罰の罠
おはようございます。
タカシです。
久しぶりのnote更新です。
パソコンから出るモーター音がしんどくしばらくパソコン絶ちをしていました。
ー罰の罠ー
今日は僕がよく言っている「罰の罠」について書きたいと思います。
「罰の罠」この言葉は僕が勝手に使っているだけで多分きちんとした言葉ではありません。
どういったことかを書く前に「罰」について少し。
以前のnoteにも書いたように僕は「罰」を使うしつけ法を絶対悪だと思っていません。
怒るって?|タカシ(福路トレーナー教室)|note
使わなければ使わないに越したほうがいいが、使った結果と使わなかった結果を天秤にかけた時デメリットが使わなかったほうが大きいときは迷わず使います。
咬み犬問題などを見ていると「そこで1発入れたら解決したのに。。。」と言うことがあります。
「暴力トレーナーだ!!」と騒がれそうですが、犬には甘咬みから本気咬みに移行する一瞬があります。
甘咬みは遊びの一環です。
本気咬みは力の誇示です。
他者を力でコントロールしようとする本能です。
子犬は甘咬み遊びを通じて自分の立ち位置を学習していきます。
絶対に人に歯を当ててはいけないセラピー犬などの作業犬目的でなければ適切な甘咬み遊びには付き合ってあげるべきです。
※ただし適切な対応が常時できるようにトレーナーの下で指導を受けてください。
ーどの程度の甘噛みは認めてもいいですか?ー|タカシ(福路トレーナー教室)|note
この甘咬み遊びの中で子犬が自分の力を試そうとする瞬間があります。
この時「罰」が必要なのです。
「罰」は叩くだけではありません。
甘咬み遊びを中断して無視することも「罰」です。
どうしても叩くしかない時もあります。
叩くは最終手段です。
犬が悪くなる(咬み犬になる)一瞬に最もびっくりして最もダメージが少なく頭の中がリセットされる力加減で叩くんです。
犬の個体によって力加減は変わります。
チワワとハスキーでは違うのと一緒です。
痛みによる反省を促す手法ではなく、興奮状態にある頭を一瞬真っ白にしてよい行動が入りやすくするための手法です。
大きな音を立てる方法と変わりません。
大きな音を立てることも無視も叩くことも「罰」です。
すべての「罰」にデメリットもメリットもあります。
すべての「罰」に共通するのは頭の中のリセットを目的にしていることです。
必ず正解行動を教えてあげる必要があります。
犬に反省と言う無意味な「罰」を与える目的では使っていません。
ー罰の罠(本題)ー
前置きが長くなりましたがここからが「罰の罠」についてです。
「罰の罠」簡単に説明すると「罰」が「虐待」に変化する飼い主側の心理状態のことです。
僕がこの話を飼い主さんにするとき「対象の犬の一生で叩いていいのは3回以下!!3回でも多い!!」とお伝えします。
別に具体的な数字があるわけではありません。
3回と言う制約をつけておかないと簡単に「虐待」につながるからです。
犬も人間も行動をするときその行動の先には何かしら「報酬」があります。
咬み犬よりは無駄吠えのほうが説明しやすいので吠えで説明します。
そもそも犬に無駄吠えはありません。
吠えたいから吠えています。
吠えには意味があります。
その吠えの先には犬が求めていた報酬が何かしら存在します。
(窓の外に向かって吠える→不審者(犬なりの)→不審者がいなくなる(吠えに対する報酬))
(郵便局員→吠える→郵便局員別の家へ)
(不審者→吠え→追い払えた(報酬))
みたいな感じです。
人の行動にも報酬があります。
そして「報酬」の中でも強いものに嫌なことから逃げることが出来る(ストレスからの逃避)があります。
まずここをおさえてください。
ストレスが減ることは強い報酬です。
無駄吠え解決のために罰を使った場合の飼い主がはまる「罰の罠」について書いていきます。
犬が吠える→うるさい(ストレス)→罰を与える(異音や叩く)→犬びっくりして吠えをやめる→うるさいが無くなる(ストレスが無くなる)
飼い主側の行動を分解すると、うるさい(ストレス)を減らすために罰を与える行動に出ます、結果吠えが一瞬でも止まるとストレスが減ります。
ストレスが減ることは飼い主にとって「報酬」になります。
でもここには犬に正解行動を教えていないので一瞬止まった吠えもまた続くでしょう。
飼い主は前回の成功体験(罰を与えたことによってストレスがなくなった)をもとに罰を与えます。
また犬吠えやみます。
飼い主ストレスなくなります(報酬を得る)。
これを繰り返すうちに飼い主の心に変化が生まれます。
報酬を得るために罰を与えることを目的にしてしまいます。
何か罰を与える口実はないかと犬を観察し口実が見つかれば即座に罰を与えます。
ストレスを減らすという行動は生き物にとって強力な報酬です。
報酬を得るために罰を与える。
犬の問題行動をなくすために使っていた罰が自分の満足(報酬)を得るために使うようになる。
これが「罰の罠」です。
ここに陥ると「虐待」です。
ややこしい事を書きましたが、叩いたときにどこかで「スッと」した気持ちがあるはずです。
当然、罪悪感もあります。
罪悪感と言うオブラートにくるんで「スッと」したいやらしい気持ちをごまかしているうちに罪悪感よりも「スッと」が強くなる。
一番怖いのは「罪悪感」というストレスから逃げるために、「スッと」する快感(報酬)を得るために罰をつかう。
罰を使った自分に罪悪感がうまれる。
その罪悪感から逃げるために罰を使う。
罰の口実を探す。
罪悪感。。。
のループに入ることです。
100%対象のために使う罰は教育です。←100%は絶対にありませんが
どこかで自分の快感が生まれた罰は虐待です。
そして罰を使うとき聖人君主でないかぎり虐待にかたよっています。
だから「罰」は「虐待」なんです!!
長くわかりにくい文章にお付き合いいただきありがとうございました。
この考えを理解していただけると嬉しいです。
僕の子育て犬育て教育に対する考えの中心です。
安易に「罰」を使う考え方は嫌いです。
安易に「罰」を否定する考え方はもっと嫌いです。
一時報酬から考える(褒めると怒ると虐待と)|タカシ(福路トレーナー教室)|note
ー(自己紹介?)現在編集中ですー|タカシ(福路トレーナー教室)|note
2019年5月末に出張型ドッグトレーニングスクールを始めました。 犬と飼い主の関係づくりのお手伝いをモットーにやらしてもらっています。 アイコンタクト アイコンタクト とばっかり言う地味なトレーナーです