【ネタバレ有】Hulu『十角館の殺人』鑑賞録
長い旅のお供には、ミステリー小説が最適だと思う。
先日、台北弾丸旅行を決行したわけだが、その道中の相棒に採用したのは『十角館の殺人』であった。ミステリー好きなら誰もが通る名作。しかし、読書の習慣ができて間もない私にとっては未読の地。“叙述トリック”なんて言葉もついこの前知ったばかりだし。
当然のごとくめっちゃくっちゃ面白かった! わざわざ感想を書く必要もないぐらい。例の一行は勿論のこと、荒唐無稽とも思える世界観や、突飛なキャラクターなどなど、「そりゃみんな面白いって言うわな」と納得千万。あの一行を読んだ時のすべてが停止した感覚、もう一度味わいたい…。
旅から帰っても頭の端っこにずっと十角館があって、大袈裟ではなく本当に何も手につかなくて、勢いのままHuluに登録。実写版の『十角館の殺人』を一気に視聴しました。
※※※以下、ネタバレを含みます。※※※
絶対に「読了後」もしくは「視聴後」に読んでね! 後悔しても知らんよ
↓↓↓↓
“映像化不可能”という言葉はよく聞くけれど、今まで私はそれを「複雑怪奇なファンタジー設定」「四肢の欠損のある登場人物」「摩訶不思議なモンスター群」「魑魅魍魎が織り成す特殊能力」みたいなことかと勘違いをしていた。ゆえに、あの映像化不可能の作品がついに映像化! といった謳い文句を見聞きした際は「いよいよCG技術が追いついたのかぁ~」などと、半ば残念な発想をしていたのだ。
十角館を映像化するにあたって、懸念は「あの一行までの全てをどうするのか」と、いうこと。Hulu版のそれを見るにあたって、Wikipediaの該当ページなどを読むも、確信に触れる表現はない。公式ページにもそれを匂わせる記述などは一切なく、初見さんに悟られない工夫が幾重にも施されている。同時にこれは、読了済みの愛好家達への宣戦布告とも取れる。アレをどう表現したかは、視聴しなければ分からないですよ、ということなのだ。
全五話で構成されているドラマ版『十角館の殺人』。
全て見終わって感じたのは、「今の時代だからこそ、映像化を成功させられたのか!」ということ。これが昭和や平成のドラマだったら、エンディングクレジットをどうするのか? という問題があったことでしょう。それを踏まえて“第4話で初めて登場するクレジット”が、小説のアレに近い興奮を呼び起こす。たまらん。
ちなみに…
「原作未読の方はどう思ったのかな?」と思い検索。こちらの記事が参考になりました。
未読の人でもちゃんと楽しめて、ちゃんと“あの一行”を感じられたみたいでよかった~!
上記noteにもある通り、役者と演技の妙、演出や衣装の妙を感じました。タネを知ってる身からすると「いやこれ気づく人は気づくっしょw」と思ったものの、仮にその違和感を察知しても「双子なのかな」とか「実はこれ、同時に起きたことではないのかも」などのミスリードに発展していたかもしれない。
それにそんなことよりも、エラリイのサイコパスっぷりや、無関係なのに主役級の動きを見せる島田さんに、意識のリソース持ってかれる仕組みになっていたか。4話のラストまで、ヴァン先輩は“風邪の人”でアイデンティティ完結してるもんな。キャラの記号化が見事。
十角館の外側で奔走する人達が、主演級の役者さんで固められているのもまた上手い。仲村トオルさんなんて最後の最後まで「肖像画」か「エフェクトがかかった映像」でしか出てこなかったし。キャスティングが大胆すぎ。
個人的に大好きなのは、アガサ役の長濱ねるちゃん。原作を読んでいる時も「アガサは白だな」とずっと思っていたあの感じ、絶妙に表現されていてとても良かった。十角館は可哀想な女の子が沢山出てくるけど、アガサは自らの選択で「より苦しむ結果」になったのが本当にしんどい。オルツィの死を知った直後の「オルツィに会わせて」とか、めっちゃ苦しい。
あとこれはドラマ版のオリジナルのセリフで、個人的に「良い!!」ってなったことだけど、毒に苦しむカーに対して驚き取り乱すアガサが、息を引き取ったことで静かになったカーに「落ち着いた?」と安心したように言い放つシーンがとても良かった。だってこれ、アガサの真っ白さが伺えるんだもん。毒を盛ったのがアガサなら「カーが死んじゃった」という反応でもいいはずなのに、「落ち着いた?」は心綺麗すぎ。めっちゃ良い子。(一周回ってただのサイコという見方もできるけど)(サイコはエラリイだけで充分)
エラリイ役の望月歩さんは、劇場版『ソロモンの偽証』の柏木君ということで、「あの猟奇的で不気味な柏木君がエラリイになった!」といった感動もあった。柏木君は静のサイコパスだけど、エラリイは動のサイコパスだもんなぁ。適役。
そういやドラマを見ていて感じたけど、比較的ライトなミステリーって“エラリイみたいな常軌を逸した人物が快楽のために殺人を犯す”みたいな作品、少なくないなーと。その手の作品って正直「……」な感想を抱きがちなので、そういう意味でも“エラリイはただの奇人”な十角館って本当に凄い。
そんでやっぱり小林大斗さん光ってた。キャスティングした人えらい。彼が出てる映画とかドラマとかもっと見たい。
私は終始「ヴァンをどう表現するの…」と戦々恐々としていたわけだけど、無人島でヴァンとミス研メンバーが合流した際の、ルルウのちょっと大袈裟な「ヴァン先輩!?」で納得。あの一言で「殺人を企てた守須」と「映像化のために尽力した制作陣」の努力がうかがい知れる。
後輩が驚くぐらいの体調不良。いつものヴァン先輩と雰囲気が違う、ということの明示。
視聴者である私達へのメタ的な投げかけ。これはいつものヴァンらしくない、という示唆。
2拠点の極端なビジュアルの差別化は上記が由来しているのであって、映像化のためのご都合主義設定ではない、という提示。
こういうの考えてた。じゃなきゃ後々明らかになる「いつもオールバックで革ジャンのインテリヴァン先輩」と、島でみんなと過ごす「体調不良で猫背でスウェットの風邪引きヴァン先輩」が、あまりに乖離しすぎている。いつもと違う雰囲気にミス研メンバーが違和感を抱かないようにも、“体調不良である”という設定を活かす巧妙さもとても良い。
ほんで小林大斗さんの演じ分け、見事でした。スタイリングや光と影、カメラワークなどもあったけど、仮にこれ劇場でのお芝居だったとしてもいけたんじゃないか、と思う。早着替えとかしてもろて。面白そう。
ヴァンってずっと紳士的なんよなぁ。千織さんに対しては勿論、半狂乱で取り乱すアガサのそばにはいつもヴァンがいたし、オルツィを最初に手にかけた理由にしたってそう。本土のターンで優雅に紅茶を飲む姿とかも、本当は清潔で育ちの良い男子大学生なのかなぁ、と感じさせる。それが、あれだけの執念を持って仲間を手にかけたという、ともすれば「ヴァンがそこまでするか?」といった視点を、ある種の異常性を持たせることで成立させていた。小林さんが演じるヴァン、時々目の光が消えて、生気を感じられないように見えて、それが怖くて良かった。
そしてこれ、これに尽きるなぁと思ったのはラストシーン。原作も納得の終わり方だったけど、ドラマ版は更に良かった。セリフをなくし映像だけで伝えることで、余白を持たせてくれた。演出が本当にニクイ。
取り留めのない文章になってしまったけど、感想はこんな感じ。
衣装やセット、小道具などの昭和アイテムは見ていてワクワクしたし、撮影技術や音響なども良かった。
ここまで読んでくれた人は、内容を知った上で読んでくれているはずだけど、もし原作もドラマも手を付けていないのなら、いいから早く読んで、早く見て。
そして「小説は読んだけどドラマは見ていない」という人がいたら、大丈夫、ドラマはドラマで面白いです。とりあえず見てみてほしい。
六月四日 戸部井