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拝む。祈る。

先日、秋田の男鹿半島に行ってきた。
事前に連絡していたカフェと民宿をやられてる方に逢いに行くために。
秋田駅を出発して午前中に男鹿駅に降り立って、目的地が車でないと行けないのでレンタカーを借りに行った。
時間に余裕があったので、レンタカー屋さんに車で行けるおすすめスポットを聞くと、「温泉郷」、「ナマハゲ資料館」、「赤神神社」とゆー3つのスポットを教えていただいた。
「温泉」なんか大好きに決まってる。
けど時間的にのんびり入れないから急いで行くのは勿体ない気もする。
男鹿はナマハゲの本場で、ナマハゲに関する施設があったり、でっかいナマハゲの像が立ってたり、今でもナマハゲの文化が残っている地域。
せっかくやし行ってみよかなーて思ったけど、
「赤神神社」の写真がなんとも言えない素敵な雰囲気で
「ここに行ってから時間があればナマハゲに行こう。」
となり赤神神社に向かった。
赤神神社は海沿いの山の上に建てられていて、5つのお堂?が鎮座するなんとも言えないどっしりとした佇まいの「五社堂」がある神社。
その手前に999段の石段があって、その石段は鬼が一晩で積んだという言い伝えがある。
この石段の伝説が面白くて、
コンパクトにまとめると、

村で穀物を荒らしたり娘をさらったりする鬼に村人が
「一晩で千段の階段をつくれれば年に一度娘を山に献上する。無理なら山に篭って出てこないでくれ。」
とお願いして鬼がすごい勢いで階段を組んでたけど999段目を積み上げた瞬間コケコッコー!の鶏の声。
朝が来たのかと鬼たちは約束通り山に戻っていった。
ただこの鶏の鳴き声はモノマネが上手かった村人の声帯模写でした。

とゆうもの。
鬼さんめちゃくちゃ律儀。
可愛げあって鬼もさん付けにして好きになりそうな伝説。

車で海沿いの山を登って駐車場に停めてから自分の足で階段を登っていく。
鬼さんの組んだ不揃いな石段は想像以上に体力を奪われて、石段の数を数えるのは早々に諦めた。
少し汗ばんだくらいで五社堂に到着。
華美な装飾があるわけではないけど、力強い。
海は近いけど山の上にあるので波音さえ聞こえなくてお堂の無骨さがより際立っていた。
さて。5つもお堂があるとゆうことはお賽銭は5回。
お金の額が変わるのはなんか罰当たりやなぁと思って財布を見たら100円玉が6枚くらいあったからちょうど良かったーと思って5回の二礼ニ拍一礼。
十礼十拍五礼が終わったときに、ふと気づいたことがある。

「神社とかでお賽銭するときに、お願いをもう長いことしていない。」

ということだ。
小さいときに多分「お賽銭したらお願い事をするんやで」って教えてもらって自分が欲しいモノとかをお願いしてたのは覚えてる。
中学生くらいになると、
「欲を出してはいけない。だから欲が無い感じでピュアな感じでお願いしよう。」
みたいな欲望丸出しよこしましまのお願いをしてた。
高校生とかになると
「◯◯しようと思ってるので良かったら見といてください。」
って感じに結局やるのは自分やけどもしこいつ助けたろうと思ったら助けてくれたら嬉しいです。みたいな自分の決意表明みたいな感じになっていったのも覚えてる。
ただ、最近の感じはそれともまた違う。

いつからか、
「ただただ拝みたい。」
とゆう理由で手を合わせるようになっていた。

神社やお寺や自然に囲まれた空間は場所によってはめちゃくちゃ空気が静かで、そこにいるだけで幸福感が得られるような、大きな力を感じることがある。
その壮大さ、荘厳さ、神の宿るごたる神聖さ、美しさ、圧倒的な優しさを身体で感じた時に、なんだか拝みたくなる。
祈りたくなってくる。
それはおこがましいけど『有り難う。』みたいな感覚に近い。
言葉を使って形容できないほど美しいものに、日本人は両の手を合わせて敬意を称するのかも知れない。
「言葉にならない」ってところが、踊りと似ていて、
もしかしたら人は自然とか神とか見えない大きなものに感謝を込めて踊っていたのかも知れないと思った。

めちゃくちゃ美しいものを見たときはあまり踊ろうとは思わない。
たまに踊ってしまうこともあるけれど、
そこにあるものが完璧すぎて踊りが入り込む余地がない気がするから。
でもその日はいつの間にかそんな風に拝むようになっていたことを自分で気付けたのがなんだか嬉しくて、
祈るように踊ってみた。
動画にも残してないけど気持ち良くていつもより少しだけ優しく踊れた気がする。

そのことを秋田でできた今お世話になりまくっているお友達に、早朝から車に乗せてもらってるときに話してみると、
「最近そーゆー話を別の知り合いとしてたからびっくりした」
と言ってて僕も何の気なしに言っただけだったから驚いた。
友達はある方の作品(絵)を東京に観に行ったときに、自然と手を合わせたくなったそう。
「人間は本当に美しいものに圧倒されたり触れたりすると拝みたくなるのかもしれないね。」
そうですよねぇと思ってたら、後に友達は続けて、
「そういうモノをつくりたいな。」
と語った。
いやはや。
自分はそんなモノを自分が表現しようなんて全然思ってもみなかったからスカーンと良い意味で衝撃を受けた。
そんな風に踊れたらきっと最高に違いない。
まだ「自分も」とまでは思えないけどそこまでいけたなら素敵やなぁと思ってると、
山形と秋田の間に跨る雪化粧をした鳥海山の隣から朝日が溢れ出した。
「こーゆーのだねぇ。」
「ですねぇ。」
言葉なんていらない美しさを浴びて、
写真も撮らずに助手席から友達の分まで手を合わせた。

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