日記(2020/6/21):お見合いと、対人魅力のための初歩的な取り組み
1.対人魅力、大事
実は私は、今日、お見合いがあるんです。それでですね…
え?
「うっせーなー。お前のことなんか、知ったことかー!」
まあそりゃそうでしょうね。
だからこれは、自分用の心構えというか、メモとして、書いておくものです。
(そもそも自分用のメモを公開するなよな)
2.対人魅力以前の問題
今回は、今回の相手との初回のお見合いなので、相手に「また会おう」と思ってもらわないといけません。まずはそこからですね。
で、もちろん「また会いたい程度には興味を惹く」ということが出来ていなければならない。そんな興味がないなら、わざわざもう一度会いたくはないでしょうね。向こうも向こうの貴重な休日の時間を割いて来ているんだから…
3.まずは対人魅力以前の問題を簡単に解決しなければならない
3_0.一般論
で、相手の興味を惹くような、対人魅力の話は避けがたく出て来るのですが、そもそもそれ以前の話がたくさんあり、そこをクリアしないと、対人魅力は輝いて来ない。と考えています。
3_1.打ち解けた雰囲気のやつか、気難しい・鬱陶しい・恨みがましいやつか
対人魅力以前に、たとえば小学生の友達付き合いでもそうですが、まずは「仲間内」に受け入れられなければならない訳です。
どういうやつが受け入れられていなかったかというと、パッと思い浮かぶのは、「気難しいやつ」「鬱陶しいやつ」「恨みがましいやつ」ですね。
そもそも周囲への信頼が十分にないと、どうしてもこれらのパターンになりがちです。
(ちなみに私は後天的にこうなったんですね。
仕事は忙しいし、仕事を振ってくる周囲の皆さんが、あまりにも安易に何でもかんでも投げて来るし、その割に報酬はおそろしく乏しいからです。
まあとやかく言わんけど。
もちろん私がこんなモードになっていてはいけないのですが。やめなければならない)。
で、そんなの周囲は知ったこっちゃありません。要は
「打ち解けた雰囲気であるか、そうでないか。
打ち解けてないやつを受け入れても、ギスギスするだけだ。
そんなやつぁ受け入れたかねぇよ」
という論点でしか見ない。
そりゃあ、当たり前ですよ。受け入れる側にとっては、それが一番大事なんだから。
3_2.陽気か否か
上の話とちょっと似ています。
が、上はあくまで「否定的でないか」の話であり、どちらかというと受動的な話です。
これはちょっと違い、「肯定的かどうか」の話であり、どちらかというと能動的な話です。
「陽気か否か」という話は、要は「自分が情動的に周囲を拒絶しているかどうか」ではなく、「自分が情動的に周囲にかかわっていけるか」という話です。
受動的なだけなら性格ですが、能動的な事柄になると、これは才能と言えます。
「陽気である」ということは、仲間内では非常に効き目のある才能で、これがあるということだけでも、仲間内に与える印象が大幅に違います。
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「自分は陰気だから」というのは、仲間内に入りたくないならまあそれで全然問題ないんですが、「仲間内をやらなければならない」時には、陽気を出すことはどうしても余儀なくされます。
才能というのは、「やる前にあらかじめ出来るかどうかが分かる」というより、「やってみてどこまで出来たかが分かる」ということが、案外結構あるものです。
だから、まずは「下手かどうかなんかどうでもよく、目の前に状況がお出しされたからには、やるしかないだろう」という姿勢で、やるしかありません。
その後で「やっぱり向いてねえ」となろうが、「出来るがやりたくねえ」となろうが、それはいいんです。
とにかく自分の才能の無さのせいで、何かあったらリスク管理できるのか、不安になることだけはなくなる。
「だいたいこんなもん」というのは分かるから、「その枠内でのみやればいい」というのも分かる。
「ある枠内ならば、状況はコントロール可能である」という知見が生じる。これが何より大きい。
で、やらないと、状況にどこまで手出し出来るか分からない以上、状況に一方的になすがままにされるので、それが嫌なら、やはり適正に処理した方がいいでしょう。
お断りして、相手が聞いてくれる。という話は、ふつう成り立たない。相手がそこまで節度を弁えた人たちであるとは限らないし、お節介な人であったらそこで詰むからです。しかもこれはよくあることです。
3_3.風格を示すものとしての輝き
陽気さ等の才能のおかげで、仲間内でひとかどのやつだと思われることに成功したとする。
そういうちょっとした才能をどんどん磨くと、ますます仲間内では尊敬を集める、風格を示すことになるでしょう。
そのうち、才能を鍛えることが自己目的化すると、それはその人と切り離せない、固有の輝きを持つようになる。
バスケがうまい人が尊敬を集めたら、よりバスケに打ち込む、みたいな話です。
その人は、仲間内と関係なく、校外での試合でも、相変わらずバスケの熟練のために努力するでしょう。
そういうのが大事で、そういう「人目に訴えかけるためではなく、とにかく何かに打ち込んで、さらに求道を深めていく姿勢」が、逆説的に才能や風格としてとてつもなく輝くんですよ。
そうでないと、その輝きは本人のものじゃなくて、他人の評価のための道具に過ぎないんだから。
あくまで「本人が灯した輝き」であることに意味がある。
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ただ、ここで気を付けなければならないのは、やはり仲間内はないがしろにしてはならない。ということです。
特に、その輝きを他人に振りかざして、「俺は偉い」と言わないこと。これが決定的に大事です。
そういう「仲間内からのそいつの才能や風格への評価」や「仲間内を越えたそいつの輝きへの評価」は、あくまで他人が下すものです。
そいつが他人に強いたら、それは台無しになっちゃうんですよ。
そもそも、これ、相手の都合をすっ飛ばしているんだから。「お前は俺を仰ぎ見て褒め称えることだけやっていればいい」という意味合いになっちゃうんですよ。
「お前は俺を仰ぎ見て褒め称えることだけやっていればいい」という人、まあ、余程の才能や風格がない限り、皆嫌いますよ。
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そもそも、そういうやつ、しばしば、他の人を肯定しない。少なくともまともに褒めないんですよ。
褒めると自分の立ち位置が損なわれるとでも思っているのでしょうか。
でも、そういうことをすると、その仲間内の場は、他の皆さんにとっては、だいぶ居心地の悪いものになりますよ。
そのうち、仲間内の場を瓦解させることになる。
仲間がいないのに、なおもその才能が評価されるか、風格が評価されるか。そこは真面目に考えなければならない。誰もいないのに、誰が評価するものか。
繰り返しますが、仲間内をないがしろにしてはならない。
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あと、嫌な話ですが、仲間内に評価されない求道は、輝きになりません。
というか、仲間内をすっ飛ばして、輝きだけを追いかけると、それはオタクになってしまいます。
それはそれで素晴らしいことですよ。
ただ、そういう輝きが、対人魅力として評価される可能性は、かなり低い。と考えるべきです。それは、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ということにすぎないし、たいていは当たらない。むしろ、皆、逃げる。そこは覚悟しましょう。
(人に向けて、砂糖菓子か鉛弾か分からないものを撃ってくるやつがいたら、それが砂糖菓子だと分かってない限り、そりゃあかなり看過できないリスクだし、シリアスな脅威ですよ)
4.対人魅力以前の問題の対策
4_1.「気難しさ、鬱陶しさ、恨みがましさ」は、「仕事を終わらせてガッツリ休む」と、それだけで激減する
大人になってから、気難しく、鬱陶しく、恨みがましくなっている場合。
それらはたいてい、あまりにもキツイ仕事か、あまりにも低い報酬がもたらしています。
だから、仕事を終わらせて、ガッツリ休めばいいのです。
私も昨日は、半年もかかった長い長い面倒な仕事を終えたので、ガッツリ休んだんですが、おかげでそれだけでかなり打ち解けた感じになりましたね。昼に家族とお茶を飲んでバカ話をしていたものです。
え? 「どんだけやっても仕事が終わらない」?
それは職場からの仕事の配分がおかしいので、上司に直談判した方がいいと思いますよ。だってそれが上司の仕事なんだから…(事業主については存じません。申し訳ありません)
それがダメなら? 特別司法警察としての労働基準監督署とかに訴えるとかですかね(急にマジな話になった)
4_2.「陽気さ」のためには「ウッと詰まるような毒を吐かないで、明るい話だけしていればよい」
親しくなるとドギツイ話をすることがあるかもしれませんが、気心のあんまり知れていない人にドギツイ話をしてはなりません。
そもそも、ドギツイ話をするのは、共通の問題があって、その問題に関係者全員が不満を共有している時だけ、有効なんですね。
なので、そうでないなら、しない。というのが重要になってきます。
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ぶっちゃけ、悪口って時点で、まずはネガティブな感情の表現なんですよ。
だから、聞いている側は、言っている側のネガティブな感情を察知して、部分的に共感能力を乗っ取られて、無理矢理ネガティブな感情にさせられてしまう。
だから、悪口言ってる人というのは、こちらを無理やりネガティブな感情にしてくる、脅威でしかなくなる。
誰が脅威と仲良くしたいと思う? そういう話なんですよ。
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たとえあなたがオタクだろうが、毒を吐かなければかなり違って来る。(だから、毒を吐きたがるオタク、気を付けて下さい。私も気を付けます)
ウッと詰まるような毒を吐かない。これが大事になってくることでしょう。
4_3.「輝き」のためには「好きなジャンルの話」でキラキラする
お見合いなので、趣味の話を聞かれる可能性がかなりあります。
その時は、「自分はこれをやっていて超楽しい、こんなに楽しい世界がある」という話をしましょう。
オタクはこれが得意ですね。
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ですが、二つ、気を付けねばならないことがあります。(オタクがやりがちな罠の話です)
一つは、相手に聞かせることに徹し、決して巻き込まないことです。
相手はまず聞いているのであって、巻き込まれるのは脅威だからです。その立ち位置を脅かしてはならない。
これに抵触すると、本当に言いたくないのですが、「悪意ある宗教団体の勧誘ムーブ」に酷似した、かなり強烈な嫌悪感を相手に生じさせることになります。
お見合い? うまくいく訳がない。
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もう一つは、独り善がりではない、ちゃんとした「聞かせる話」にすることです。
素晴らしいものを、何で素晴らしいのか、説明出来ていたいのなら、ちゃんとそこは練っておかなければなりません。
曖昧な説明のせいで、相手に「そんなものはくだらない」と言われたら、こっちが腹立つじゃないですか。
プレゼンとまでは言わないが、「私はこれが好きで、なぜならこういう素晴らしさをもたらすからだ。私はこれが素晴らしいと思っているのだ」くらいのことは言えるようになっておきましょう。
それで「価値観が一致するか、共存可能である」と分かったら、お付き合いを続ければいいのです。
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相手の身からしたら、好き嫌いの曖昧な人と付き合って、こちらの好きなことをやろうとしたら、こちらが「こんなじゃない」と腹を立てたら、まあ相手は倍腹立つでしょう。
「言ってることが違う」「これでは他人のために何かするのは無理ではないか」「自分の好き嫌いという根幹の話ですら、口頭で説明出来ずに、察してもらおうというコストを、先方に払わせる相手、お話にならねえ」とか言われても、何も文句は言えないと思うのです。
ちゃんと自分の好き嫌い(特に好きの方)は、解像度を上げて「こういうのが好きです、特にこういうところがポイントです」と説明出来ていなければなりません。
そうすれば、向こうは「ああ、こうしてもらえると嬉しいし、ここの要件はゆるがせに出来ない大事なポイントなのだな」と読み込んで、よりスムーズに「こちらのため」をしてくれるようになるでしょう。
(もちろん、こちらも心から「相手のため」をしたくなったり、実際にしたりする日が、いつかある訳です。
これがしたくなってきたり、したりすると、ようやくまともな付き合いに近づきます)
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繰り返しますが、くれぐれも、「だからあなたもこれを好きになあれ」とは言わないようにしましょう。
聞いている相手の座布団を引っ張って、自分の舞う舞台に巻き込むんじゃあない。
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あと、前にも書きましたが、「自分」が輝こうというのは、また後にした方がいいでしょう。
そもそも、まだ相手は「自分」には興味がない。
相手のプレゼンもどきを聞くのは、プレゼンもどきだから容易いが、相手の人格を読むのは、まあそれなりにハードルが高いものです。
それを、いきなり、強いないようにしましょう。
相手が自分に興味がない時点での、自分のアドバンテージのアピールは、下手をすると、鬱陶しさの元です。解決したはずの鬱陶しさが、こんなところで出て来てしまう。これでは対人魅力以前の問題に逆戻りしてしまう。
この辺を揺るがせにすると脅威をもたらすし、脅威だと思われた時点でお見合いにならなくなる。
そういうところを、気を付けていきたいですね。
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そんな訳で、私は今から、頑張ろうと思います。
行くぞ!
(お見合いは昼にあるんで、9:45の今、そろそろ最終調整すべきタイミングです)