鉄塔の町 3

ネリは金色の髪の毛をごわごわと風になびかせ、鼻の頭のそばかすを得意げにゆらし、いつも退屈そうに顔をしかめていた。母はネリの髪の毛を「町を蝕む」と毛嫌いし(しかしほかに理由がありそうな)、父はネリのそばかすを「人々を吸い込むから」と無関心を決め込んでいた(あれは父が変わり果てる前)。

鉄塔は彼女をすする。彼女は喜んで自らを差し出す。何故、とか、どうして、とか、そういった理由めいた利害めいたものが鉄塔と彼女の間に存在するのかを私は知らないし、あまり興味もないのだが、食いつぶされた母を知っているので、あまり良い気はしないのだった。

海沿いの小さな故郷は、鉄塔に根をはられている。サトウ君はそれを仕方のないことだと笑って、私の記憶を握りつぶしてどこかへと消えた。ネリは鉄塔だけが味方だと信じてすがり、鉄塔は私の生きる糧だと周りに喚きながら細い体をすすられる。彼女はいつも、夕闇に溶けたような赤いワンピースを着て、白い体のあちこちから甘い匂いを漂わせている。色素の薄い白い体を見ると、体中に詰まったネリの熟した真っ赤な血を思わせる。

彼女は、私のことをいつも「臆病者」と言って罵倒する。私はいつも、何も言わずにそれを聞いている。大抵二人で海岸通りを歩いているときだ。白い砂浜に落とし穴みたいな交流電燈が充満する夜を彼女は好むので、私は十九時を過ぎた辺りで母にコーヒーを差し出しながら、ああ今日はそろそろだなあ、なんて思いコッソリ家を出ると家の前にネリが立っていて、睫のびっしり生えた強い瞳でこちらをじっと見たかと思うと何も言わずに歩き出す。足を踏み出すたびに揺れる赤いスカートの裏には名も無い黄色い花ががびっしりと生えているのに、彼女はいつも何食わぬ顔だった。私はそんなネリの細い小さな背中を目で追いながら、ゆっくりと後ろをついていく。

あれは確か冬に入る少し前のことだ。不定期に訪れる交流電燈が充満する夜に、例のごとく家を出た。厚手のパーカーに母のストールをぐるぐると首に巻き、父がかつて着ていたリーのジーンズをはいていた。家の前にはいつもの様にネリが赤いワンピースを着て立っていて(冬はその上からダウンジャケットを羽織っているが、薄手のワンピースではそれでも寒そうだ)、何も言わずに歩き出すので私はそれについていく。吹き付けてくるよく冷やされた風の中に、微かな交流電燈の匂いを感じて、私は目いっぱい鼻から吸い込んだ。耳元でチリチリと鳴る交流電燈の弾ける音も、私は好きだ。

長い下り坂を降りるとくだらない妄言を全て溶かした様な真暗な海が、眼前に広がる。海を抱え込む房総半島は並ぶラブホテルの光でいやらしく光っていて、発光する月と張り合っているようだ。ネリはパンプスを乱暴にぬぐと、素足のまま砂浜を歩き出した。私はスニーカーのままその後ろをゆっくりとついて行く。

砂浜に下りると交流電燈の匂いが濃度を増して私とネリを心地よく包んでいた。ぽっかりと空いた落とし穴の真ん中を二人でずかずか歩いていくと、耳元で鳴る交流電燈の音も激しさを増していく。頭上を仰ぎ見ると瞬く星の手前でパチパチと微かな光が弾けていて、一人ぼっちの父を思い出させる。丘に上に建つ鉄塔の足元に埋めた父の偶像は、大きな茶色いボストンバッグの中に入っている。

ネリは私の事が嫌いだ。私は、鉄塔にやすやすと自分をすすらせるネリを好きにはなれないが、ただ、こうやって交流電燈の充満する夜に二人で海沿いを歩くことは好きだった。

ネリのスカートの裾に群生する黄色い花の名前や、ごわごわした長い金色の髪の毛、細い体一杯に詰まっている熟した赤い血を、この時だけなら好きになれそうな気がしてくる。

サトウ君はよく、ネリを健気な可愛い女の子だ、と言っていた。いつも退屈そうに顔をしかめている女の何処が可愛いの、と聞いた事がある気がするが、それについての返答を覚えていない。サトウ君のことだから、笑いながら腑に落ちない、しかしなんだか納得してしまうような答えを返してくれたに違いない。

私の中のサトウ君の記憶はだいぶおぼろげで、居なくなったのはついこの間のはずなのに、断片しか思い出すことが出来ないのが悔しい。サトウ君についての大事な記憶だけを、彼は丁寧に一つ一つ握りつぶして何処かへ行ってしまった。あんなずるい健気ないやらしい人間を、私はサトウ君以外に知らない。

「あなたは臆病者よ。鉄塔がよく言っている、あなたは臆病者だって。あの女の娘に思えないくらいの臆病者だって。この町から出て行く勇気も無いくせにこの町を嫌いだと言いふらして、鉄塔を悩ませて。この町は、鉄塔が根を張っているおかげで潤滑に成長しているのよ。進行も後退もせず、今のまま上手く成長しているのは、丘の上で鉄塔が目を光らせているおかげなのよ。私はそんな鉄塔の為なら自分の体を差し出すわ。あなたの母親は鉄塔に食い潰されたんじゃない、あなたの父親に食い潰されたのよ、もしくはあなたに食い潰された。いつも自分が被害者の様な面をして、傍観者を気取って、小さいマンションの一室でサトウ君の微かな記憶にすがって、骨をしゃぶる母親を冷めた目で見つめて、何が楽しいの臆病者」

ネリの言葉はいつだって私の臓腑にずっしりと石の如く沈んでいき、そうして身体は重くなっていく。ネリの言うことが正しいとは思えないが、私の中にも何かが根を張っていて、それがネリに少しだけ呼応するのが、こういう夜の時なのだろう。

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