鉄塔の町 10
海沿いにある小さな田舎町は、鉄塔がそびえ立っている。丘の上に腰をおろして無機質な体を空へと伸ばし、電線を四方へ伸ばして交流電燈を運んでいる。仮定も肯定も無いがだからこそ、そこはかとない夢の様な空間なのかもしれない。
町には赤い電車が走っていて、東京にでるにはその電車に二時間ほど揺られればよかった。二時間ゆられると品川まで行くことができ、そこから山手線に乗ってしまえば東京の街の何処へでも行けた。出ていこうと思えばいつでも出ていける。帰ろうと思えばいつでも帰れる。だからこの町にいなさいね、と言って電車は走り続ける。
無機質な銀色の巨体はこの町に根を張り、一番高い場所で私たちを見張って、進行も後退もすることなく安定を町に供給している。そう教えてくれたのはネリだった。私は鉄塔に会ったことはないのでよく知らない。あの銀色の巨体を遠くから見上げて、母を食いつぶした相手としてなんとも言えない思いを投げかけてやる。果たしてその気持ちが届いているのか、さっぱりわからないが。
小さい頃から鉄塔にだけは近づくなと厳しく言われていた。「あれは送電線で、近づくとバリバリって、体に電気が走っちゃうのよ」母がまじめな顔で言うものだから、幼い私はそれを頑なに信じていた。しかし成長し、ある程度のこともわかってくると、母が毎日鉄塔の元へこっそりと通っているのを知った。父も知っているようで、しかし絶対に家族の話題にはあがらなかったものだから、私も鉄塔という単語すら出さないよう気をつけていた。
ある時、まだ父も母も健在だった頃、母が血相を変えて家に帰ってきた。真っ黒い髪の毛を振り乱し、肩で息をしていた。確か日曜日だったから父もいて、リビングで二人紅茶をすすっていた。母がずっと父の耳元で一方的に何かを話し、父はうんうんと神妙に頷くばかりだった。どうしたの、と聞いても母は父の耳元でコソコソ話しを止めず、なにかただ事ではないのだろうと察した。しばらくして二人の様子が落ち着くと、母が私の正面に座った。
「この町であなたと同じ年くらいの金髪の少女がいても、絶対に話したりしてはだめよ。とにかくその子とは関わらないの。いいわね」
訳の分からぬまま頷いて「どうして」と聞いてはみたものの、母も父も何も言ってくれなかった。
それからだいぶ経った頃、私が一人海辺で砂遊びをしていると、一緒に遊んでもいい、と金髪の女の子が私の隣にふらりとやってきた。金色のサラサラした髪の毛が潮風にのって綺麗に弧を描き、ガラスのような肌が太陽の下でまぶしかった。鼻はすっと通っていて青い瞳は大きく、なんて美しい子なのだろうと素直に思った。そして同時に、母が頑なに会うなと言ったのはこの子だ、とすぐにわかった。
「……お母さんが、あなたと話すなって言ってた」
そういうと、少女は一瞬悲しげな顔をして「どうして」と心許ない声で返事をした。
「……わからない。けど、言っていたから」
それだけ言って私はその場を立ち去った。少女はしょんぼりと頭を垂れて、美しい金色の髪の毛を風に任せていた。あれがネリだということを、私は後々知った。私たち家族が壊れるまでに私とネリが喋ったのは、その一回こっきりだった。
鉄塔は女性の生気をすするんだ、とサトウ君が言っていた。女性の生気をすすって自分の活力にして、それと引き替えに町に安定と安心を供給し芳醇な交流電燈を流す。鉄塔にすすられる女性というのはある意味で生け贄みたいなものだろうね、と。
「君のお母さんは、君にその生け贄の役割を任すわけにはいかなかったんだろう。すばらしい母親心じゃないか」
鉄塔は生きていて、この町を守っているらしい。すすられる女の末路を、母は体言しているのだ。いつかはネリも母のように空っぽになって、そして自分では何も考えられないようなお人形になるのだろう。私はそんなものにはなりたくないし、母は単純にあの家を守りたかったのだろう。同じような末路を辿らせるわけにはいかなかったと思ったのかもしれないし、私を鉄塔に会わせてはいけない他の理由があったのかもしれない。今となってはわからないが、もはや理由なんてなんでもいい。鬼のように絶対的な母を食いつぶした鉄塔には、野良犬のような侘びしさなんてわからないだろう。
もうちょっと頑張れよ、とか しょうがねえ応援してやる、とか どれもこれも励みになります、がんばるぞー。