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随筆(2020/7/12):「善意を受け取ってもらう」前に、「信頼に足る」と思われているか、よく見極める

(ヘッダは、「信頼に足る」ようなシグナルをたくさん出したのに、「善意を受け取ってもらえなかった」、「丁重にお引き取り願われた」ことを「了解して」、それを「真摯に受け留めて」「引き下がってしまった」サブヒロインの人。負けヒロインとか言うな。オニオングさんは本当に解像度の高い善い人なんだ)

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受け入れようとしても拒まれることがある。

受け入れられない、ということではない。
受け入れる側が受け入れる相手に
「あなたに自分が受け入れられるの、おかしい。何の悪巧み? 怖い」
と引かれる話だ。
メチャクチャ嫌な話でしょう。でも、よくあるやつでもある。
こんなことばかり生じていると、
「こっちは何も企んでないのに、何でこんなことになるんだろうな」
と首をひねることも多くなるし、善意もやる気も損なわれていくだろう。

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これ、「何も企んでない」かも知れないが、「何も考えてない」からダメなんですよ。(メチャクチャムゴイこと言ってるけど)

じゃあ、どこがどうダメなのか。

「自分はそれなりの信頼に値する人間であり、相手を本当に受け入れることもあり得るようなやつである。
あなたが自分に受け入れられることも、さして異常な事態であるとは思われない」
という印象形成が成り立ってないし、能動的な印象管理をしていないうちに、その手の善意をやっているとなると、まあそりゃあ信頼されてないし、そんな人の善意、怖いよ。

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信頼に値するとまでは言えない人との、一期一会のセッションではない継続的な関係は、もちろん有害な不確定要素のありうるリスクだから、単純に疲れるんですよ。
だって、そいつが信頼に値するという証拠がどこにもないなら、その証拠が示されるまで、そいつのお出しして来る善意は、安心して受け取っても問題ないかどうか、極めて怪しい、「謎の何か」じゃん。
下手すると、詐欺支配一方的な欲求充足のための利用のために、そういうことをやっている可能性が排除できない。
もしそうだとしたら、そんな善意をまともに受け取って、付き合えば付き合うほど、ボロボロになっていく可能性も排除できない訳だ。

そんなことにウヒョーと言って頭から突っ込む人、積極的かもしれないが、生き残っているのは運に過ぎない。というかむしろ、ふつうに破滅していても、何もおかしくない。それほど、これは、ヤバい。
(破滅したらその人は「学校や職場などの『表』にいられる可能性が低くなる」し、「見えなくなる」から、「生き残った」積極的な人しか「いない」ことになるわけだ。
で、もちろん、積極的にやっていてヘマこいて消えた人、たくさんいる。
積極的にやっていると、そういうことも、実は、ある。ということは分かっていなければならない。

「そんなヒドイことするわけないやろ」?
だったら信頼関係を明示的に結ばなきゃならん。それが何よりの身の証ですよ。結局、話はそこに戻っちゃうんだな。

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ある程度、信頼されないと、受け入れてもらうどころか、こちらが受け入れることすら出来ない。こちらの受容を相手から受容されない。
これ、信じられないほど凹みますよ。ものすごい善意を、すげなく扱われるんだから。

でも、人間関係におけるシグナルのいくつかは、人間関係を耕して親近感や信頼を作っておくための初手のやつと、そういう風に耕されてから初めて効いてくるやつがある。
なので、後者をやるなら、親近感信頼が生じてきたり、揺るぎなくなってきたのが、目に見えて明らかになってきてからにしましょう。
何なら、そういう系のシグナルは、善意を示す前に、また別件として、こちらから示さなければならないまである。そこだけは頭の片隅に置いていて下さい。

いじょうです。

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