邦人作曲家シリーズvol.13:糸(伝統楽器演奏グループ)(text:野村誠)
邦人作曲家シリーズとは
タワーレコードが日本に上陸したのが、1979年。米国タワーレコードの一事業部として輸入盤を取り扱っていました。アメリカ本国には、「PULSE!」というフリーマガジンがあり、日本にも「bounce」がありました。日本のタワーレコードがクラシック商品を取り扱うことになり、生れたのが「musée」です。1996年のことです。すでに店頭には、現代音楽、実験音楽、エレクトロ、アンビエント、サウンドアートなどなどの作家の作品を集めて陳列するコーナーがありました。CDや本は、作家名順に並べられていましたが、必ず、誰かにとって??となる名前がありました。そこで「musée」の誌上に、作家を紹介して、あらゆる名前の秘密を解き明かせずとも、どのような音楽を作っているアーティストの作品、CDが並べられているのか、その手がかりとなる連載を始めました。それがきっかけで始まった「邦人作曲家シリーズ」です。いまではすっかりその制作スタイルや、制作の現場が変わったアーティストもいらっしゃいますが、あらためてこの日本における音楽制作のパースペクティブを再考するためにも、アーカイブを公開することに一定の意味があると考えました。ご理解、ご協力いただきましたすべてのアーティストに感謝いたします。
*1997年5月(musée vol.7)~2001年7月(musée vol.32)に掲載されたものを転載
糸(伝統楽器演奏グループ)
企画・プロデュース高橋悠治
TEXT/野村誠(作曲家)
*musée 1999年7月20日(#20)掲載
糸:左より西陽子、田中悠美子、神田佳子、高橋悠治、高田和子、石川高
1 「糸」=猫かぶりをやめて、思う存分に音楽の探求をする場
流派・ジャンルの異なる伝統楽器のグループ「糸」が結成された。プロデューサーは、60歳になって一絃琴を習い始めた高橋悠治さん。メンバーは、三味線現代曲のスペシャリスト=高田和子さん(三絃)、現代の難曲を、息するように自然に演奏するバカテク箏奏者=西陽子さん(箏)、ライブハウスで電気楽器の爆音の中、太棹三味線とカン高い歌声でパワーを炸裂させる田中悠美子さん(太棹)、実はテクノが好きな石川高さん(笙)、シュトックハウゼンも朝飯前(と推測される)、遊び心たっぷりの打楽器奏者、神田佳子さん(打楽器)。つまり、普段は猫をかぶって(その本性を隠して)いる伝統楽器の優秀な演奏家達の集まりが、「猫かぶりをやめて自分たちのやりたいように、音楽をやろう!」と集まったのが、「糸」だ。「糸」は、彼らが猫かぶりを中断し、思う存分、やりたい放題、ハチャメチャになって音楽の探求をするための場だ。
その証拠に、「糸」の演奏会に出かけてみよう。すると、悠治さんをはじめとするメンバー達が、ステージ上で、やたら楽しそうに演奏しているのを目撃することができる。生き生き、ワクワク、ドキドキ、未知なる音楽への探求は、こうでなくっちゃ、と思う。
この「猫かぶり撲滅運動」を率先して行っているのが、「糸」のリーダーの高田和子さんだ。いつも、高田さん、演奏会の後、必ず「正直な感想を聞きたい」と言ってくる。話す時間がなかったりすると、翌日に必ず電話がかかって来て、僕のような若造に、「野村さんは、正直どう思った?」と、単刀直入に切り込んでくる。ここまでされては、猫をかぶったお世辞なんて言えない。正直に、いいところはいい、悪いところは悪い、と言うしかないのだ。こんな風にして、猫かぶりは撲滅され、密なコミュニケーションが成立する。猫かぶりなんてやめて、上下関係なく、友達同士として付き合おうよ、と。
最初、作曲の依頼を受けた時、変な編成だなあ、と思った。三味線が、細棹と太棹と2人いて、それに箏。「糸」というバンド名だけあって、弦楽器が多い。そこに、打楽器と笙。「音律も拍節もなく…」とか、歌い文句が揚げてあるけど、笙なんて、音律バリバリありまくりの楽器ではないか。持続音の出る楽器も、笙だけ。なんで、こんな編成にしたんだろう。
たねあかしをすると、編成のことを考えず、高田さんが一緒にやりたい人をメンバーに選んでいったのだそうだ。そして、その結果として、こんな編成になったらしい。これは高田さんが、「糸」を「音響媒体」として考えたのではなく、「音楽創造の場」、「コミュニケーションの場」と考えていたからだと思う。だから、重要なのは、どんな楽器を集めるかではなく、どんな人間を集めるかだったのだ。「場」の設定さえできれば、それで交流が進行すれば、新しい音楽は湧き出るように自然に生まれてくるだろう、という大胆な構想が、高田さんの根本の姿勢だと思う。
2 レパートリー=高橋悠治作品+古典の再創造+若い作曲家への解放
猫をかぶらずに、コミュニケーションが本音でできれば、音楽は後から付いてくるだろうから、まずは活動開始。変な編成のバンドが、誕生したら、次はレパートリー。さてさて…。
「糸」のレパートリーは(とりあえずの方針だろうけど)、「高橋悠治の作品」、「古典の再創造」、「若い作曲家への解放」という3本柱でやっていくとのことである。「新しい音楽を模索する場」として「糸」が機能するのか、単なる新作初演を連発するバンドになるか、この3つの展開を見てみよう。
まずは、プロデューサーの高橋悠治さんの作曲から。「糸」を「探求の場」として捉えると、作曲家が作曲家のエゴで100%支配してしまうような曲を書くことが、ためらわれる。しかし、だからと言って、演奏者の創意工夫に期待して、曖昧に作曲して、演奏者につまらない演奏をされてしまって裏切られると悲惨だ。作曲家の葛藤がそこにある。
第1回演奏会のために悠治さんが書いた《聖霊会》(しょうりょうえ)という曲は、演奏者の創意工夫にあまり期待せず、作曲者のやりたいように作曲したタイプの曲だった。(ちなみに、僕はこの作品が好きだ。悠治さんって文章を読んだり書いたりするのが好きな人だからか、生き生きした歌を作るなあ。言葉のツボを知っている人だ。)
悠治さんの「糸」第2作目は、紙切れ一枚の譜面らしい。今度は、演奏家との共同作業を徹底してやろうということか。これは、まだ聴いていない。どんな曲だろう?
古典の再創造。言い換えれば、古典の曲を、無理矢理この編成で演奏する。第1回は、人形浄瑠璃の「阿古屋琴責」(あこやのことぜめ)をベースに、メンバー達が音を出しながら、その場でああでもない、こうでもないと言い合いながらアレンジしてしまった。だから一人が編曲するのではなく、みんなでやってしまうところが、ポイントだ。最もコラボレーションが成立していたのが、この曲だった。安直なアプローチを笑いながらやっていたのが、とっても印象的。ここから、どんどん深みに入っていってほしい。
そして、若い作曲家への解放ということで、第1回は、大友良英さん、新垣隆さん、武智由香さん、そして僕の4人が新曲を書いた。ここでも、「糸」が「共同作業の場」だという考えが、実践された。公演の半年以上前から、何回かに渡って「作曲家のためのワークショップ」が開かれた。ただし、参加する僕たち作曲家は、その場を「共同作業の場」とはあまり認識していなかった。みんな、まだ猫をかぶっていたのだ(いわゆる作曲家のふりをしていた!?)。だから、せっかくのワークショップが、単なる楽器の説明会以上には発展しなかったのは残念だった。
「作曲家との共同作業」、「作曲家のためのワークショップ」というアイディアを、うまく実践したい。そうした願望があるのか、今年の4月から、悠治さんが講師をつとめる「音楽論・作曲」のセミナーが始まった。僕も第1回には、参加してみた。もっと、活発な議論がなされるのかと期待していったが、受講者が不活発だったので、悠治さんの講義が2時間続いて終わった。「作曲家のためのワークショップ」を模索する試みは、しばらく続きそうで、今後の展開に期待したい。
3 「糸」これから…
現代音楽なんかだと、譜面を書くまでが作曲家の仕事で、譜面をもらってからが演奏家の仕事、と領域がはっきり分かれている。でも、そんな分業・専門化した流れ作業を「糸」は志向してはいまい。
作曲家と演奏家の共同作業。「糸」のメンバーが、「阿古屋琴責」をみんなでアレンジした時のノリで、僕らの曲にも臨んでくれると、いいなあ、と思うのだ。また、作曲家同志の共同作業もできると面白いと思う。
田中悠美子さん作曲の《女はつらいよ》に、石川高さんが笙のパートを書き足して、改作したニュー・ヴァージョンが4月に演奏された。こういった連歌のような試みを、もっと押し進めるのも、一つの可能性かもしれない。
「糸」の演奏会に出かけると、悠治さんをはじめとするメンバー達が、ステージ上で、やたらに楽しそうなのだ。生き生き、ワクワク、ドキドキ。未知なる音楽への探求はこうでなくっちゃ、と思う。
おとは糸です、つたわるから、(藤井貞和)
つたわっておいき…
■プロフィール
西陽子、田中悠美子、神田佳子、高橋悠治、高田和子、石川高からなる伝統楽器演奏グループ。
https://www.fontec.co.jp/store/blog/1999/06/FOCD3453.html
「糸」第1回コンサート1999年2月9日すみだトリフォニーホール
野村誠:つん、こいつめ
大友良英:極小の記憶No.2
高橋悠治:聖霊会(町田康「供花」による)
新垣隆:周辺域ーPeriphery
武智由香:調べ/遊び/訪ひ
[フォンテック FOCD 3453]