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随筆(2020/12/6):人間関係を続けるために必要なことのいろいろ(上:誠実や信頼に基づくいろいろを、誠実や信頼を抜きにやらない)

1.誠実や信頼に基づくいろいろを、誠実や信頼を抜きにやらない

1.1.お見合いをお断りした翌朝のテンションで怪文章を書くな高校校歌

色恋で、後で応じる告白、よくある。

これに限らず、後で応じる系の話、たくさんあるんだけど、これはそもそもふつうは
「何らかの後払いがある、反故にされない」
ことが強く期待されており、そうでないならそもそも関わり合いになるべきものではない。
そりゃそうよ。反故にされる約束なんか、最初から結びたくないし、反故にされると予測されるなら、そんなもんやる気が出る訳がないぞ。
「今回、俺は降りる」
となるの、ふつうにありうる判断の内でございますね。

1.2.約束事を反故にする人、信頼なんかある訳がない

というか、反故にする約束をちらつかせてテーブルに座る人、そりゃあ嫌われるだろう。
約束を結ぶ以前に、約束事を守る気がない。結果的にほぼ毎回反故にする。というのを基本姿勢とする人、いる。
餓死を迫るフリを、スナック感覚で罰として多用する親、いるじゃないですか。
両方とも同等の、限りなく最低ラインに近い信頼しか、こちらとしては持ちようがないんですよね。
というか、親やパートナーでなく、まだ他人なんだから、そんな相手への信頼は、なくて当たり前だ。
この時点で藁の家ほどもない信頼を、自分で吹き飛ばして毀(こば)つの、何やってんだか分かんねえんですよね。

1.3.信頼がないうちから、「後で」報いるという話をするの、ダメ

信頼関係がない相手に、なおも後払いを余儀なくする取引、ある。
だが、これ、一般に否定的な扱いを受けても、まあそりゃあそうだろう。としか言えないんですよ。
そういうことを、何も考えずにしていたのなら、それは極めてマズイ。
あえて考えてやっていたのなら、理由はともあれ、唾棄すべき邪悪生物の塊の所業だ。としか言えないんですよね。

1.4.同意や合意は出来るが、誠実や信頼の徳が備わってない「から」、取引も約束も出来ないし、取引や約束を腐す人、やはりダメ

「告白は、何かをやりとりする取引でも、何かをする約束でもない。
ロマンティック特大感情に基づく、『好き合っている』という意志の上での事実の、同意の合意だ」?

まあ、それはそうかも知れん。というか、基本はそうだろう。
だが、それは単に、もっと高度な面倒な話をしなければならない時に、基本の話をしているだけかも知れない。
それは、まあ、正しいが、カテゴリーエラーだ。誤魔化しですよ。

要は、
「同意や合意は出来るが信頼(か下手するとその前段階の誠実)が出来ないので、取引なり約束なりの面倒な高いところに手が届かない」
し、
「手が届かないことに不満があるので、『あのぶどうは酸っぱい』、すなわち『取引や約束は卑しい』と言っているパターン」
である疑いが非常に高い。そういうことを言っている。

それでは、誠実も信頼も、取引も約束も、永遠に出来ない。
それはそれで人生だが、ふつう、やれることは極端に減る。
減ったことに文句がある? じゃあ誠実や信頼や取引や約束のテーブルにつくしかないだろう。
そこで、反故にする約束などというものをちらつかせながら、平然とテーブルにつくんじゃあない。
こんなもん最悪のムーブやんけ。本人たちの中ではともかく、店員としては、「出て行ってもらう」より他ない。当たり前だ。

さて。
誠実は、非常に大きなメリットのある在り方だ。出来ておくに越したことはない。
じゃあ、どうすればいいのか? という話を、次回します。
(久々に書いたら長くなってしまったので、いくつかに切ります)
(またか)

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