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邦人作曲家シリーズvol.8:加古 隆

邦人作曲家シリーズとは
タワーレコードが日本に上陸したのが、1979年。米国タワーレコードの一事業部として輸入盤を取り扱っていました。アメリカ本国には、「PULSE!」というフリーマガジンがあり、日本にも「bounce」がありました。日本のタワーレコードがクラシック商品を取り扱うことになり、生れたのが「musée」です。1996年のことです。すでに店頭には、現代音楽、実験音楽、エレクトロ、アンビエント、サウンドアートなどなどの作家の作品を集めて陳列するコーナーがありました。CDや本は、作家名順に並べられていましたが、必ず、誰かにとって??となる名前がありました。そこで「musée」の誌上に、作家を紹介して、あらゆる名前の秘密を解き明かせずとも、どのような音楽を作っているアーティストの作品、CDが並べられているのか、その手がかりとなる連載を始めました。それがきっかけで始まった「邦人作曲家シリーズ」です。いまではすっかりその制作スタイルや、制作の現場が変わったアーティストもいらっしゃいますが、あらためてこの日本における音楽制作のパースペクティブを再考するためにも、アーカイブを公開することに一定の意味があると考えました。ご理解、ご協力いただきましたすべてのアーティストに感謝いたします。
*1997年5月(musée vol.7)~2001年7月(musée vol.32)に掲載されたものを転載

加古 隆インタヴュー

text:編集部
*musée 1998年9月20日(#15)掲載

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加古隆、3年ぶりのニュー・アルバム『予感〜アンジェリック・グリーンの光の中で〜』がリリースされた。アルバム製作においては、これまでソロ・ピアノを中心とするものが続いていたが、今作はピアノと声(ヴォーカリーズ)のコラボレーションによるものだ。

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近年は、NHKスペシャル『映像の世紀』('95〜'96)の音楽を担当したことでおおいに注目されたが、天児牛大演出による『アポカリプス−黙示録』('89)をはじめ、山海塾の『ひよめき』('95)での音楽、同じく天児牛大演出によるピアノとコントラバス4台によるコンサート『色を重ねて』('97)など、映像/舞台といった視覚的な要素とのつながりを強く意識させる作品、活動が目立っている。

とはいえ、加古隆の音楽は、映像に付随する音楽というよりも、音楽そのものがつよく映像を喚起させるものだといえないだろうか。彼がライナーノーツのなかで書いている、“緑の光線”を目にしたときの「夕暮れのやわらかな光につつまれた不思議なやさしい感覚」の記憶、は彼のピアノ1台によっても充分つたえ得たのかもしれないが、今回の、声との共演という、今までにない彼の音楽は、「人の声ってもしかしたら響きの中では最も光に近い存在なのかもしれない」といった想いからも彼の中で広がっていった。アルバム収録曲のなかに、当初から声との共演を強く望んでいた曲があるという。

「アルバムに是非入れたいと思った《海の道》という曲があるのですが、これは声と共演したいなというイメージがあったんです。その声というのはすごく高い声で、しかもできるならば女性の声ではなく、男性の声が欲しかったんです。今回は、そういった曲からスタートしたものがひとつ。そして平松英子さんというソプラノ歌手のリサイタルで聴いた、そのやわらかい声がとてもよくて、機会があれば是非いっしょにと思っていたんです。そうしたときにいろいろな楽器をまぜるのではなく、声とだけでやってみたら面白そうだな、というのが始まりです」

《海の道》は、メール・ソプラノ(カウンター・テナーよりも更に高い音域をもつ)のオレグ・リアベツによって歌われた。これは驚嘆にもあたいする信じがたいほどの美しい歌声で、この1曲をとってもこのアルバムにおける彼の存在理由は明確である。今回の声とのコラボレーションは、そのオレグをはじめ、白鳥英美子、平松英子という3人のソプラノ歌手とともに行われた。

「僕は幾つかの声が欲しかったんです。そこで3つになれば一番いい、3つの光があったほうがいいと思ったんです。これが4つや5つでは散漫になってしまう。そして天使のような声が欲しかったんです。そうするとそれは女声系の高い声、しかし鋭角的ではなくやわらかい声が必要だった」

このやわらかい3つの声は言葉をもたない。映像を喚起させる加古隆の音楽には、言葉が弊害になるともいえるだろうか。

「言葉を使うときは、そこに強い意味が出てくる。言葉を使うときには、その意味を考え慎重になる必要がある。言葉を使うと意味付けをしてしまって聞き手を限定してしまう。例えば、月の光を感じたとして、月の光を感じるまわりの情景、記憶などはそれぞれに違うわけではないですか。それをどこどこの月の光といって限定してしまうと、強くそこに集中が出来ていいかもしれないけれど、ある意味ではヴァリエーションが限られてしまう。言葉を使うときは、詩を書く人とのコラボレーションというところから始めたいですね」

今回の録音で加古自身が弾くピアノは、97鍵の世界最大のピアノであるベーゼンドルファー・インペリアルが使用されている。

「ベーゼンドルファー・インペリアルを使うのには単純に2つの理由があるんです。まず、木の響きがする。ぼくは木が好きなのですが、木を全面に感じられる響きをもっているのです。ふたつめに低音が響きを豊かにする」

通常の88鍵のピアノより低音弦が増えたことで共鳴の度合いもかわってくれば、当然ピアノのサイズが大きくなることでの音の響き方の変化もある。ピアノと声による音楽にとって“広がり”とでも表現できる響きをどのように得るか、という音響的な問題からも欠くことができなかったのかもしれない。

加古隆は作曲家でもあり演奏家でもあるわけだが、作曲家としてイメージしたものを、演奏家という立場で音として響かせた瞬間、それを確認してイメージが変わるということがあるのだろうか。

「長い時間の中では変わることもあります。長い間弾いていない、久しぶりに弾く曲なんかだと全然違う解釈がうまれ、弾き方が変わってくる。もっと強いタッチの方が、もっと激情的なほうが良いのではないかといったふうに。これで出来上がりということはない」

現在のクラシックの演奏家にとって即興の要素を演奏の中に盛り込むという行為は、その意味すら見失いつつあるようにも思えるが、加古隆の場合はジャズ(即興演奏)もやっていたわけで、書かれた曲を表現する場合でも、フレーズ自体を変えてしまうということがあるのだろうか。

「細かいところでは分からないけれども、それは即興だからということとはちょっと違うんですよね。自分で書いているからというのもあるし。作曲の範疇に入るかもしれない。演奏しながらつくるという、作曲に近いのかな。でも全部出来ると楽しいですよ」といい最後に「僕は僕の音楽をやろうとしている」と。

やわらかい声/やわらかい光/“緑の光線”の印象。

映画『緑の光線』といえばエリック・ロメール。この16mmで撮られた非常にシンプルな作品は、映像の中に“みどりいろ”を意識したものが多く盛り込まれていたが、これらは偶発的なものも多く、役者もほとんどを即興で演じていたという。『予感』は「100パーセント書かれたもの」ということであるが、聞き手を限定しない音楽とは、聞き手のイマジネーションに多くをゆだねた音楽といえるかもしれない。『緑の光線』のラストに、主人公が新たな出会いを予感し緑の光線を見て「いいわ」と叫ぶシーンで覚えた安堵感と期待感といったものを、この『予感』からも感じた。

(取材協力:エピックレコード)

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■プロフィール 
1947年生まれ。東京芸術大学大学院、パリ国立音楽院卒。オリヴィエ・メシアンに作曲を師事。1973年にパリで即興ピアニストとしてデビュー。ピアノ曲をはじめ、室内楽、オーケストラ曲、あるいはダンスとピアノのコラボレーションなど、幅広い作曲と演奏の両面で国際的に活躍。
https://takashikako.com/


加古 隆ESCK08040_予感〜アンジェリック・グリーンの光の中で

予感〜アンジェリック・グリーンの光の中で〜
加古隆
[エピックレコード ESCK 8040]

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