「計算」は、世界を救う。


「計算は世界を救う」


何を言っているか意味が分からないと思う。
自分自身も、ちょっと何言っているか分かっていない部分もある。

計算でどうやって世界を救うというのだ。
冗談も休み休み言いなさい。
そんな声が聞こえてくる。
もしくは、涼やかでキレイな風と共にこの叫び声は流れ去っていくかもしれない。

でも、僕は何回でも言う。
「計算は、世界を救う」のだと。

今からどうして計算が世界を救うのかという壮大な夢物語についてここに語ってみようと思う。

もしあなたがこのnoteを読み終えたとき、「ひょっとしたら自分も世界を救うことができるかもしれない」という気持ちが1マイクロメートルでも芽生えたならば、そのひょっとしたらの可能性は少しずつ少しずつ、形を帯びてくる。

なぜなら世界を救うには、どんな天才でも、たった1人では成し遂げることはできないからだ。世界中の1人1人の人々が、少しずつその意識を変え、そして行動を変え、それが伝播していくことで成し遂げられるたぐいのものだからだ。

だから僕は臆面もなくこの大言壮語を口にする。
「計算は、絶対に、世界を救う」のだと!


どうやって計算で世界を救うのか?


率直な疑問である。
計算と世界を救うことを結び付けたのは、恐らく世界中で、いや人類の有史以来僕が初めての人間なのではないだろうか。
全くもって想像がつかない。
だから、意味が分からない。

ごもっともである。

なので今からその全容をご説明したいと思う。

突然だが、あなたは「計算ブリッジ」というゲームをご存じだろうか?
恐らくご存じない方が99.999%だろう。
いやもっと知らない人だらけか。

「計算ブリッジ」とは、四則演算を使って遊ぶトランプゲームのことである。
なんと単純でシンプルなゲームなのであろうか。
しかしシンプルなゲームであるからこそ、このゲームは巨大なポテンシャルをはらんでいるのである。
僕は、そう信じている。

「計算ブリッジ」の遊び方についてはルールをまとめたウェブサイトがあるので、以下のリンクをご参照していただきたい。

https://keisan-bridge.amebaownd.com/pages/2164734/concept

ルールを見てもらったらわかるように、計算ブリッジは、古来よりあるトランプゲーム「セブンブリッジ」のルールを元に作られている。

ルールはとても簡単。
幼稚園に通っている子供でも、100歳近いおじいちゃんおばあちゃんでも、1回このゲームをやったらルールを覚えることは可能だ。そのくらい余計なルールを削ぎ落としたのが「計算ブリッジ」である。

トランプゲームは世界どこでも共通なものだ。そして、もちろん計算することだって世界共通なやり方である。
世界中で普遍的な要素が2つ合わさったゲーム、それが「計算ブリッジ」なのだ。


まずは1回やってみてほしい


この計算ブリッジ。家にトランプが1個あればすぐにできる。
家にトランプが無くてもみんなが大好き100円均一のお店に行ったらすぐに購入できる。
なんなら、100円で2セットのトランプが買えたりもする。
なんて素晴らしい世の中なのだろうか。

そしてルールは、配られた7枚のカードが場のカードの値になるように「計算」して出すだけなので、とりあえず1回遊んでみてほしい。
ルールはシンプルだが、ゲームで勝つことはそれほど単純なことではないということにすぐに気付くだろうと思う。

いや、実はそこが大事な部分なのだ。

単純にぱっぱと目に付いたカードを出していってもこのゲームで勝つことはできない。
戦略が必要なのだ。
まさか計算に戦略が必要だったのだと、誰が想像できたであろうか?
計算なんてコンピューターにやらせておくべき仕事の最たるものだ。
彼らは正確で速い。間違うこともない。もはや人類は「計算する」ことを完全に放棄したと言っても過言ではないくらい、人間と計算は遠く離れた存在になりつつある。

しかし、その計算が、このゲームでは必要なのだ。
しかも勝つにはよくよく考えて計算しなければならないのだ。

なんというコペルニクス的転回なのだろう!

計算はもはや、その本来持つ性質から完全に解き放たれ、人類に楽しみをもたらすための道具に変貌を遂げたのである。
これはすごいことだ。

さて、話を計算ブリッジに戻そう。

計算ブリッジは、完全に熱くなるゲームだ。
それはもう何回も実証済みである。
子供も大人も、マジになる。
絶対に負けないぞと思って、マジになる。
でも、大抵は子供が勝つ。
そういうものなのだ。大人はすでに頭が固くなりつつあり、子供のそれはぐにゃぐにゃに柔軟である。そこで大人は一計を案じる。

「あーこのカードじゃ勝てないなー」

そう、ブラフだ。
古い日本語で言うならば「三味線をひく」のだ。
本当はエース(A=1)とか2とか便利なカードがいっぱいあるのに、そうやって純粋な子供たちを騙そうとするのだ。

大人とは、なんとズルい生き物なのであろうか。

そうやって子供を騙し、まんまと勝負に勝って大人は子供にこう囁くのだ。

「騙された方が悪いんだぞ。はっはっは」

そのとき子供たちはこう思う。
「このオジサン大嫌い」と。
もちろんそれだけではなく「大人というものは、時として嘘をつく生き物なのだ。用心しなければならない」とも思うだろう。

そうやって、社会における大人の性質を知ると共に、どうやって大人たちとうまく付き合っていけばいいか?という経験を積む。

今の子供たちにとって、例えば学校の中でこういった「大人のどうしようもない部分」に触れることが、あるだろうか?

学校教育において体罰が禁止されて久しいが、その流れとともに学校は「キレイな」場所になってきた。
大人は正論のようにキレイなことだけを語り、汚い部分にはなるべく触れずに子供たちを導こうとする。
正論は否定できない分、少々タチが悪い。
正論でない部分も併せ持っているのが人間だ。
そのどうしようもない部分も、何らかの方法で子供たちに見せる必要があるのではないかと思う。

そう、計算ブリッジは期せずして、この大人の「ズルく汚く、それでいてとても人間らしい部分」に触れることができるゲームになっているのだ!

ちょっと脱線した。話を戻そう。

さて、この計算ブリッジであるが、致命的なことに知名度がまだ全然ない。
悲しいほどに、ほとんど誰も知っていない。
だから1回ゲームをしても「また次やろう」というモチベーションに繋がらない。
だから僕はこれから「計算ブリッジ」の魅力を発信し続けていく。
まずは鹿児島で。その次に九州で。そしたら全国だ。そして最後に、世界へと発信していく。

想像してほしい。
もし、世界中の人々が、老若男女問わず、国籍も性別も、信じている神も問わず、この「計算ブリッジ」で遊ぶようなことが実現したら。
そしたら世界はどうなっているだろうか?

争いは、そもそも心の底からコミュニケーションができていないから生じてしまうのだと思う。

肌の色や髪の色が違うから
食べるものや飲むものが違うから
話す言葉や挨拶の仕方が違うから

そういう違いが積み重なると、他人のことを
「とりあえずは、自分とは違う人」
という認識を持ってしまうのではないだろうか。

しかし、計算はどうだろう?
肌の色が違っても、食べるものが違っても、話す言葉が違っても、きっとどんな人でも同じやり方になるんじゃないだろうか。

こんなにも公平で、普遍的で、どんな人でも取り扱うことができる仕組みが、この世に他にあるだろうか?


もう1度言う。


「計算」は、世界を救う。


どうですか皆さん。
ほんの1マイクロメートルでもこの可能性を感じた人がいらっしゃったら、是非いいね!を押してください。
誰かに「計算ブリッジ」を伝えて、そして、ゲームをしてみてください。

お金はほとんどかかりません。
世界を平和にすることなんて、きっとお金は必要ないことだろうと思うんです。

馬鹿げた絵空事かもしれませんが、
きっと、必ず、世界は変わります。
皆さんの、たくさんたくさんの、小さな力によって。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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