今後の予定 4『じゃあお前は何が書きたいのか?(目的について)』4 目指すべき先行作品の一つとしての『ファイナルリクエスト』
・Why : どんな価値や目的のために活躍するのか(先行作品が垣間見せた「彼岸の星」)
(3)社会人時代:新たな小説や漫画との出会い
(3-4)『ファイナルリクエスト』
先に説明しますと、Webアニメ『ファイナルリクエスト』はニコニコ動画において既に完結し、講談社アプリ『マガポケ』において電子漫画版にコンバート中であり、また劇場版企画が動いており、私もいろんな形で応援している最中であり、そういういろいろがあって冷静な説明ができません。
ですので、手短に。
(とか言いつつ、オチのネタバレをします。電子漫画版でしか知らない人はすぐに引き返すんだ!)
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かつては間違いなくプレイヤーの電子の友であった、そして今は見捨てられたロールプレイングゲームのキャラが、激動の果てにバグで滅んだゲーム世界を後にする。
リアル世界にたどり着いた電子の友は、閉塞感に囚われて狭いリアルで世を拗ねたプレイヤーに、滅んだ世界の分も含め、万感の籠った一発を入れる。
叱咤の後で、電子の友はプレイヤーを激励し、狭いリアルの外にある、無情にも優しく輝く広いリアルに、勇ある者としてプレイヤーを送り出す。
プレイヤーは、「もう一人の」勇者だった「もう一人の」プレイヤーの待つゴールにたどり着き、幸せを果たす。
電子の友はプレイヤーから自由になり、リアルの中に解き放たれる。
ひょっとしたら、かつてはまた別のプレイヤーだったあなたが、世を拗ねたときに、叱咤激励するためにやってくるかもしれない。
そういう話だったのだろうと私は理解します。
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現実は広いが、認識が狭かったら、そこから見える世界は狭いに決まってるし、やれることも狭くなる。そもそもそんなことを思い付きもしないだろうし、そんなことができるのだと思い至ることもないだろう。
狭い認識の人にとって、世界は端的にクソだ。クソにしか見えないものを、さも素晴らしいが如く誉める人、コモンセンスが違うから、何の信用もない。当たり前だろう。
もう少し誠実に、クソを誉めるのではなく、素晴らしいものを誉める話をしろ。
フィクションや物語や遊びの方が、よっぽどはるかに肯定的な話をしている。シンプルな素晴らしさを誉める話は、クソを誉める話より、よほど人に通用するし、より真剣に受け入れられる。
だから、現実でないフィクションや物語や遊びは、そういう形で狭い認識を打ち破り、やれることを広げてくれる。現世の幸せにも導いてくれる。実はこれはそういう話だったのだと思います。
フィクションとは何か、物語とは何か、遊びとは何か、という形の「彼岸の星」を、確かに見せてもらったと思います。
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『ファイナルリクエスト』の作者は、何かある度に「願わくば、郷愁を踏み越えた新たなる幻想の地平を、我らいずれかが見出さんことを」と呟いていました。
具体的に言うと、当時は未来案件に他ならなかったゲーム、今ではレトロゲームとなったそれが、確かに当時見せてくれていた「彼岸の星」を追い求めていた人なんです。
そうしたら、結果的に成功したり、そうではなく単なる郷愁しかもたらさなかったり、もしくは万人が呪うような無残な荒地だけが残ったり(この件で今でも猛烈なアンチがいますし、私は硬派を謳う彼らアンチが、陰謀論と誹謗中傷を、何の疑問も持たず平然と繰り広げるにあたって、とうとうアンチとジャンルそのものと決別せざるを得なくなりました)、そもそも大きなうねりにならずに空振りしたり、そんなことばっかりだったんですよ。この人は。
その彼が、ついに「新たなる幻想の地平」にちゃんと着地できたんだなあ、と思うと、本当に感慨深いです。それは、私にとっては、間違いなく「彼岸の星」として映りましたよ。