おニューの挫折

 初めまして! きっと私は天才じゃない。年齢だ経験だ違うんだ、天才はいる。お前である。私が成れないお前である。

 この人生幸運だったので、あるいは頭が悪かったので、何者にもなれるしなんでも書けると思っていた。今までビビッときたおニューの名言はいつか自分も作れると思っていた。ただ私には経験が足りないから書けないと思っていた。
 きっと、違う。天才というものはいない。誰もが言語化できていない思いの丈をハイセンスに言語化し続けることを、私たちは天才と呼称し遠巻きにしている。発想ではない。言語化だ。あるいはその発想を言語化し一般人に理解させ続けることができるのが天才だ。
 理解できない芸術作品がただのクソに思えるように、殺人鬼の描いた絵が高値で売れるように、私たちは常に理解と不明瞭に生きている。すべての人間は常日頃幕然と思っていることを言語化できない。それをビシっとハイセンスにキメた一張羅が名言である。故に天才。会うたび会うたび違う一張羅をバシっとキメているんだったら、それはもうとてつもなくオシャレさんなのである。

 この思いを天才と呼称してもらうためには、凡才の言語に合わせなければならない。
 理解されないことは、死だ。バカと天才は紙一重とはよく言ったもので、バカも天才も理解し得ないことを言っている。ただ、天才の方が言語化がうまかったので、凡才に理解してもらえただけだ。たった、それだけの違い。
 つまるところ言語化の上手くない天才はただのバカだ。だって言っている意味がわからないんだもの。

 話がここで戻ってくる。初めまして! 私は言語化の上手くない天才である。なんと大恥だろうか。私は他人と違うことを理解していた。天才もまた他人と違っている。ならば私には天才の片道切符があるに違いないと、ずっと一張羅を着れるのだと、私だって名言が、ビビッとくるハイセンスな言語化ができるのだと思っていた。
 それがつい先ほど砕かれた。私、人と違う、それだけだ。思考回路も感性も違う。使ってる言葉もまるで違うみたいに伝わらない。それが長らくわかっていなかった。
 じゃあ、わたし、きっとボロ布を着てる。だって誰にも、このたからものみたいな価値観のこと伝わらない。伝えられない。言語化の上手くない天才はバカである。私のショックは私のショック、それが他人にもわかってもらえるようなショックにはならない。だって、言語化が、へただから。

 別に自分のことバカだとはおもってないけど、「それでいいじゃん」みたいに思考を止める人にはなりたくないな。何言ってんだろう、他と同じことほど楽なことないよ。だってバカ扱いは、少なくともされないでしょ。

 天才なら、認められる。1人にならなくて済む。あるいは1人でも誰かから認められる。死んだ時葬式に誰1人きてくれなくても、いや、孤独死したってきっと誰かが悼んでくれる。
 天才でもバカでも、じゃあ正直なんだっていい。1人には、なりたくない。孤独らしい吐露とともに、今日の挫折。天才とは、言語化の上手いばかであるってね。