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私は「波動が高い人の特徴」に当てはまるか?
YouTubeのおすすめに表示される【波動が高い人の特徴】といった内容の動画について。以前まではスピリチュアルへの関心が高かったので、その手の動画はよく再生していたのですが、最近は「まぁこういった内容はよく知ってるから」と、スピ系の動画を見る機会も減っていました。でも最近改めて「今の私の波動はとても高いのだろうな~」と振り返ることが増えたので、そういった変化や成長について自分自身の目線で言語化したいなーと、この記事を書いてみます。
【波動が高い人の特徴】
YouTube動画などでよく取り上げられている特徴はざっとこんな感じ。
・よく笑う/笑顔が多い/表情が明るい
・年齢より若く見える/髪や肌や爪が綺麗
・目力がある/目の中に光がある
・愚痴や悪口を言わない
・朝に強い/朝型
・「ありがとう」が口癖
・お願い上手/断り上手
・自分で自分を満たすことができる/やりたいことをやっている
以下、自分自身と照らし合わせて考えてみます。
・よく笑う/笑顔が多い/表情が明るい
意識して「笑顔でいよう!」と思ってるわけではないのですが、自然とニコニコしているようで、鏡
やガラスに映った自分が笑顔だったり、知らない人に「素敵な笑顔だね」「笑顔が可愛い!」と褒められることが増えたり。そういや子供の頃に笑顔や表情を褒められることがあったのに、成人したあたりからそれも減っていたなぁと振り返る。二十歳過ぎた頃からはずっと「愛想笑い」をしていたかな。なのでそれを褒められたとしても“偽りの自己”への称賛なので、快く思えてなかったように思う。今は“素の自分”だから、褒められたら素直に嬉しい。
・年齢より若く見える/髪や肌や爪が綺麗
これこれ。最近特に顕著になってる。私の年齢は35歳ですが、10歳近く若く見られることがほとんど。お世辞とか気遣いもあるのかもしれないけど、二十代の男性に「大学生ぐらいかと思った」と言われたりも。とてもうれしい。若い男の子が年下に思うって、それって女性としても優位なわけですよ。えへへ。調子に乗っちゃう。
髪や肌や爪は本当に本当に改善されている。自己肯定感が低かった時代は肌もボロボロで常にニキビができていたし、唇も荒れ放題で口紅やグロスを塗れなかったし。爪は歪んで常にささくれだらけで、髪もスカスカで細くて生え際が怪しかったりも・・・。今は肌の調子もよく「肌が光ってるね」など言われるかな。ささくれも全くできなくなったし、唇も荒れなくなって口紅を楽しめてる。しあわせ。そして髪の量も増えて艶も出てきたなぁと思っている。そりゃ若く見えるよなぁ。
これってのも、内側が整ったことで食事や睡眠に気を遣うことが増えてきたからかなと思う。そしてそれだけじゃなく、前向きな思考を続けることで免疫力が上がったり、細胞が活性化されてるんやろな~とも思う。生きることに前向きになれないと、自暴自棄になって食事や睡眠って乱れるし、よくない生活習慣(深夜のスマホとか)が定番になったりして、そしたら肌が荒れてクマができて、見るからに老け込んでしまう。心と行動は繋がっていて、行動が体を作ってる。
・目力がある/目の中に光がある
これ自分ではあまり分からないけど、指摘されることがかなり増えました。特にマスク生活が中心だった時期は目を褒められることが多くて(目元が芸能人の誰々に似ている、など)、単純にありがたいです。
自分自身「以前より瞼が開くようになったなぁ」と感じているかな。それまでは現実を直視するのが怖くて色んなことに目を背けていたし、周囲が自分にとって脅威に感じられ、不安や恐怖から目を塞ごうとしていたので、世の中を伏し目がちに見ていたと思う。心理学を勉強し始めて自分自身と向き合うと決めた頃から、そういった変化が起きたのだなぁと自覚している。もう解像度を下げるのはやめよう、といった感じね。
・愚痴や悪口を言わない
言わないようにしてる、というよりは、そもそもそういった内容の言葉があまり思い浮かばないというか。特別な努力をせずとも愚痴や悪口を言ってないです。ただ、現状を解決させるために特定の人物の問題点について他者と共有する、といったことは積極的にするのでが、人によってはそれを「陰口を言っている」と感じるかもしれないなーとは思う。また、不満を抱くことも度々あるので、そういう時は愚痴っぽくもなりますが、その際も「どうしたら変えられるかな」「解決するには何ができるだろう」という視点に立つための踏切板のようにしている。
・朝に強い/朝型
これはもう体質的にそう。朝に活動した方が自己肯定感も上がるし生産性も上がるし。夜は心と体を労わる癒すための時間なので、なるべく早く休みたいね。
・「ありがとう」が口癖
あんまり意識してないし、正直口癖ってほどではないかなと思うけれど、不幸だった過去の私は「感謝できることなんてほとんどない」と思い込んでいたので、それを思えば随分と変化したかな。空が綺麗とか水が美味しいとか、コンビニやスーパーに行けばなんでも揃ってるとか。インターネットや本や新聞で、沢山の学びを得られることとか、すれ違った人が挨拶をしてくれた、とか。「感謝しようと思えば、いつでも感謝できる」みたいなマインドは常にあるかも。
・お願い上手/断り上手
たしかに、昔の私はこれが一切できてなかった! 笑。でも今はストレスなくできるかな。仕事は勿論、家族や友人などに対して「おねだり」とか「甘える」みたいなことを、気軽にできるようになったかも。断る時はその逆で、丁寧かつ冷静に、大人な対応でお断りできる。きちんとした理由を添えて、必要に応じてオープンになれる。
こちらがお願い事やお断りをすることに関して相手がそれを拒絶するなら、それはもう相手の問題なのですよ。そして相手も素直に私を頼ってほしいし、必要に応じて断ってほしい。(その際はおかしな嘘をついて誤魔化すのではなく、話せるのであれば正直に話してほしいし、それが難しいのなら理由を明かさなくてもいいのだから。)
・自分で自分を満たすことができる/やりたいことをやっている
こりゃもう言わずもがな。というか、これができるようになったから、上の項目すべてが改善されたと言っても過言ではないと思う。他人ではなく自分で自分を満足させる。そのためには、自分がやりたいことをして、やりたくないことをしないに限る。
これは勿論「好きなことをする」「したくないことをしない」といった単純なことだけど、ただワガママで自分勝手に生きる、という意味ではなくて「嫌いなことを好きになる」とか「したくないことをしたくなる」みたいな創意工夫も含まれてると思うのです。掃除が嫌いなら「どうやったら掃除を楽しめるかな」とか、職場に苦手な人がいるのなら「どうして私はあの人のことが苦手なのだろう」と、その深層心理と向き合うこととかも含まれてる。(工夫したり向き合ったりした結果、「やっぱり好きになれない!」とかも全然あるけど、それをやったことで次の行動を変えられるので、意味はちゃんとあるのです。)
そんな感じ。ちなみに「褒められるようになった」の多くは、老齢の男性からの指摘が多いのですが、これが“いやらしさがない”のですよ。下心を感じないというか。年下の女性を口説くような、性の対象としてこちらを見定めるように褒めるのではなく、驚き関心したかのように「目が輝いてるね」とか「素敵な笑顔だね」と言って下さる、といった感じ。「なんだか凄いね!」「感動しました!」ぐらいの勢い。異性として魅力的だ、という思いが含まれてないとは思わないけれど、もう少し上の次元の、人間としての価値を見てくれているような気がして心地良いのです。年上の女性になると「可愛いね」「とっても素敵」とかが多いかも。どのみち嬉しいな。
若い世代になってくると具体的な言葉で褒められることは減るけど、「面白い」とか「凄い」とかは多いかな。「なんでそんなこと知ってるの?」とか「そういうのいいなぁ」みたいな。やっぱり関心されてるのかな。ありがたいですね。
ちなみに・・・特徴として取り上げられてなかったorあまり取り上げられてないけど、個人的に「この変化大きかったな~」ということを以下に少し。
・声が通るようになった
子供の頃「よく通る声だね」と声を褒められることが多かったのですが、大人になってからはそういったことは全くなく、むしろ「話し声が大きすぎる」「響くから抑えて」といった注意をされることがほとんどで、昔褒めてもらえていたことなんて一切覚えていなっかたのです。それがここ数年になって「良い声だね」とか「よく通る声だね」と褒められるようになって、本来の自分を取り戻せたのでは? と納得したのでした。
ちなみにこれ、逆説的なこともいえるなぁと。波動が低い人(自己肯定感が低い人、攻撃的な人、自分を見失っている人…等)って、声がこもっていたり、声量がとにかく小さいorとにかく大きくて、会話中にストレスを感じさせたり。ザラザラした声質とか、キンキンした声で聞き取りづらいとか、その人の心の在り方がそっくりそのまま出るなぁと思っています。これ「演技で良い声を出している」みたいな人も結構すぐわかる。無理してアニメ声にしてる人とか、気取って喋ってる人とか。
街中とかで何を話しているのか分からないけど、ふと聞こえてきた声が不快に感じた時に、その声の主に注目をしてみたら「明らかに不機嫌そうな人だった」とか「ちょっと関わらない方がよさそうな人だった」みたいなことが結構ある。そして、聞いていて気持ち良くなるような声とか、心地良いと感じる声の人は、不健全で攻撃的なことはほぼない。
・姿勢がよくなった
上の「声が通るようになった」のは、これのお陰もあるかも。
以前は猫背+顎を突き出した姿勢で、意識しないと背筋を伸ばせなかったのが、今では常に正しい姿勢で過ごせていて自分でも驚き。これも上記と同様、子供の頃はできていたことで、思春期頃から自己否定の習慣が悪化し、自分に自信がなく生きる気力も失くしてしまい、そのころから俯いて常に下を見て歩くようになっていました。今は自分に自信があるし、外の世界に恐怖することもないから真っ直ぐ前を向いて歩いてる。ゆえに、自動的に姿勢が良くなったのかも。
追記。あとこれは「呼吸」とも関係があるみたいで、前向きに自信を持って生きている人は呼吸が深くなり胸が開き(背筋が伸びる)、後ろ向きで自信がないと呼吸が浅くなり胸が狭くなる(背中が丸くなる)らしいです。姿勢と心って、かなり密接に繋がっていますね。
最後に、これらの内側の変化を通して起きた、外側の変化について少しだけ。
・人から好かれるようになった
いつもニコニコしていて悪口や陰口を言わず、感謝の気持ちに溢れていて嫌なことも「楽しもう!」と取り組んでいる人がいたら、そりゃ私だって好きになる。
本当にここ数年で、「なんで?」って戸惑うぐらい褒められたり感謝をされるようになったし、私を必要としてくれているということを、はっきりと伝えられることも山ほど起きるようになりました。贈り物やお手紙を貰うことも増えたし、子供にはめちゃくちゃ懐かれるし、お年寄りからも慕われるし。本当に「なんで?」と思うぐらいに、愛してもらえる。
でもそんな私でも「あ、この人私のこと嫌いなんだな」と分かることは多々あって、それというのは完全に相手の問題だなぁと感じています。だって私ってこんなに変化して成長して、前向きで面白いのに。誰かをひとつの側面だけで判断して、あれこれジャッジしないのに。人の弱い部分とか未熟な部分を見通して、慈しみを持って接してるのに。
私を嫌いになる人の内側には恐らく、勝手な被害妄想が膨らんでいたり、勘違いとか嫉妬とかがある。そういう人って面白いぐらい、仏頂面で姿勢が悪くて、愚痴や悪口が大好きで、いつもスマホばかり見てる。「みんなで示し合わせたの?」「プログラミングされてるの?」って笑ってしまうぐらいみんな同じ。彼らは決まって私のことを「キャピキャピしてて子供っぽい」とか「いいねぇ幸せな人は」なんて言葉で評価する。卑屈でため息ばかりついて深刻な顔をして生きることが、その人達にとっては“深い人生”なのかもしれないなー、なんて思う。
自己肯定感が低い人は私と一緒にいると、自分の中の隠したい部分、心の影に光を照射されてしまうから、私が近くにいると困るのでしょう。だから都合良くこちらを悪者に仕立て上げて、敵認定して、「あの人嫌い」「関わりたくない」ってことにしてるのではないかな。認知的不協和ってやつ。不幸せそうで何よりだよ。
・モテるようになった
そういった流れもあり、最近は男性が好意的に接してくれてるのにも気づいてきました。上の方にも書いた、老齢の男性が「目が輝いてるね」なんて言ってくれる感じに近いのかな。同世代か少し年下の男性が、特別な接し方をしてくれているのに気づいて、それは今までになかった体験で、素直に嬉しく思っています。えへへ。
・記憶力が上がった/ミスが減った
厳密には、「適切なタイミングで思い出せるようになった」といった感じ。シンクロニシティ。わざわざ暗記せず、記憶や知識をその都度スムーズに取り出せるイメージ。適材適所に収納できてるから、いちいち探し回らなしい。(暗記は“収納せず部屋の床にアイテムを並べてる”みたいなイメージかな。)
ミスが減ったのは単純に「ミスしてもいいや」と思うようになったから。失敗してもいい、恥をかいてもいい、怒られても知らん、ぐらいの心構え。そうしてると不思議と失敗も減る。無駄に力んでないから体も硬直しないし、必要なタイミングで思い出したり、気づけるようになってる。そして、エゴが意識を邪魔しないから、潜在領域にもアクセスしやすくなってる。ゆえに記憶の出し入れがしやすいし、アイデアもすぐに湧く。周囲の人間にもプレッシャーを与えないのか、安心感や安定感を感じさせることもできているようで、それがまた「好かれる」に繋がっていくようです。
引き寄せとかシンクロとかも感じるようになったけど、今では「それが普通のことだ」と思えるようになってきたので、特出して書くことはないかな。
・まとめると。
「私って波動高いよな~」と、思う。笑 自画自賛とか高飛車とかプライドとかじゃなく、本当にただただ事実として「高いだろうな~」と感じている。というのも、どん底みたいに重く低い波動の中で長年生きてきたから、そこから脱出した感覚が強烈に分かるのです。数年前までの私は本当に不幸で、否定や攻撃を繰り返していたし、気づきを得て変化が始まる途中の葛藤も手に取るように覚えています。ここ一年ぐらいで、ようやくそこから抜け出せてきているかな。
この記事の内容だって、数年後の私が読めば「今はさらに軽やかになってるよ!」と思っているはずだし。日々変化と成長なのです。変われてよかった。人生が明るい。
十月十六日 戸部井