日記(2019/12/9):金沢湯涌創作の森で、芸術と身の振り方について考える
湯涌創作の森で母と版画を見ていた。
いいなあ。心が弱まっている時に染み入る。
共感能力や作品のよしあしの目利きがあればもっと深く楽しめるのだろうが、まあそれはまた後日だな。
(写真撮っていいのか分からなかったので撮ってない)
「これがすごかった、これのすごさを描きたい、見た人が、おおっ、と思ってくれたらいいな」という初心とか、
「これのすごさを描くのに結局はそれに適した描き方が要る」という技法とか、
「これのすごさを描くのには結局はこのモノが適している」という素材とか、
あとは「最初はこれが描きたかったが、この技法や素材で他にいろんなすごさが描けるぞ」という発展性とか、
そういう芸術的な広がりが、自分にも受肉すればいいな、という思いになりましたね。
俺は小説が書きたいんだろう。じゃあそこは避けて通れないよね。いつかはちゃんと考えなきゃならん。
元気があり欲望があると、ディズニーとかコミケとかがいいんだろうけど、疲れてる時にリラックスしたい時は温泉に入り、その後でこういうものを見るといいのかもしれない。
(もちろん向き不向きはあるが。疲れてから湯涌温泉でリラックスしても、 そこの金沢竹久夢二館の絵にぜーんぜんピンと来なかった時期の方が長いもんな俺)
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