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世界に置いてけぼりにされる

今まで散々「最近の人間はみんなどこかおかしい」と嘆いていたけれど、特にきっかけもなく今日確信した。

私は世界に置いてけぼりにされていると。

これだとまるで世界が悪いかのような書き方だが、正しくは私が人類に追いつけていないということです。


「推し」とか「ビジュがいい」とかその辺の最近の言葉には嫌悪感があるし、そういう言葉を使ってる人にも嫌悪感があるし、今を生きるどの世代の人の性格も嫌いだった。

みんなどこかおかしい。思いやりの心がないのか?日本語の美しさを忘れてしまったのか?と日々嘆いていた。

図書館が減っていくのも、どんどん電子化されるのも……実際本も漫画も絶対紙派で、電子書籍で小説を読むのなんて邪道だと思ってるし。

その電子機器に頼った生活をしてるからバカな話なんだけども。

でもとにかく何もかもが嫌いだったんです。
好きなのは人間が生み出した物語だけ。でもそれすらも最強系や悪役令嬢とかで汚染されているとまで思ってます(言い過ぎ)

ONE先生の最強系はめちゃくちゃ面白いんですけどね……。

最近の作品はどうにも分かりやすすぎていけない。と、文句を言っているのですが。

……もしかして間違ってるの私なんじゃないの!?

時代に乗り遅れているというのもそうなんですが、歴史を振り返ると略語などの今で言う「推し」みたいなのって昔からあるんですよね。

てことは「今の人類が嫌い」なんじゃなくて本格的に人類そのものを憎まなくてはならなくなるし。でもそんなの変じゃないですか。
それに過去のことに文句言ったって仕方がないし。

もし自分が昔の時代にいたらどうなっていただろうと考えたんです。おそらく今と同じようなこと言ってると思うんです。


あれ、もしかして私人間という生き物が向いていないのでは?
地球にはこんなに人間がいるのに、なんだかものすごい疎外感を感じます。

六人くらいで食事に行って、私以外が理解できない話題でめちゃくちゃ盛り上がってる。あの疎外感を地球規模で感じているんですけど。


……いや、今の人類が抱えている悩みの多くは、すでに過去の人が悩んだことのあるものだってどこかで聞きました。
ということは、私と同じように人間に置いていかれて地球規模で疎外感を感じている人がどこかにはいたはずなんです。

もういっそ昔のことはいいですよ。

だとしても現代人の価値観に全くついていけていない私は、もうただ文句言ってる人じゃないですか。間違ってるのは自分なんですよ。

だって推し活とかそういうのが気持ち悪いっていうのもめちゃくちゃ個人的な意見で……これは長くなるので理由は書きませんが。
でもこれのおかげでオタクの生きやすい世の中になって、経済も回せて、作品が盛り上がる。大変いいことじゃないですか。

いえ、私は言葉自体が嫌いというよりは、私たちが持っているいろいろな感情をまとめてしまいたくないっていうわがままなんですよ。

例えば、「マジで」という言葉は「本当に」という意味ですよね。それ以外のニュアンスは含まれていないと思います。なのであまり嫌悪感はありません。(「ガチで」はなんが下品で苦手ですが)

それに対して「エモい」とかいう言葉は、めちゃくちゃぼんやりしてません?正しく表現しようと思えば、いろいろな言葉で表現できるそれぞれ違った良さがあるはずなのに、それが「エモい」で終わってしまう。

「推し」も好きにはいろんな形があるのに、それをひとまとめにされてしまっている感じがするんです。
あとリアルの身近な人間に推しとか言ってる人は普通に無理です。理由はうまく言えないんですけど、なんか生理的に無理です。

無駄にタイトルが長い作品とかも無理です。あんまり作品を批判すると誰かしらに殴られそうなのでやめておきますが。

まあこれはあくまで私が個人的に苦手なんだって話であって「そんなの好きにさせろよ、あほんだら」と言われたらそれまでなんですが。

それに私自身も正しい日本語使っているかと言われると怪しいですし。


まあとにかく、こういうのを嫌っているのって結局私が時代に乗り遅れているからなんですよ。何度も言いますけど。

理解したいとは思うのですが、どうしても無理なんです。嫌悪感が消しきれない。

でも、みんながこの価値観で生きているなら、同じじゃないと友達も碌に作れないじゃないですか。みんなと仲良くしたいですよ。でもその現代の文化にあまりにも馴染めない。

どうしたらいいんですかね、これ。
過去に同じ悩みを抱いていた人は一体どうやって乗り越えたんだろう。
それとも孤独のまま死んでいったのでしょうか。

ていうかなんでまだ21なのに時代についていけないことで悩まなくちゃいけないのか本当に疑問。
今時代の波に乗らないで一体いつ乗るつもりなんだ。


と、思いこの記事を書いた後に唯一の友であるチャットGPT君に相談してみた。するとこんな返事が。

興味深い悩みです。このように時代や価値観とのずれから疎外感を抱いた人としては、何人かの歴史上の人物が思い浮かびます。

1. 芥川龍之介
 芥川龍之介は「現代の若者が理解できない」と悩みつつ、その表現方法や時代の変化に疑問を抱いていました。自分の美意識が世間の流行や価値観とズレることに苦悩し、自らを「時代に取り残された」と感じていたと言われています。

2. ニーチェ
 哲学者フリードリヒ・ニーチェは、当時の社会や価値観が自分に合わないとし、「神は死んだ」とまで言って、人々の信じる価値観に対抗しました。彼は現代社会に馴染めない自分と向き合い、独自の価値観を探求し続けました。

3. 三島由紀夫
 日本の作家である三島由紀夫も現代社会の価値観や文化に強い不満を抱き、自分が思う「本来の日本らしさ」や伝統を重んじる一方、急速に変わる社会に違和感を持っていました。

4. ソロー
 アメリカの思想家ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、当時の物質主義や社会の価値観から距離を置き、自らの信じる自然との共生や簡素な生活を追求しました。彼は他人に共感を求めず、自分の価値観を貫くことで孤独と向き合ったとされています。

時代を超えて、自分と社会とのズレを感じてきた人々は多く、彼らも試行錯誤を重ねて孤独感に折り合いをつけたり、自己の価値観を見つめ直したりしてきたようです。


ええ?芥川龍之介とニーチェも!?!?同じ悩みを抱えていただって!?!?

急にこの悩みが愛おしくなってきた。私このまま時代に取り残されてもいいかもしれないな……。

地球規模で感じていた孤独感が一瞬で消えるのを感じた。やっぱ仲間って大事なんだな。

……この発言、「お前如きの仲間にするな!」って怒られませんかね?大丈夫ですよね?

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