随筆(2020/1/2):『自罰の呪いで成長する人と、その破滅』2_4-2_5(圧倒的成長をした後で圧倒的幸福がしたいが、出来ない。何が邪魔しているのか? 他)

2_4.圧倒的成長をした後で圧倒的幸福がしたいが、出来ない。何が邪魔しているのか?

2_4_1.スキルがどんなに伸びようと、快楽ではなく小さな苦痛しか選べない「自罰の呪い」を捨てられないんなら、幸福になんかなれるわけがない

スキルツリーを伸ばすために、副作用があろうとも呪いに頼ろうとする。
そういう人、「自罰の呪い」による成長に、残念ながら実は適性があります。副作用としての小さな苦痛を、それほど厭わないんだから。

しかし、これには少なくとも2つ問題点があります。(だから「残念ながら」なのです)

***

1つは、上にも書いた通り、「スキルツリーはグングン伸びるが、スキルツリーを使って幸福を得ることは当面出来なくなり、その間折角得られたものは、逆に苦痛の源にすらなる」ということ。
ゆくゆくは幸せになりたいのなら、「やってる最中は苦痛であり、得られたものも苦痛であり、それをやめない限り幸福になれない」という事態、そのうち容認できなくなります。
そうなったらどうする? 「いつかやってらんなくなってキレて何もかもぶち壊しにする」のか?
でも、スキルツリーの成長を、幸福よりも前に押さえておくべき基礎だと思っているのなら、「やはり「自罰の呪い」に頼る」ことからは逃げられない。「他にやり方を知らない」のだから。

とはいえ、いつかはこれを放棄しなければならない。
それはそれで、『自由』『解放』のために大切なことなのは間違いない。
そこはいい。おそらくその路線で合っているのだろう。

2_4_2.「自罰の呪い」ではどうしても伸びないスキル、『安定』『受容』、そしてそこからの『寛容』

そしてもう1つ。
このやり方だと、どうしても伸びないスキルツリーがいくつかあるんです。

「そもそも『衡平』や『公正取引』に頼らなければ維持出来ないような、弱く貧しい生き方をやめる」

信頼を貫徹出来ず、裏切って毟っていく盗人猛々しい相手は、何もかもが弱く貧しいからこそ、不正をした方が露骨に得な状況にいるわけだ。
そこに目をつぶっておきながら、その口で安易にビシッと厳しく詰めて逆上させてはならない。
どんなに正論を言っても、それで逆上されて殺されて、辞世の句で
「ビシッと正論で突っ張ったのだから、それで殺されて悔いなし」
とか言っちゃうの、少なくとも生物の理屈としてはおおよそおかしな話でしかない。そういうところだぞ」

弱く貧しい相手は、向こうはこちらを信頼していても、こちらが向こうを信頼する根拠など何もなく、基本的に向こうは信頼を貫徹出来ない。
だが、そんなことでいちいち非難や懲罰などしてはいられない。

そんなこと言ってたら、例えば子育てなんか到底無理なんだからな。
最初の数日で
「何でこんなに頑張っていろいろしてやってるのに、こいつはギャーギャーと文句ばかり言ってやがる…???」
とキレるのは、一年前まで親でなかった大人のごく自然な成り行きだ。そこはもちろん分かるよ。
だが、逆に何で
「頑張ってなんかしてやったら、自動的に喜んでくれる」
と安易に思っているのか?

赤ちゃん、自分のニーズを言語化出来ない、あなたが今まで見てきたであろう限界全裸中年クレーマー客を、しかも3~60年程度幼児退行させたような存在だぞ?
当然、何やってもケチつけるに決まってる。自分のやりたいことさえ分かっているかどうか怪しい。そこはもちろん分かるやろ。
で、そんなことは百も承知で、なのに今更キレるの、何…?

これらの話、見ていてイライラしてきたり、あるいはピンときたかも知れません。
そうなんです。
「最低限の一線に立った時に、その一線においては対等にやっていける、そんな相手とやっていく、大人のムーブ」
というのも、
「その一線すら成り立たない、どちらかというと能力の低い、そんな相手とやっていく、先輩や養育者や先代のムーブ」
というのも、どちらも単なる今までの『衡平』や『公正取引』では成り立たないんです。

***

対等にやっていく、『誠実』や『信頼』というフェーズにおいては、『衡平』『公正取引』はもちろん『誠実』や『信頼』の重大な担保だ。
だが、「その『誠実』や『信頼』を貫徹出来ないことがあるかもしれない」というリスクは常にある。
その都度、相手を人間松明にしていたら、逆に自分がやらかした時、即座に人間松明にされてもしょうがない。
(もちろん、自分がやらかすことは、本当にしょっちゅうある。ないと思ってる人、いくら何でも油断しすぎやろ)
こんなもん後で誰もがメチャクチャ困る。

『誠実』や『信頼』からの『逸脱』に対する(しかも私人による)『報復』としての『懲罰』、長期的に見たら、
「特定の相手以外に対しては、最初から『誠実』や『信頼』を構築しない方が楽である」
という話をかなり強く後押しする。
これでは、あれば便利だったはずの、『誠実』や『信頼』に基づくありとあらゆる『制度』が、おおよそまともに動かなくなる。

例えば、『社会』の、特に
「放置しておくと社会全体のリソースが得られず失われ、参加者全体の誰もが損をするので、参加者全員の誰もが関わることが『望ましく』、少なくとも誰かの何らかの関与が『要請』されている領域」
即ち『公共』に、実際に関与する立場になりがちである、『政府』全般というものがある。
これなんか、
「あいつらがやればいい」
という分業的な信頼がなければ、到底存続できないだろう。
これがなければ、彼らは地元の『豪族』であることすらできないし、ただの『匪賊』に堕する。

もし、既に『政府』全般が構築されていたのだとしたら、そうした『政府』全般は、いずれこうした『報復』や『私刑』を抑制しなければならなくなってくるだろう(実際に『近代刑法』はそういうことになった)。
『報復』や『私刑』が、『誠実』や『信頼』の、ある程度以上の発展を抑制するのであれば、そんなものは明らかに『公共』を脆弱にする。
『誠実』や『信頼』が、『公共』で十分に決済可能であるためには、『報復』や『私刑』は、ある時点から、端的に邪魔になってくる訳だ。

つまりは、人間松明ムーブ、邪魔。

***

で、さらに、能力の低い相手とやっていく? じゃあ『誠実』も『信頼』もまず無理だ。相手に、そんなことを担保出来る何か、あるか? どだい無理な要求だ。
こうなると、もう、「『衡平』や『公正取引』がないとダメ」という狭い公理系では、目の前の事態に何一つ太刀打ちできなくなる。
だから、「『衡平』や『公正取引』が成り立たなくなっても、そこでキレない、『罰』しない、そういう『寛容』の徳が必要になってくる」という話が出て来る訳です。

***

そして、大切な話なんだけど、これらは「許されている、精神的余裕がある」ことで初めて伸びるスキルツリーです。
つまりは、多少はボられても、それで笑ってスルー出来る、そんな光のカネモチみたいなムーブが出来るほどには、現にリソースが光のカネモチでなければならない。
んで、自分が貧しいと思っていたら、そんな光のカネモチみたいなムーブ、論外に決まってる。こんなもん、「は?」としか言えないだろう。
そりゃあそうだ。ボるやつを許していたら、そいつらはピラニアの大群と化して死ぬまで襲い掛かって『搾取』してくるし、襲われて『搾取』された側は死ぬだけなんからな。
「それでも生き残ったやつが光のカネモチだ」というのはまあそうなんだが、その話は「光のカネモチになるためにピラニアの大群に食われろ」という話には当然ならん。

光のカネモチになるためには、光のカネモチになるスキルツリーが要る。
光のカネモチムーブをするためには、さらに光のカネモチムーブをするスキルツリーが別に要る。

光のカネモチになるスキルツリーについては省略します(というか、俺も欲しいが、詳しくないんですよね)。
光のカネモチムーブのスキルツリーの方、こっちは何となく分かる。
おそらく、
「長期間の安全な『安定』」

「周囲からスナック感覚で食い物にされない程度には、その人にデメリットのない『受容』をされていること」
などで培われる性質のものだ。

で、「自罰の呪い」に囚われている人、そもそも自分が自分に『安定』も『受容』も容認してないだろう。だから、これは、その路線を貫く限り、永遠に手に入らない。

***

そういうこともあって、やはりいつかは「自罰の呪い」を放棄しなければならない。
そして、大事な話だが、出来れば『自由』や『解放』と同様に、『安定』や『受容』をも身につけねばならない。

具体的には、
「自分には経験がまるでないので何一つピンとは来ないが、世間的には『安定』や『受容』であるようなものがある。
それを手に入れられるだけのスキルやリソースは、おそらくはもう身に付いたであろう。
博打に出てもまあまあそれなりに手堅く回収出来るだろう

と思えるようになったら、スッ、とやる。

これをしない限り、『寛容』など手に入る訳がない。
人当たりは厳しくなり、子供も育てられなくなる。そもそも、そういうのを避けたかったから、こんな話をずーっとしてるんですよ。

***

当初は、そのようにして得られた『安定』や『受容』は、ものすごく据わりの悪い気分をもたらす。
今まで手に入らなくて当たり前だったものが、しかも案外呆気なく手に入ったら、まあ「えー何ソレ…こんなんアリだったのかよ…マジかー…」って感じで、混乱の一つや二つもするだろう。
というか、何ならキレるまである。「今までの人生は何だったんだ。本当ふざけんなよ」という。そりゃあそうでしょうよ。

だが、もちろんそれは、今まで蓄積した呪いのアイテムのゴミの山が、呪いから解放されて、ようやくちゃんとしたマジックアイテムとして節々で活きてきたからなんだけどな。
だから、「今までの人生は、断固として意味がある」。「はっきりとそれは有意義な過程だった」。「それだけのことはしてきたのだ」。「それら培ってきたものを、その後の人生に活かす」。
そして、「今度からは、やってきたものを、呪いのアイテムだと思って一瞥もせずに舌打ちしながら撥ね除けたりはしない」。
そう決めたのだし、その通りにしているし、現になっている最中なんだからな。
そこは決して間違えてはならないし、忘れてはいけない。

2_5.どうしたら、「自罰の呪い」を、ここぞという時に放棄出来るのか

さて、ある程度「自罰の呪い」で幸福と引き換えにスキルを稼いで、幸福になるためにスキルはそのままに「自罰の呪い」を放棄したら、かなりイケそうだ。という話は今したところです。
つまりは、「自罰の呪い」を、ここぞという時に放棄すればよい。そういう路線の話になる。
じゃあ、「自罰の呪い」、どうやって捨てるのか…?

(続きは、また明日にします)

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