鉄塔の町 7

一つがわかればすべて芋蔓方式で答えが出てくるかと思ったが、それは私の大きな勘違いであった。言葉とサトウ君を結びつけたところで分かったのはただそれだけの事で、欠けた卵の未熟さとかやりきれず消滅する未来みたいに答えは明白だったのだ。『記憶のサトウ君は綺麗に消えている。』

彼がこの町にやってきたのはいつだったかわからないが、雨が降っていたことだけは覚えている。梅雨の湿気をはらんだ雨だったかもしれないし、夏の人々を洗うみたいな雨だったかもしれないし、冬を運んでくる雨だったかもしれない、それは覚えていない。とにかく雨が降っていて、サトウ君は駅前で穴の空いたビニール傘をさしていた。私はなにか一言二言彼に声をかけ(なにを話したか覚えていないのは、握りつぶされた記憶の為か)、彼は笑って答え(なんだか胡散臭い奴だと思ったことははっきりと覚えている)、サトウ君とその場はわかれた。なにを話したのだろうか。本当にそれは重要なことなのだろうか。錆びた骨ではわからない。町自体が歪んで偏屈なのかもしれない。

それから、至る所でサトウ君を見かけるようになった。駅前で、住宅街の片隅で、海岸通りで、ネリの隣で。僕は東京に住んでいるのだけど、この偏屈な町が気に入ったから暫く遊んでいくことにする、とかなんとか言っていた。気がする。

曖昧なものだけを掲げてほくそ笑んでいるのは誰だろう。丘の上に立つ鉄塔は私が生まれたときから私を笑っているだろうし、ネリは私を認識したときから私を笑っているだろう。町にあふれる無限の人と音は細かく綿密に海沿いの田舎町を構築して、私を無理矢理に組み込もうとする。嫌だと喚きながらも組み込まれる私を笑っているのはサトウ君で、手を伸ばして助けを求めても、彼はやっぱり笑っているだけだった。細い体に悪意と卑怯を詰め込んで、人の良さそうな笑顔の奥に銀歯がきらりと歪んで光る。

サトウ君がこの町にやってきた時、我が家はとっくに崩壊していて、家に招きたくなんか無かったのに、彼は「まあまあ」とかなんとか言いながら笑いながら図々しく上がり込んできた。彼にとって他人なんかおかまいなしで、例えば台所に転がるしなびたニンジンとか床に散乱する米粒とか、自分以外の人間はそういったものと同等かのようだった。空っぽの母と偶像になり果てた父のいる奇妙なマンションの一室で、サトウ君は笑いながらコーヒーを飲んで、タバコを吸った。喜劇番組でも見るかのように私を笑い、最初こそ腹の立つ思いだったが、もはや爽快で清々しかった。あのときサトウ君は私になにを言ったのだろう。私たちは何を話したのだろう。私も楽しそうに笑っていた気がするが、胸に棲む奇妙な魂のせいで綺麗に笑えなかったのは覚えている。きっと顔面がひくつきながらもサトウ君と笑いあっていたのだ。ささやかで惨めな思い出。彼は私の救世主だった。この小さな町から、直接的な手助けはしてくれなくても、いつか彼が私を引っ張りあげてくれると信じていた。しかしサトウ君はどこかに消えてしまった。どこに消えたかなんてわからないが、置いていかれた、だなんてことは思っていない。もともと私の、他人任せで身勝手な思想だったのだ、十分に理解している。それでもあのとき、彼は私を救ってくれた。

ここから先は

0字

¥ 100

もうちょっと頑張れよ、とか しょうがねえ応援してやる、とか どれもこれも励みになります、がんばるぞー。