それぞれの場合について具体例を示させて検討していく問答を例示する。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། བུམ་པའི་རྒྱུ་དང་བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་གཉིས་ལ་མུ་གསུམ་མུ་བཞི་འགལ་བ་དོན་གཅིག་གི་སྒོ་ནས་ཁྱད་པར་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B མུ་གསུམ།
7A མུ་གསུམ་མེད་པར་ཐལ། མུ་གསུམ་རེ་རེ་ནས་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
8B རྟགས་མ་གྲུབ།
9A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
10B འདོད།
11A ཞོག
12B བུམ་པའི་རྒྱུ་ཡིན་ལ་བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་མ་ཡིན་པའི་མུ། གཉིས་ཀ་ཡིན་པའི་མུ། གཉིས་ཀ་མ་ཡིན་པའི་མུ་གསུམ་དེ་ཆོས་ཅན།

ここでは、排反('gal ba)、同義(don gcig)、三つの場合(mu gsum)、四つの場合(mu bzhi)のいずれかになるかを問うている。また、三つの場合(mu gsum)であることがはっきりしたので、以下はそれぞれの場合の確認を行う。

13A དང་པོ། མ་ཡིན་པར་ཐལ། བུམ་པའི་རྒྱུ་ཡིན་ན་བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
14B རྟགས་མ་གྲུབ།
15A བུམ་པའི་རྒྱུ་ཡིན་ན་བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
16B འདོད།
17A ཞོག
18B བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་ཆོས་ཅན།
19A བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་རྒྱུ་ཡིན་པར་ཐལ།
20B འདོད།
21A བུམ་པའི་རྒྱུ་ཡིན་ཏེ།
22B བུམ་པའི་སྐྱེད་བྱེད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
23A དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
24B འདོད།
25A མ་ཡིན་ཏེ།
26B བུམ་པའི་དངོས་སུ་སྐྱེད་བྱེད་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།

この箇所では、bum pa'i rgyu yin la bum pa'i dngos rgyu ma yin pa'i mu を確認している。13行目は、これを確認するための言い回しである。これ以外にも単純に、bum pa'i rgyu yin la bum pa'i dngos rgyu ma yin pa'i mu de zhog という形で尋ねることができるが推奨されない。

27A གཉིས་པ། མ་ཡིན་པར་ཐལ། བུམ་པའི་རྒྱུ་ཡིན་ན་བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་མ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
28B རྟགས་མ་གྲུབ།
29A བུམ་པའི་རྒྱུ་ཡིན་ན་བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་མ་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
30B འདོད།
31A ཞོག
32B བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་ཆོས་ཅན།
33A བུམ་པའི་སྔ་ལོགས་སུ་བྱུང་བ་དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་རྒྱུ་ཡིན་པར་ཐལ།
34B འདོད།
35A དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་ཡིན་པར་ཐལ།
36B འདོད།
37A ཡིན་ཏེ།
38B བུམ་པའི་དངོས་སུ་སྐྱེད་བྱེད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།

これは、gnyis ka yin pa'i mu のものである。

39A གསུམ་པ། མ་ཡིན་པར་ཐལ། བུམ་པའི་རྒྱུ་མ་ཡིན་ན་བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
40B རྟགས་མ་གྲུབ།
41A བུམ་པའི་རྒྱུ་མ་ཡིན་ན་བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
42B འདོད།
43A ཞོག
44B ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན།
45A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་རྒྱུ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
46B འདོད།
47A མ་ཡིན་ཏེ།
48B བུམ་པའི་སྐྱེད་བྱེད་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། ཡང་ན་མེད་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
49A མེད་པ་ཡིན་ན་བུམ་པའི་རྒྱུ་མ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
50B འདོད།
51A དེ་ཆོས་ཅན། བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
52B འདོད།
53A མ་ཡིན་ཏེ།
54B བུམ་པའི་དངོས་སུ་སྐྱེད་བྱེད་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། ཡང་ན་མེད་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
55A བུམ་པའི་དངོས་སུ་སྐྱེད་བྱེད་མ་ཡིན་ན་བུམ་པའི་དངོས་རྒྱུ་མ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
56B འདོད།

これは、gnyis ka ma yin pa'i mu のものである。ここでは虚空華を例示したが、常(rtag pa)であってもよい。安易に非存在(med pa)を例示しないように先生は指導する。非存在であるなら、因であるのは確かでそういった当たり前のことを確認するために問答をしている訳ではないからである。

ドゥラ小学級でこの類の問答は年少の僧侶には好まれない。年少の僧侶は授業で例示された定義基体(mtshan gzhi)を丸暗記していることが多々あり、少し設定を変えて問答をすると、分からないと言われることがある。年少の僧侶とする場合は、定義の確認や授業で扱ったテーマに留めるのがよさそうである。

他方、年長の僧侶であっても、ありきたりの場合分けを聞く場合は、あまり面白い問答とはならないため、好まれない。年少の僧侶は面白いテーマの引き出しが多いことが多いので、問答で組む場合は、先に自分がタムチャワをして、相手の攻めた方を分析した上で、同じ手法で後でチワタンゲンをする方が勉強になる。

場合分けを全部の場合に愚直にするのは、面白くないので露骨にタムチャワが嫌がることが多い問答ではあるが、基本的なフレーズではあるし、文献を読む上で役立つので、ここに載せておく。

聖言(lung)を引用させるための問答

ここでは、聖言(lung)の引用をBにさせる問答の仕方を示す。ドゥラ小学級のレベルでは、あまり使われることはないが、示させ方はあるので、紹介する。例えば、以下の通りである。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། རྒྱུ་འབྲས་ཆུང་ངུའི་རྣམ་བཞག་བཤད་པ་ལ། རྒྱུ་འབྲས་འཕྲོས་པའི་འཕོས་གཞུང་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A རྒྱུ་འབྲས་འཕྲོས་པའི་འཕོས་གཞུང་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B རྣམ་འགྲེལ་རང་དོན་ལེའུ་ལས།། རྒྱུ་ལ་རང་བཞིན་ཇི་སྙེད་ཅིག། མེད་ན་མི་འབྱུང་འབྲས་བུ་ནི།། ཞེས་སོགས་ཀྱི་གཞུང་དེ་ཆོས་ཅན།
7A རྣམ་འགྲེལ་རང་དོན་ལེའུ་ལས།། རྒྱུ་ལ་རང་བཞིན་ཇི་སྙེད་ཅིག། མེད་ན་མི་འབྱུང་འབྲས་བུ་ནི།། ཞེས་སོགས་ཀྱི་གཞུང་དེ་ཆོས་ཅན། རྒྱུ་འབྲས་འཕྲོས་པའི་འཕོས་གཞུང་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།

ドゥラの表現についてその表現の意図を問う問答の仕方

ここでは、ドゥラの微妙な表現について、そう表現する意図があるかないのかを議論するための問答の例を以下に示す。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། སྤྱི་ལ་སྒྲས་བརྗོད་རིགས་ཀྱི་སྒོ་ནས་དབྱེ་ན་གསུམ་ཡོད་ཞེས་གསུངས་པའི་དགོངས་པ་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A དགོངས་པ་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A དགོངས་པ་ཡོད་དེ།
6B དོན་སྤྱི་དང་ཚོགས་སྤྱི་གང་རུང་ཡིན་ན་སྤྱི་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
7A དོན་སྤྱི་དང་ཚོགས་སྤྱི་གང་རུང་ཡིན་ན་སྤྱི་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A དོན་སྤྱི་ཡིན་ན་སྤྱི་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
10B འདོད།
11A ཞོག
12B བུམ་པའི་དོན་སྤྱི་དང་ཀ་བའི་དོན་སྤྱི་གཉིས་ཆོས་ཅན།
13A དེ་གཉིས་ཆོས་ཅན། དོན་སྤྱི་ཡིན་པར་ཐལ།
14B འདོད།
15A དེ་གཉིས་ཆོས་ཅན། སྤྱི་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
16B འདོད།
17A མ་ཡིན་ཏེ།
18B ཁོ་གཉིས་ལ་ཡིན་པ་མེད་པའི་ཕྱིར།
19A ཁོ་གཉིས་ལ་ཡིན་པ་མེད་ན་ཁོ་གཉིས་སྤྱི་མ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
20B འདོད།

ここでは、spyiを分類するにあたって、普通にdbye naといわず、なぜわざわざsgas brjod rigs kyi sgo nas dbye na という表現になっているのかを問うている問答である。普通分類した場合は、分類された下位項目であるならば、上位項目であることによって遍充される。例えば、rtsa ba'i kha dog yin na kha dog yin pas khyab/となる。しかし、spyi の場合はそうはならない。例えば、don spyi yin na spyi yin pas ma khyab/ である。今回はそれをBが理解しているかをAが試している。

ドゥラの目次について尋ねる問答

ここでは、ドゥラの目次(sa bcad)を暗記しているか、あるテクストの構造をきっちり理解しているかを確認するための問答を述べる。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། རྒྱུ་འབྲས་ཆེ་བའི་རྣམ་བཞག་བཤད་པ་ལ་ས་བཅད་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B རྒྱུ་བཤད་པ། རྐྱེན་བཤད་པ། འབྲས་བུ་བཤད་པ། ཞར་བྱུང་འདས་མ་འོངས་ཡོད་མེད་ལ་དཔྱོད་པ་དང་བཞི་ཆིས་ཅན།
7A རྒྱུ་བཤད་པ། རྐྱེན་བཤད་པ། འབྲས་བུ་བཤད་པ། ཞར་བྱུང་འདས་མ་འོངས་ཡོད་མེད་ལ་དཔྱོད་པ་དང་བཞི་ཆིས་ཅན། རྒྱུ་འབྲས་ཆེ་བའི་རྣམ་བཞག་བཤད་པའི་ས་བཅད་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A མ་ཡིན་པར་ཐལ། དང་པོ། རྒྱུ་བཤད་པའི་དབྱེ་བ་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
10B རྟགས་མ་གྲུབ།
11A ཡོད་པར་ཐལ།
12B འདོད།
13A ཞོག
14B མཚན་ཉིད་དང་དབྱེ་བ་གཉིས་ཆོས་ཅན།
15A མཚན་ཉིད་དང་དབྱེ་བ་གཉིས་ཆོས་ཅན། རྒྱུ་བཤད་པའི་དབྱེ་བ་ཡིན་པར་ཐལ།
16B འདོད།

ここでは rgyu 'bras che ba という章の中の目次の暗記を確認した。6行目でBが答えている。7行目でAは de bzhi chos can/ と省略して言うこともできるが、好まれない。Aも自分がBと同様に暗記していることを示すべく、Bが言ったことを繰り返す必要がある。何度も問答中に言うことによって暗記を堅固なものにする意図があると思われる。

ドゥラにはないが大ツォンカパの著作にある用語を引用して混乱させる問答の仕方

ドゥラにはない概念であったとしても、ゲルク派の問答の会場では、経典の引用、インドの学僧の著作の定義の引用、大ツォンカパの著作の定義の引用、ギャルツァプリンポチェ、ケートゥプリンポチェの著作の定義の引用は認められる。そしてそれを否定すると、ペーチャタンガー、チャーペタンガーを喰らうことになる。とはいえ、定義として引用する場合には、その典籍に定義(mtshan nyid)と明記されていなければならない。そのような明記がない場合は、定義としては使わず、理由(rtags)に添える形で使用する。その場合について、go don として使用すると表現する。

今回は spyi dang bye brag において、大ツォンカパの著作にある用語を引用して、議論を混乱させる問答を例示する。これは留学中、筆者が好んでよくした問答のうちの一つである。問答中、大ツォンカパのことは必ずジェリンポチェと呼ぶ必要がある。

1A ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། བྱེ་བྲག་ཡིན་པར་ཐལ།
2B ཅིའི་ཕྱིར།
3A ཡིན་པར་ཐལ། ཁྱོད་ལ་སྤྱི་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
4B རྟགས་མ་གྲུབ།
5A ཡོད་པར་ཐལ། གང་ཟག་གི་བདག་མེད་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
6B རྟགས་མ་གྲུབ།
7A ཡིན་པར་ཐལ། གང་ཟག་གི་བདག་མེད་དང་ཤེས་བྱ་གཉིས་ལ་སྤྱི་བྱེ་བྲག་དུ་གཟུང་བའི་སྤྱི་བྱེ་བྲག་གི་རྟགས་གསུམ་གྲུབ་པའི་ཕྱིར།
8B རྟགས་མ་གྲུབ།
9A ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། གང་ཟག་གི་བདག་མེད་ཡིན་པར་ཐལ།
10B འདོད།
11A རྟགས་དང་པོ་གྲུབ་པར་ཐལ།
12B འདོད།
13A ཤེས་བྱ་དང་གང་ཟག་གི་བདག་མེད་བདག་ཉིད་གཅིག་གི་སྒོ་ནས་ཐ་དད། གང་ཟད་མེད་ན་ཤེས་བྱ་མེད་པའི་དགོས་པ་ཡོད་པར་ཐལ།
14B འདོད།
15A རྟགས་གཉིས་པ་གྲུབ་པར་ཐལ།
16B འདོད།
17A ཤེས་བྱ་མ་ཡིན་ཞིང་གང་ཟག་གི་བདག་མེད་ཡིན་པའི་གཞི་མཐུན་པ་དུ་མ་གྲུབ་པར་ཐལ།
18B ཅིའི་ཕྱིར།
19A གྲུབ་པར་ཐལ། མེད་པ་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
20B མེད་པ་ཁོ་ན་ཡིན་ན། དུ་མ་མ་རེད་པ།
21A གྲུབ་པར་ཐལ། མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
22B རྟགས་མ་གྲུབ།
23A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཤེས་བྱ་མ་ཡིན་ཞིང་གང་ཟག་གི་བདག་མེད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
24B ཅིའི་ཕྱིར།
25A ག་རེ་མ་ཡིན།
26B མེད་ངེས་ཤེས་བྱ་ཡིན།
27A ཡིན་པར་ཐལ།
28B འདོད།
29A ཡིན་ན། དཔེ་ཆ་དང་འགལ། ཕྱག་དཔེ་དང་འགལ། དེ་ཡིན་པར་ཐལ། དེ་ལྟར་ཡིན་པ་དེ་ནི། རང་ཅག་རྣམས་ལ་བཀའ་དྲིན་དང་ཐུགས་རྗེ་བླ་ན་མཆིས་པ་ཆེན་པོ་རྗེ་རིན་པོ་ཆེ་རང་ཉིད་ཀྱི་དགོངས་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། འཁོར་གསུམ།
30A ཡིན་པར་ཐལ། རང་ཉིད་ཀྱི་མཛད་པའི་སྡེ་བདུན་འཇུག་པའི་སྒོ་དོན་གཉེར་ཡིད་ཀྱི་མུན་སེལ་ལས། མེད་ངེས་ཀྱི་མཚན་ཉིད། ཚད་མས་སྣང་རུང་མ་དམིགས་པ། ཞེས་གསུངས་པའི་ཕྱིར།
31A དེ་འདྲའི་ལུང་དེ་ཆོས་ཅན། སྒྲ་ཇི་བཞིན་པ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
32B ཅིའི་ཕྱིར།
33A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ།
34A མེད་ངེས་ཆོས་ཅན། ཤེས་བྱ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
35A འདོད།
36B ངོ་ཚ། ངོ་ཚ།
37A རྟགས་གསུམ་པ་གྲུབ་པར་ཐལ།
38B ཅིའི་ཕྱིར།
39A གྲུབ་པར་ཐལ། ཤེས་བྱ་མ་ཡིན་ཞིང་གང་ཟག་གི་བདག་མེད་ཡིན་པའི་གཞི་མཐུན་པ་པ་དུ་མ་གྲུབ་པའི་ཕྱིར།
40B རྟགས་མ་གྲུབ།
41A གྲུབ་པར་ཐལ། མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
42B རྟགས་མ་གྲུབ།
43A ག་རེ་མ་ཡིན།
44B དུ་མ་ཡོད་མ་རེད་པ།
45A ཡོད་རེད།
46B དུ་མ་ཟེར་བའི་དོན་འདྲ་ཁྱེད་ཧ་གོ་གི་ཡོད། མང་པོ་ཡོད་མ་རེད་པ།
47A ཡོད་རེད། གཉིས་ཡོད་རེད་པ།  མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་རེད་པ།
48B མ་རེད། གཉིས་མ་རེད། གཉིས་ཡོད་ན། གཅིག་མ་ཡིན། གཅིག་མ་ཡིན་ན། ཁོ་གཉིས་ཐ་དད་རེད།
49A རེད་རེད། ཐ་དད་རེད།
50A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཐ་དད་ཡིན་པར་ཐལ།
51B ཅིའི་ཕྱིར།
52A ཐ་དད་རེད་པ། ཁོ་གཉིས་མིང་ལོགས་ག་རེད་པ།
53B མིང་ཀ་ཀ་རེད། ཡིན་ནའང་། ཐ་དད་མ་ཡིན།
54A ཐ་དད་མ་ཡིན། ཨ།
55A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཐ་དད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
56B འདོད།
57A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན། གཅིག་ཡིན་པར་ཐལ།
58B ཅིའི་ཕྱིར།
59A ཡིན་པར་ཐལ། ཐ་དད་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
60B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
61A ཁྱབ་པ་ལན།
62B ཐ་དད་མ་ཡིན་ན། གཅིག་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ།
63A ཐ་དད་མ་ཡིན་ན་གཅིག་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
64B འདོད།
65A ག་རེ་ཡོད་རེད།
66B མེད་པ་རེད། མེད་པ་ཐ་དད་མ་ཡིན། གཅིག་མ་ཡིན།
67A མེད་པ་ཆོས་ཅན། ཐ་དད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
68B འདོད།
69A ཡིན་པར་ཐལ། མེད་པ་དང་མེད་ངེས་དེ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
70B རྟགས་མ་གྲུབ།
71A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཐ་དད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
72B འདོད།
73A ཡིན་པར་ཐལ། མིང་ཐ་དད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
74B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
75A མིང་ཐ་དད་ཡིན་ན་ཐ་དད་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
76B འདོད།
77A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཐ་དད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
78B འདོད།
79A ཡིན་པར་ཐལ། སོ་སོ་བའི་ཆོས་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
80B རྟགས་མ་གྲུབ།
81A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན།  སོ་སོ་བའི་ཆོས་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
82B འདོད།
83A མ་ཡིན་ཏེ།
84B ཆོས་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
85A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཆོས་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
86B འདོད།
87A ཆོས་མ་ཡིན་ཏེ།
88B མེད་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
89A མེད་པ་ཡིན་ཏེ།
90B ཚད་མས་མ་གྲུབ་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
91A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཆོས་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
92B འདོད།
93A ཆོས་མ་ཡིན་ན་ཐ་དད་མ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
94B འདོད།
95A མེད་པ་དང་མེད་ངེས་གཉིས་ཆོས་ཅན། ཐ་དད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
96B འདོད།
97A ཤེས་བྱ་མ་ཡིན་ཞིང་གང་ཟག་གི་བདག་མེད་ཡིན་པའི་གཞི་མཐུན་པ་དུ་མ་མ་གྲུབ་པར་ཐལ།
98B འདོད།
99A རྟགས་གསུམ་པ་མ་གྲུབ་པར་ཐལ།
100B འདོད།
101A གང་ཟག་གི་བདག་མེད་དང་ཤེས་བྱ་གཉིས་ལ་སྤྱི་བྱེ་བྲག་དུ་གཟུང་བའི་སྤྱི་བྱེ་བྲག་གི་རྟགས་གསུམ་མ་གྲུབ་པར་ཐལ།
102B འདོད།
103A ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། གང་ཟག་གི་བདག་མེད་ཀྱི་བྱ་བྲག་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
104B འདོད།
105A གང་ཟད་གི་བདག་མེད་ཆོས་ཅན། ཤེས་བྱའི་སྤྱི་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
106B འདོད།
107A ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། ཁྱོད་ལ་སྤྱི་མེད་པར་ཐལ།
108B འདོད།
109A ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། སྤྱི་ཁོ་ན་ཡིན་པར་ཐལ།
110B འདོད།
111A ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། བྱེ་བྲག་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
112B འདོད།

テーマは見ての通り、shes bya に spyi があると主張するAをBが切り崩していくというやり取りである。Aはもっともらしくshes bya に spyi があるように見せかけるが、Bはそれにうまく反論しているのが見てとれる。

とはいえ、Bにも間違いが生じた。それは、med nges の意味をよく把握していないことに基づく。med nges は med pa と同じ言葉であるが、ドゥラには出てこない。しかし、問答では med pa の類義語で、spyi bye brag の rtags gsum の三番目の因の引っ掛けとして使うためによく使われる概念である。これは大ツォンカパが定義しているので、引用することができる。

ちなみに、人無我、gang gzag gi bdag med という表現が出てくるが、これは yod pa と med pa 二つを含み込むものである。これが yod pa の spyi とならない理由は、Bが18行目から主張している三番目の理由(rtags gsum pa)が成り立っていないからである。三番目の理由(rtags gsum pa)の意味が分からない読者は、ドゥラの該当箇所を参照すれば理解することができるので、ここでは説明しない。

また、43〜49行目、52〜54行目のやり取りは、正確には問答ではない。問答中に行われる口語でのやり取りである。できるだけこのようなやり取りはしない方がいいが、個人戦のときは多々ある。もし団体戦でこのようなやり取りが発生しそうになった場合、Bの口語での釈明を一切聞き入れず、「ヨーチルチル」と言って無視することができる。問答監督の先生も、Bの口語での釈明を無視して議論を進めるように指導している。

ただし、個人戦では人間関係がある以上無視できないために、口語でのやり取りは止むを得ない。さらに口語表現は論理的に不正確なので、そこで揚げ足を取れる。したがって、口語で話して、Bの論理的な齟齬をAが揚げ足を取る形で、その後の問答を面白くすることは可能である。ただし、そのような問答は論理的な完成度には欠けると個人的には考えている。

ドゥラの聖言が言葉通りではないこと承認させる問答

ドゥラの定義は聖言(lung)である。しかし、聖言(lung)と論理(rigs)の二つが対立する場合、問答では、論理(rigs)を優先する。このような状態を、聖言(lung)を言葉通りではない(sgra ji bzhin pa ma yin pa)ものとして受けとるという。

聖言(lung)をそのまま承認するのが論理的に難しく、別にタムチャワの側で説明をしなければならない事態はいくつかの問答の場面で存在する。特に定義に、rang がついているものは大抵このような場合である。

以下、例を見る。今回の例は、Bがなかなか反論せず、'dod を言いがちな人であるという設定にする。そうした方が読者にAがどうやって攻めればいいのかより示せるだろうからである。

1A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལེན་ཡོད་པར་ཐལ།
2B འདོད།
3A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། རང་གི་རྫས་རྒྱུན་ཡོད་པར་ཐལ།
6B འདོད།
7A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། དངོས་པོ་ཡིན་པར་ཐལ། ???
8B འདོད།
9A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། མེད་པ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
10B ཅིའི་ཕྱིར།
11A མ་ཡིན་པར་ཐལ། དངོས་པོ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
12B རྟགས་མ་གྲུབ།
13A ནམ་མཁའི་མེ་ཏགོ་ཆོས་ཅན། དངོས་པོ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
14B འདོད།
15A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ། !!!
16A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། རང་གི་རྫས་རྒྱུན་ཡོད་པར་ཐལ།
17B ཅིའི་ཕྱིར།
18A ཡོད་པར་ཐལ། ཉེར་ལེན་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
19B རྟགས་མ་གྲུབ།
20A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལེན་མེད་པར་ཐལ།
21B འདོད།
22A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་མེད་པར་ཐལ།
23B འདོད།
24A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བའི་ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་མེད་པར་འདོད། ཟེར་བའི་ལན་རྒྱབ་དགོས་པ་མེད་པར་ཐལ།
25B ཅིའི་ཕྱིར།
26A མེད་པར་ཐལ། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་མེད་པའི་ཕྱིར།
27B རྟགས་མ་གྲུབ།
28A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་ཡོད་པར་ཐལ།
29B འདོད།
30A ནམ་མཁའ་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལན་ཡོད་པར་ཐལ།
31B ཅིའི་ཕྱིར།
32A ཡོད་པར་ཐལ། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
33B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
34A ཁྱབ་པ་ཡོད་པར་ཐལ། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་ཉེར་ལེན་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
35B རྟགས་མ་གྲུབ།
36A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལེན་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
37B འདོད། ???
38A ཡིན་པར་ཐལ། ཁྱོད་ལ་ཉེན་འབྲས་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
39B རྟགས་མ་གྲུབ།
40A ཁྱོད་ལ་ཉེན་འབྲས་མེད་པར་ཐལ།
41B འདོད།
42A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བའི་སྐྱེ་བ་ཕྱི་མ་མེད་པར་ཐལ།
43B ཅིའི་ཕྱིར།
44A ཁྱོད་ལ་ཉེན་འབྲས་མེད་པའི་ཕྱིར།
45B རྟགས་མ་གྲུབ།
46A ཁྱོད་ལ་ཉེན་འབྲས་ཡོད་པར་ཐལ།
47B འདོད།
48A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བའི་སྐྱེ་བ་ཕྱི་མ་ཡོད་པར་ཐལ།
49B འདོད།
50A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལེན་ཡིན་པར་ཐལ།
51B འདོད།
52A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ། !!!
53A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལན་ཡོད་པར་ཐལ། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
54B འདོད།
55A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། རང་གི་རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཡོད་པར་ཐལ།
56B ཅིའི་ཕྱིར།
57A ཡོད་པར་ཐལ། ཉེར་ལན་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
58B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
59A ཉེར་ལེན་ཡོད་ན་རང་གི་རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཡོད་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
60B འདོད།
61A ཉེར་ལེན་དང་རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་གཉིས་ལ་མཚན་མཚོན་ཁྱབ་སྒོ་བརྒྱད་མ་གྲུབ་པར་ཐལ།
62B འདོད།
63A རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལེན་ཀྱི་མཚན་ཉིད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
64B ཅིའི་ཕྱིར།
65A ཉེར་ལེན་དང་རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་གཉིས་ལ་མཚན་མཚོན་ཁྱབ་སྒོ་བརྒྱད་མ་གྲུབ་པའི་ཕྱིར།
66B རྟགས་མ་གྲུབ།
67A ཉེར་ལན་ཡོད་ན་རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཡོད་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
68B འདོད།
69A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལན་ཡོད་པར་ཐལ།
70B འདོད།
71A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཡོད་པར་ཐལ།
72B ཅིའི་ཕྱིར།
73A ཉེར་ལན་ཡོད་པའི་ཕྱིར། ཁྱབ་པ་ཡོད་པར་ཐལ། ཁོ་གཉིས་མཚན་མཚོན་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
74B རྟགས་མ་གྲུབ།
75A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལེན་མེད་པར་ཐལ།
76B ཅིའི་ཕྱིར།
77A ཡོད་པར་ཐལ།
78B འདོད།
79A རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཡོད་པར་ཐལ།
80B ཅིའི་ཕྱིར།
81A  ཉེར་ལེན་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
82B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
83A ཉེར་ལེན་ཡོད་ན་རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཡོད་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
84B འདོད།
85A ཉེར་ལེན་དང་རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་གཉིས་ལ་མཚན་མཚོན་ཁྱབ་པ་སྒོ་བརྒྱད་མ་གྲུབ་པར་ཐལ།
86B འདོད།
87A རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལེན་གྱི་མཚན་ཉིད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
88B འདོད།
89A མ་ཡིན་ན། དཔེ་ཆ་དང་འགལ། ཕྱག་དཔེ་དང་འགལ། དེ་ཡིན་པར་ཐལ། དེ་ལྟར་ཡིན་པ་དེ་ནི། རང་ཅག་རྣམས་ལ་བཀའ་དྲིན་དང་ཐུགས་རྗེ་བླ་ན་མཆིས་པ་ཆེན་པོ་ཡོངས་འཛིན་ཕུན་ལྕོག་བྱམས་པ་རྒྱ་མཚོ་ཐམས་ཅད་མཁྱེན་པ་རང་ཉིད་ཀྱི་དགོངས་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། འཁོར་གསུམ། !!!
90A ཡིན་པར་ཐལ། རང་ཉིད་ཀྱི་མཛད་པའི་ཡོངས་འཛིན་བསྡུས་གྲྭ་ཆུང་བ་ལས། རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་ཉེར་ལེན་གྱི་མཚན་ཉིད། ཞེས་གསུངས་པའི་ཕྱིར།
91A དེ་འདྲའི་ལུང་དེ་ཆོས་ཅན། སྒྲ་ཇི་བཞིན་པ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
92B འདོད།
93A དེ་འདྲའི་ལུང་ལ་ལུང་དོན་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
94B རྟགས་མ་གྲུབ།
95A ལུང་དོན་བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
96B འདོད།
97A ཞོག
98B རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད། རང་ཉིད་ཉེར་ལེན་གྱི་མཚན་ཉིད་ཡིན། རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད། ཉེར་ལེན་གྱི་མཚན་ཉིད་མ་ཡིན།
99A རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་རང་ཉིད་ཉེར་ལེན་གྱི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
100B འདོད།
101A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། ཉེར་ལེན་ཡོད་པར་ཐལ།
102B འདོད།
103A ནམ་མཁའི་མེ་ཏོག་ཆོས་ཅན། རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་མེད་པར་ཐལ།
104B འདོད།
105A མེད་དེ།
106B རང་ཉིད་ཉེར་ལེན་མེད་པའི་ཕྱིར།
107A རང་ཉིད་ཉེར་ལེན་མེད་ན་རང་གི་རྫས་རྒྱུན་དུ་གཙོ་བོར་སྐྱེད་བྱེད་མེད་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
108B འདོད།

この問答において、Bの挙動についていくつかツッコミどころはあるのだが、それにAはうまく対応している。とはいえ、今回のペーチャタンガー、チャーぺタンガーに至るまでの道筋でBは懸命にそれを防ごうと努力したことはこの問答を見る限り明らかである。そして、やむを得ずペーチャタンガー、チャーぺタンガーになった感じではある。

他方、この問答を通じてBは、ドゥラの定義文における rang の使い方の意味に目覚めたらしく、92行目で、Bはその聖言が言葉通りとして受け取ってはならないと承認し、その上で、98行目でうまくその理由を説明している。これは問答を通じて、ドゥラの意味にBが気づけたという点でとても教育的な問答である。

ドゥラの他説の否定(gzhan lugs dgag pa)を利用した問答の例

先ほどまでは、ドゥラの主に自説の設定の部分を見て、そこの理解を問う問答を示してきた。ここでは、ドゥラの他説の否定の理解を確かめる問答を示す。

たとえば、インローミンロー(yin log min log)の他説の否定(gzhan lugs dgag pa)には、以下のようなものがある。

དངོས་པོ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་ན། རྟག་པ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་པས་ཁྱབ་ཟེར་ན། ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། དེར་ཐལ། དེའི་ཕྱིར། ཁྱབ་པ་ཁས། མ་གྲུབ་ན། དེ་ཆོས་ཅན། དེར་ཐལ། དངོས་པོ་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། ཁྱབ་སྟེ། དངོས་པོ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་དང་། དངོས་པོ་མ་ཡིན་པ་དོན་གཅིག་ཡིན་པའི་ཕྱིར། རྩ་བར་འདོད་ན། དེ་ཆོས་ཅན། རྟག་པ་མ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་མ་ཡིན་པར་ཐལ། རྟག་པ་མ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། མ་གྲུབ་ན། དེ་ཆོས་ཅན། དེར་ཐལ། རྟག་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར། ཁྱབ་སྟེ། རྟག་པ་མ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་དང་། རྟག་པ་གཉིས་དོན་གཅིག་ཡིན་པའི་ཕྱིར།

これを問答にする際、定番のやり方は、以下である。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། དངོས་པོ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་ན། རྟག་པ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A དངོས་པོ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་ན། རྟག་པ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན།
7A ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། དངོས་པོ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། རྟག་པ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
10B འདོད།
11A མ་ཡིན་ཏེ།
12B རྟག་པ་མ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
13A རྟག་པ་མ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་ན་རྟག་པ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་མ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
14B འདོད།
15A ཁྱབ་སྟེ།
16B རྟག་པ་མ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་དང་རྟག་པ་གཉིས་དོན་གཅིག་ཡིན་པའི་ཕྱིར།

これは素直に1行目でドゥラ通りのテーマを振っている。もしBが2行目でキャパーマチュンと答えた場合は、まさにドゥラが仮想の論敵として想定している主張と一致するので、その場合は、ドゥラ通り攻めればいい。しかし、多くの場合、その単元を習っている期間は、ドゥラの内容は頭に入っているので、ドゥラと矛盾したことをBは言わない。なので、7行目以降は、ドゥラの rsta bar 'dod na/ 以降のやりとりを再現する形でやりとりを行う。

他にも、Aが kha cig の立場をとっているという前提で、Bが切り崩していくパターンがある。ドゥラの内容の理解を確認する問答というよりかは、ドゥラの論理を理解しているかを確認する問答になる。非常に面白いテーマをドゥラから切り取ってくれば、面白い議論が期待されるが、テーマが簡単すぎるとすぐ終わる。同じドゥラの箇所をテーマとすると以下の問答が考えられる。

1A ཤེས་བྱ་ཆོས་ཅན། རྟག་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་པར་ཐལ།
2B ཅིའི་ཕྱིར།
3A ཡིན་པར་ཐལ། དངོས་པོ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
4B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
5A དངོས་པོ་ཡིན་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་ན་རྟག་པ་ལས་ལོག་པ་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
6B འདོད།

この3行目の主張は、ドゥラの kha cig の主張に沿うものである。それをBが4行目で反論したので、ドゥラ通りの議論になっている。ここでAが引き下がらずに、khyab pa yod par thal/ という形で、押して自説を主張するならば、そのままドゥラの続きをやればいいことになる。ドゥラ通りなので、ここでは書かない。

アナロジーが成立しないことを認めさせる問答

あるものではこれが言えるので、同様にこのものでもこれが言えるはずだ、というアナロジーを利用した若干強引な問答には以下のような対応が可能である。

1A གཞི་གྲུབ་ན་རྒྱུ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ། རྟག་པའི་རྒྱུ་དང་མི་རྟག་པའི་རྒྱུ་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A རྟག་པའི་རྒྱུ་དང་མི་རྟག་པའི་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ། ཡོད་པ་ཡིན་ན་རྒྱུ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
4B རྟགས་མ་གྲུབ།
5A ཡོད་པ་ཡིན་ན་རྒྱུ་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ། རྒྱུ་མེད་ན་ཡོད་པ་མེད་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
6B ཁྱབ་མ་བྱུང་།
7A རྟག་པ་དང་མི་རྟག་པ་སོ་སོ་ཡོད་ན། རྟག་པའི་རྒྱུ་དང་མི་རྟག་པའི་རྒྱུ་སོ་སོ་ཡོད་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
8B ཅིའི་ཕྱིར།
9A རྟག་པ་དང་མི་རྟག་པ་སོ་སོ་ཡོད་ན། རྟག་པའི་རྒྱུ་དང་མི་རྟག་པའི་རྒྱུ་སོ་སོ་ཡོད་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
10B འདོད།
11A འོ་ན་བུམ་པ་དང་ཀ་བ་སོ་སོ་ཡོད་ན། བུམ་པའི་རྒྱུ་དང་ཀ་བའི་རྒྱུ་སོ་སོ་ཡོད་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
12B ཅིའི་ཕྱིར།
13A བུམ་པ་དང་ཀ་བ་སོ་སོ་ཡོད་ན། བུམ་པའི་རྒྱུ་དང་ཀ་བའི་རྒྱུ་སོ་སོ་ཡོད་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
14B འདོད།
15A དེ་བཞིན་དུ། རྟག་པ་དང་མི་རྟག་པ་སོ་སོ་ཡོད་ན། རྟག་པའི་རྒྱུ་དང་མི་རྟག་པའི་རྒྱུ་སོ་སོ་ཡོད་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
16B ཅིའི་ཕྱིར།
17A རྒྱུ་མཚན་མཚུངས་པའི་ཕྱིར།
18B རྟགས་མ་གྲུབ།
19A རྒྱུ་མཚན་མ་མཚུངས་སྟེ།
20B རྟག་པ་མི་རྟག་པ་གཉིས་ལ་རེ་རེ་ནས་རྒྱུ་མེད་པ་གང་ཞིག བུཔ་དང་ཀ་བ་གཉིས་ལ་རྒྱུ་རེ་རེ་ནས་རྒྱུ་ཡོད་པའི་ཕྱིར།

若干、BはAに押され気味ではあるが、16行目できちんと否認している。アナロジーが成り立っているから、という表現は、rgyu mtshan mtshungs pa'i phyir/ というふうに言える。そこまで使う機会はないが、知っていると強引な問答ができるので、便利である。

dGos pa を利用した問答

ドゥラの中の定義文で、dgos pa(必要)という言葉がたびたび登場する。これは論理的な必然性を意味する言葉であるが、khyab pa と同じことを意味しない。この違いを利用して、問答を複雑にすることが可能である。

1A ས་ཆ་ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་མེད་པར་ཐལ།
2B ཅིའི་ཕྱིར།
3A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་འི་ཨ་མ་མེད་པའི་ཕྱིར།
4B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
5A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་འི་ཨ་མ་མེད་ན་མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་མེད་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
6B འདོད།
7A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་དང་ཨ་མ་མ་འབྲེལ་བར་ཐལ།
8B ཅིའི་ཕྱིར།
9A མ་འབྲེལ་བར་ཐལ། མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བའི་ཨ་མ་མེད་ན་མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་མེད་པས་མ་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
10B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
11A མ་ཁྱབ་སྟེ།
12B ཡོད་དགོས་ན་ཡོད་པས་མ་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
13A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བའི་ཨ་མ་མེད་ན་མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་མེད་དགོས་པར་ཐལ།
14B འདོད།
15A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་འི་ཨ་མ་དང་མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་ཐ་དད་ཡིན་པར་ཐལ།
16B འདོད།
17A མདུན་ཀྱི་དམ་བཅའ་བ་དང་ཨ་མ་འབྲེལ་བར་ཐལ།
18B འདོད།
19A འབྲེལ་བ་ཡིན་ཏེ།
20B མཚན་ཉིད་ཚང་བའི་ཕྱིར།
21A ཚང་བར་ཐལ།
22B འདོད།

12行目の表現はこれを切り抜ける上で重要なものである。

ドゥラにはないが定番の問答のテーマの例

問答会場でテーマになりやすい問答は多くはドゥラの他説の否定(gzhan lugs dgag pa)を利用したものである。具体的には、rta dkar po chos can/ kha dog yin par thal/ dkar po yod pa'i phyir/ というものである。これは、yin pa と yod pa の違いを理解しているかを問うものである。

しかし、そうではない定番問答はかなりの数ある。それらのテーマの多くは授業で少し言及されるので、それを記憶しておいて、じっくり考えて、使う。dag po chos can/ rtsa ba'i kha dog yin par thal/ や、chu tsa bo chos can/ me yin par thal/ などがある。また、nam mkha' chos can/ rgyu yin par thal/も有名である。他にも、khyed rang chos can/ rtag pa yin par thal/ gcig yin pa'i phyir/ も有名である。

ここでは、ドゥラにはないが、正確にはドゥラ小の中にはないが、ドゥラ小学級の定番の問答のテーマを述べる。ここでは、ドゥラ大の内容を引いてきて問答している。

1A ནམ་མཁའ་ཆོས་ཅན། རྒྱུ་ཡིན་པར་ཐལ།
2B ཅིའི་ཕྱིར།
3A ཡིན་པར་ཐལ། ཕན་འདོགས་བྱེད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
4B རྟགས་མ་གྲུབ།
5A ནམ་མཁའ་ཆོས་ཅན། ཕན་འདོགས་བྱེད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
6B འདོད།
7A ནམ་མཁའ་ཆོས་ཅན། རྒྱུ་ཡིན་པར་ཐལ། རྒྱུ་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
8B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
9A མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
10B འདོད།
11A ནམ་མཁའ་ཆོས་ཅན། རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
12B འདོད།
13A ནམ་མཁའ་ཆོས་ཅན། ཁྱོད་ལ་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
14B ཅིའི་ཕྱིར།
15A རྒྱུ་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
16B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
17A ཁྱབ་པ་ལན།
18B རྒྱུ་ཡོད་ན་ཁྱོད་ལ་རྒྱུ་ཡོད་པས་མ་ཁྱབ།
19A མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
20B འདོད།

この問答はBが論理的に正しい応答をしているので、何の紛糾もない問答であるが、実際これを問答会場ですると、かなりBが間違えて面白い議論になる。ちなみに、17行目のキャパロン(khyab pa lan)は、何の遍充関係を承認していないのか尋ねる表現である。Bがキャパーマチュンといったのに対応して、Aはキャパロンということができる。

問答でテーマとして挙げられるものはかなり限られている。バリエーションはいくつかあり、その中で自由に創作することはできるが、たいていの面白いテーマは研究され尽くされており、ドゥラにあるものないものを含めて、それぞれの単元で大体10くらいのテーマがある感じである。先生が最初の数フレーズを与えて、あとは生徒が独自に問答をして研究する。最初は混乱してほとんどどう道筋を作るか分からない。

ネタ問答の仕方

以上のような真面目なドゥラ通りの問答や、ドゥラにはないが考えるの必要のある問答とは違い、団体戦で議論が脱線したときによくあるネタの問答を紹介する。幼少のものがタムチャワになっている場合は、こうなりやすい。きっちりと回答すれば、ほとんどはすぐ終わってしまう議論が多いが、論理的に正しく振る舞えないことが理由であったり、定義の理解不足であったりといった複数の要因で議論が堂々巡りになる。

ネタ問答をするには、できるだけ卑近な例を挙げてそれをもとに問答するのと、定義を持たない事物を挙げて、その定義的なものをタムチャワに答えさせて、その答えが遍充関係の点でおかしいことを、おかしな例を挙げて認めさせるようにすれば、ネタ問答ができる。

以下の例は、最後まできっちりとは問答を書いていない。そして、口語表現も一部ある。さらには、不適切なやりとりも含まれている。とはいえ、これくらいの方が面白い問答とはなる。続きは各人の想像に任せる。そして、ドゥラのカードーカルマルを読めばある程度の道筋はわかるはずであるから、いちいち解説はしない。

1A ཁ་ལག་ཆོས་ཅན། གཟུགས་ཀྱི་སྐྱེད་མཆེད་ཡིན་པར་ཐལ།
2B ཅིའི་ཕྱིར།
3A ཡིན་པར་ཐལ། མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
4B རྟགས་མ་གྲུབ།
5A ཁ་ལག་ཆོས་ཅན། མིག་གིས་མ་ཐོང་བར་ཐལ།
6B ཅིའི་ཕྱིར།
7A མ་ཐོང་བར་ཐལ། མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
8B རྟགས་མ་གྲུབ།
9A ཁ་ལག་ཆོས་ཅན། མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་ཡིན་པར་ཐལ།
10B འདོད།
11A ཁ་ལག་ཆོས་ཅན། རོའི་སྐྱེད་མཆེད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
12B ཅིའི་ཕྱིར།
13A མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
14B རྟགས་མ་གྲུབ།
15A མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
16B འདོད།
17A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ།
18A ཁ་ལག་ཆོས་ཅན།  མིག་གིས་མ་ཐོང་བར་ཐལ།
19B ཅིའི་ཕྱིར།
20A མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
21B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
22A མིག་ཤེས་ཀྱི་གཟུང་བྱ་མ་ཡིན་ན་མིག་གིས་མ་ཐོང་བས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
23B འདོད།
24A ཁ་ལག་ཆོས་ཅན། རོའི་སྐྱེད་མཆེད་ཡིན་པར་ཐལ།
25B འདོད།
26A ཡིན་ཏེ།
27B ཟ་ཡག་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
28A ཟ་ཡག་ཡིན་ན་རོའི་སྐྱེད་མཆེད་ཡིན་པས་ཁྱབ་པར་ཐལ།
29B འདོད།
30A ཆུ་མངར་མོ་ཆོས་ཅན། རོའི་སྐྱེད་མཆེད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
31B ཅིའི་ཕྱིར།
32A ཟ་ཡག་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
33B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
34A ཟ་ཡག་མ་ཡིན་ན་། རོའི་སྐྱེད་མཆེད་མ་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
35B འདོད།
36A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ།
37A ཆུ་མངར་མོ་ཆོས་ཅན། རོའི་སྐྱེད་མཆེད་ཡིན་པར་ཐལ།
38B འདོད།
39A མ་ཡིན་པར་ཐལ། ཆུ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
40B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
41A ཆུ་ཡིན་ན་རོའི་སྐྱེད་མཆེད་མ་ཡིན་པས་མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
42B འདོད།
43A ཁྱབ་པ་ཡོད་པར་ཐལ། རེག་བྱའི་སྐྱེད་མཆེད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
44B རྟགས་མ་གྲུབ།
45A ཆུ་ཆོས་ཅན། རེག་བྱའི་སྐྱེད་མཆེད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
46B འདོད།
47A ཡིན་པར་ཐལ། འབྱུང་བར་གྱུར་བའི་རེག་བྱ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
48B འདོད།
49A ཆོ་ཆོས་ཅན། རེག་བྱའི་སྐྱེད་མཆེད་ཡིན་པར་ཐལ།
50B འདོད།
51A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ།
52B ཆུ་མངར་མོ་ཆོས་ཅན། རེག་བྱའི་སྐྱེད་མཆེད་ཡིན་པར་ཐལ།
53A འདོད།
54B ཆུ་མངར་མོ་ཆོས་ཅན། མངར་མོ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
55A ཅིའི་ཕྱིར།
56B རེག་བྱའི་སྐྱེད་མཆེད་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
57A རྟགས་མ་གྲུབ།
58B ཆུ་མངར་མོ་ཆོས་ཅན། རེག་བྱའི་སྐྱེད་མཆེད་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
59A འདོད།
60B ངོ་ཚ། ངོ་ཚ།
61A ཆུ་མངར་མོ་ཆོས་ཅན། ཆུ་མ་ཡིན་པར་ཐལ།
62B ཅིའི་ཕྱིར།
63A མ་ཡིན་པར་ཐལ། རེག་བྱའི་སྐྱེད་མཆེད་མ་ཡིན་པའི་ཕྱིར།
64B རྟགས་མ་གྲུབ།
65A ཆུ་དངར་མོ་ཆོས་ཅན། རེག་བྱའི་སྐྱེད་མཆེད་ཡིན་པར་ཐལ།
66B འདོད།
67A ངོ་ཚ། ངོ་ཚ།

いくつかの場面で、笑いそうになるところもある。こういった問答は、年少者を対象に行われる。ギュメ学堂ではドゥラ小学級は年長者の真面目な学級と、年少の永年カードーカルマルしているのではないのかと思われるほどの学級があり、後者が前者の学級と団体戦をするときは、ネタ問答の路線を取ることが多い。その方針は後者の学級の問答監督の意向による。年少の僧侶は定義の暗唱を除き、他のことはほとんど問答監督の先生の方針に頼り切りである。

ドゥラ以外の単元の問答の例

以上では、問答についてドゥラを中心に見てきた。とはいえ、ドゥラ以外にも問答することは可能である。例えば、チベットの伝統的な文法論をテーマに問答が可能である。先にすでに述べたが、同じものを例示すれば以下の通りである。ただし、このテーマはゲン・ユンテンが授業中に少し言及していたものから作ったものの、問答自体は完全な私の創作であるので、実際に行われているものでないことをお断りする。

1A ཇི་ལྟར་ཆོས་ཅན། མ་ཡིན་པར་ཐལ། དངོས་པོ་བདག་ཡིན་ན་མིང་ཚིག་ཡིན་པས་ཁྱབ་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A མ་ཁྱབ་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A མ་ཁྱབ་སྟེ།
6B ཁོ་ལ་བྱ་ཚིག་ཡོད་པའི་ཕྱིར།
7A དེ་ཆོས་ཅན། ཁྱོད་ལ་བྱ་ཚིག་ཡོད་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9B ཞོག
10A གཅོད་པར་བྱེད་ཆོས་ཅན། དཀྲི་བར་འགྱུར་ཆོས་ཅན།
11B དེ་གཉིས་ཆོས་ཅན། བྱ་ཚིག་ཡིན་གང་ཞིག དངོས་པོ་བདག་ཡིན་པར་ཐལ།
12A འདོད།

また、例えばドゥプタ(教義書)について問答することも可能である。

1A བྱེ་བྲག་སྨྲ་བའི་མཚན་ཉིད་བཞག་རྒྱུ་མེད་པའི་ཕྱིར།
2B རྟགས་མ་གྲུབ།
3A བཞག་རྒྱུ་ཡོད་པར་ཐལ།
4B འདོད།
5A ཞོག
6B རང་རིག་མི་འདོད་ཅིང་ཕྱི་དོན་བདེན་གྲུབ་ཏུ་འདོད་པའི་ཐེག་དམན་གྱི་གྲུབ་མཐའ་སྨྲ་བའི་གང་ཟག་ཆོས་ཅན།
7A རང་རིག་མི་འདོད་ཅིང་ཕྱི་དོན་བདེན་གྲུབ་ཏུ་འདོད་པའི་ཐེག་དམན་གྱི་གྲུབ་མཐའ་སྨྲ་བའི་གང་ཟག་ཆོས་ཅན། བྱེ་བྲག་སྨྲ་བའི་མཚན་ཉིད་ཡིན་པར་ཐལ།
8B འདོད།
9A གཟུགས་མེད་ཁམས་ཆོས་ཅན། ཁྱོད་ལ་གྲུབ་མཐའ་སྨྲ་བ་མེད་པར་ཐལ།
10B ཅིའི་ཕྱིར།
11A མེད་པར་ཐལ། ཁྱོད་ལ་གཟུགས་མེད་པའི་ཕྱིར།
12B ཁྱབ་པ་མ་བྱུང་།
13A ཁྱབ་པ་ལན།
14B གཟུགས་མེད་ན་གྲུབ་མཐའ་སྨྲ་བ་མེད་པས་མ་ཁྱབ།
15A ཁྱབ་པ་ཡོད་པར་ཐལ། གཟུགས་མེད་ན་ཁ་མེད་པའི་ཕྱིར། ཁ་མེད་ན་གྲུབ་མཐའ་སྨྲ་བ་མེད་པའི་ཕྱིར།

9行目以降の、無色界において教説論者は存在しない、口がないからという問答は、教義書を問答するにあたって、定義の確認とは別に行われるよくあるテーマのうちの一つである。教義書の内容確認や暗記ができているかや、その内容の論理を理解しているかとは別に、このような頭の体操のような問答が存在する。教義書はギュメ学堂では、般若学級第一学年(phar phyin dang po)で期間を設けて問答会場で問答される。

問答を行う意義

よく問答(rtags gsal)や論理学(rigs lam)は仏教(nang chos)ではないという話は聞かれる。事務の都合上、確かに日常会話では論理学と仏教を分けて話すことが多い。とはいえ、仏教をよく理解するには不可欠なものである。

私の先生は、問答というのは、聞思修の三つを兼ね備えている営みであるとおっしゃる。相手の言うことを聞き、その内容を考え、そして答えるという実践をしているからだという。他にも、問答は聞思修の三つのうち思をになっていると考える人たちもいる。問答は、授業で聞いた内容をよく考えて、修に結びつける契機となるという考えである。他にも、問答の形式が分からなければ、難解な概念を説明するための明晰な表現方法を得られないという問題も出てくる。僧院で上の学級に入るには、問答ができることが必須である。

問答の形式的な側面にとどまらず、問答はその中身においても仏教そのものといえる。たとえば、nga'i nyer len の mtshan gzhi に nga'i skye ba snga ma を挙げるが、これは前世を承認している人でなければ、このような受け答えはできない。前世の善業が今世の善趣、という形で因果をはっきり理解するためにも問答をする必要がある。このように先生はおっしゃった。

むすび

問答は、ドゥラとローリク、ターリク学級の3年間に留まらず、その後密教の学級に入っても使われる。それどころか、問答の思考法に基づいて、哲学的概念を正しく把握するのに資するものであり、そのような正確な思考によって、瞑想などの修が可能となる。その点で、非常に重要な営みである。日本でも仏教を教えている大学などの教育機関で、問答による教授がさらに広がれば素晴らしいことに思われる。

日本には、ドゥラを読める人はかなりいると見込まれる。しかし、問答が大学や仏教の講座で取り入れられている例は少ないようである。そこで、ドゥラは読めるが、問答はできない人がそれなりにいるのではないかと考えた。そういった人に向けて、ドゥラから問答への繋ぎ方が分からない人に向けてこの説明を作成した。

というのも、留学前の私がまさにそれだったからである。ある程度ドゥラは読めるが、問答の仕方が見当もつかない学生だった。僧院にいきなり入って最初の夕方に問答会場に行ったときに、多くの僧侶に囲まれて定義の確認などのやり取りをした。定義を答えるたびに、外国人が問答するのが珍しいためか、拍手してもらったことを思い出す。よく分からないまま、相手のいうフレーズを繰り返したりするうちに、進め方がわかってきた。大体どのような議論が行われているのか解るまでに1ヶ月を要した。2ヶ月を経た今は、僧院の問答会場に行っても空気のように扱われ、普通に問答している。

これによって、日本で問答(rtags gsal)が広がれば幸いである。そして、正法が広まれば素晴らしいことである。今後ゲルク派僧院に留学する人、問答に関心のある人に本稿の問答の説明が益するように。

インド・ギュメ学堂にて。乾 将崇(チベット名、ガワン・サンポ)。

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