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これなら読めるぜ!ギャル語に訳して!「武蔵野」国木田独歩

「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」
と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。

あのさ、昔の武蔵野っぽいのが今でも入間あたりにちょびっと残ってるんだって。文政の時代に作られた地図で見つけたんだけど。そこに、入間の「小手指原久米川」ってのがあって、「古戦場だよー」ってなってるの。それで、「太平記」によると元弘三年五月十一日に源氏と平家が小手指原で1日に30回もバトルしてさ、日が暮れると平家が3里も下がって久米川に陣取ったって。でも朝になったら源氏が久米川にドカーンって押し寄せたって詳しく書いてあるんだよね。
だからここら辺って、むかしから戦乱の地だったんだなって感じがするわ。武蔵野の自然の中に歴史の痕跡が残されてるんだって、めっちゃ興味わくわ。


自分は武蔵野の跡のわずかに残っている処とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。ともかく、画や歌でばかり想像している武蔵野をその俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。それほどの武蔵野が今ははたしていかがであるか、自分は詳わしくこの問に答えて自分を満足させたいとの望みを起こしたことはじつに一年前の事であって、今はますますこの望みが大きくなってきた。

それでさ、あんたも気づいてるでしょ?
昔の武蔵野の面影って、今でも入間とかに残ってるんじゃないのかって。でもそれがほんとにまだあるのかどうかよくわかんないんだよね。だって、古地図見たらそこが武蔵野の跡だって書いてあるんだけど、実際に自分の目で見たことないから心配なの。ほんと、絵とか歌で妄想してるだけじゃ淋しくなっちゃうよね。本物の武蔵野の景色を見たくなるのはわかるわ。しかも、1年前からそのワガママ言ってんだから。もうめっちゃ切実になってきてる。
だったらさ、早く行ってみなよってこと。あの小手指原久米川っていう古戦場に。きっと今でも当時の雰囲気が残っているはずだと思う。歴史と自然が織りなすスゴイ景色が広がってるはずだと思うんだよね。言ってるそばから早く行ってみたくなってきた。
入間がどこだか知らんけど。


 さてこの望みがはたして自分の力で達せらるるであろうか。自分はできないとはいわぬ。容易でないと信じている、それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。たぶん同感の人もすくなからぬことと思う。

ヤバっ、この願い叶えられるかなぁ。無理じゃないけど、めちゃくちゃ大変だと思うわ。「武蔵野」のことで頭パンパンなんだもん。多分、同じ気分の子もいるよね。


 それで今、すこしく端緒をここに開いて、秋から冬へかけての自分の見て感じたところを書いて自分の望みの一少部分を果したい。まず自分がかの問に下すべき答は武蔵野の美今も昔に劣らずとの一語である。昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているのである。自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣といいたい、そのほうが適切と思われる。

よしワカッテきた!
秋から冬にかけて自分の感じたことを日記に書いてみよっか。
まずは、武蔵野の魅力を確認しないとね。自分は直接見たことないから想像つかないけど、今の武蔵野はすごく詩的な雰囲気があって、心を揺さぶられるんだって。「武蔵野の美しさ」って言うよりも、「武蔵野の詩趣(趣き)」って表現のほうが、今の自分の感覚に合ってると思う。問題の糸口を見つけるためにも、日々の変化を記録していくっていうのは良いアイデアだと思う。少しずつ前に進めるはずだから、あきらめないで頑張っろっと。

ーーー つづく ーーー

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