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坂本龍一 「 音を視る 時を聴く 」に込められたメッセージを想像してみた

先日、東京都現代美術館で開催中の坂本龍一 | 音を視る 時を聴く | 展覧会
を鑑賞してきました。

鑑賞というより、「体感」してきたという方が適切な表現かもしれません。

坂本さんが生前に遺していた構想を元に、
「音と時間をテーマに、未発表の新作と、これまでの代表作から成る没入型・体感型サウンド・インスタレーション作品10点あまりを、美術館屋内外の空間にダイナミックに構成・展開した」(展覧会公式HPより引用)
という内容でした。

昨年、代官山で開催された高橋幸宏さんの展覧会にあったような親しみやすさとは異なり、参加した人それぞれが全く別の感想を抱くような、とても抽象的で、ともすれば「難解」の一言で片付けられてしまいそうな内容でもありました。

あくまでも私個人の受け止め方ですが、がんを患って以降の坂本さんは、
「人は所詮は、自然に戻っていくだけなんだ」という諦念のような、あるいは悟りのような境地へどんどんと近づいていったのだと想像しています。

そしてその思索を深める過程で、「坂本さんにしか聴こえない音」をキャッチするようになった。それは私達も普段聴こえている、風や雨の音だったけれど、死を明確に意識した天才音楽家にしか聴こえない響き方だった。
それは坂本さんにとって、ある時は慰めの音であったし、またある時は恐怖の音であった。坂本さんの中でも様々な葛藤があったけれども、自分がキャッチしたその音の感覚を、再現不能と知りつつも、少しでも誰かに伝えておきたい。

そんな風に考えていたんじゃないかな、と想像しました。
もしかしたらまったく的外れかもしれませんが….

私は50代半ばで、ほぼYMO直撃世代です。

細野さん・高橋さんにも共通していますが、坂本さんには常に世の中と絶妙な距離感を保ちつつ、高い知性と教養をひけらかさず、そのくせ生真面目な自分自身を俯瞰して笑いにもできる風通しの良さがあり、多感な時期の私にはじめて
「こんなふうになりたいな」と思わせてくれた、粋でスタイリッシュな大人の一人でした。

今回の展覧会には、平日の午前に参加したのですが、入場の行列ができる程の盛況ぶりで、驚きました。
10代や20代と思しき世代の方もとても多く、さらには中国語や英語などの会話も多く聞こえ、あらためて坂本さんの影響力の凄さを再認識しました。

私自身はクリエイターではなく、一般的なプロダクトの企画が生業なので引き合いに出すのもおこがましいのですが、物を創る事への向き合い方という部分で、今回の展示会から大きな刺激をいただきました。

あらためて、このような素敵な作品を残してくれた坂本さんに感謝します
少しでも興味がある方は、迷わず参加される事をおすすめします。







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