今日もアコーディオンが流れる。
フランクフルト市内を電車で移動すると、多くのホームレスを目にする。ホームレスでないのかもしれないが、貧しいことに変わりはないであろう人たちを多く見かける。
電車に乗って、座っていると、どこからか音楽が聞こえてくるのである。アコーディオンの音だ。ドイツに来たばかりの頃は、これがヨーロッパか、愉快な人たちだ、愉快な文化だと思っていたが、数ヶ月経った頃、ただアコーディオンの音が鳴っているだけではないことに気づいた。
アコーディオンを弾く大人の前には、紙コップを持った子供が歩き、お金を恵んでくれないかと、次から次へと乗客に声をかけていくのだ。
大半の人はお金を与えないのだが、たまにお金を恵んであげる人を見る。それが良いとか、悪いとか言うつもりは全くないし、なんなら自分もあげようかと迷うこともある。
実際あげたことはこれまで一度もない。この数セント、数ユーロをあげたとて、彼らの生活が変わるわけでもなく、何ならこの生活を続けていくためのお金になってしまうのではないか、そんな考えがいつも頭をよぎってしまう。
本当のところはわからないのだが、アルバイトでも何でも、ちゃんとした仕事につく方がよっぽど、彼らにとってはいいと思ってしまう。電車の中ではなく、道端で演奏した方が、よっぽどいいと思ってしまう。
本当にその日暮らしを送っているのだろうか、子供を使ってまで、お金をもらわないと、生きていけないのだろうか。
本当のことは彼らにしかわからないけれど、日本から来たぼくにとって、だいぶカルチャーショックだった。
「お金をくれませんか」と言ってくる子供たちは、どんな思いなのだろうか。もうその生活に慣れてしまったのだろうか。
お金がないと暮らしていけない世の中の仕組みに、不条理を感じつつも、お金に変わるものを考えることの方が、だいぶ難しい。
世の中”お金、お金”になっていく中で、”お金”がなくても幸せなことはたくさんあると、最近思うが、最低限の暮らしをするためには、やはり”お金”が必要であるということを、ひしひしと感じる。
世の中”お金”だけの面ではないが、現代を生きていくのはなかなか難しことだと、日本にいても、ドイツにいても感じるのであった。
今日もアコーディオンが流れている。
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