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【ドミニク・ミラー】ロングインタヴュー:スティングの側近ギタリスト、審美眼に富むECM3作目を発表


スティングの側近ギタリスト、審美眼に富むECM3作目を発表

interview & text:佐藤英輔

 すらりとしていて、格好いい。その様に触れると、なるほどこの人はジャズ畑というより、ロック畑の人物であると思わされようか。現在ECMからリーダー作を出しているギター奏者のドミニク・ミラーだが、彼は1990年以降スティングのバンドに在籍し、その懐刀的な存在となっている。そして、その一方でアコースティック・ギターを弾いた詩的なリーダー作を随時発表してきた。そんな彼の2023年新作『ヴァガボンド』は、ギター主体作『サイレント・ライト』 (2017年)、バンドネオン奏者やドラマーのマヌ・カチェらも編成に加えた『アブサン』(2019年)に続く、ECM第3作となる。新カルテット編成のアルバムで、彼は何を求めようとしたのか? この3月に、ちょうどスティングのワールド・ツアーの一環で来日した彼に話を聞いた。

――スティングとは、本当に長い関係ですよね。
「1990年からだからね。もう離れられない、腐れ縁だね。僕がやるべきことを彼は自由にやらせてくれる」
――あなたは現在、ECMのレコーディング・アーティストです。もともと、どんな感じで関係は始まったのでしょう。
「妻とヴァカンスに出てプールでくつろいでいるときに、緊急時以外は連絡しないでねと伝えていたのにマネージャーから連絡があったんだ。マンフレート・アイヒャーが是非ミュンヘンに会いに来てほしいって連絡が来た、と。それで、会ってみたらとても話があい、今があるわけだね」
――当然、ECMのアルバムはいろいろ聞いていたんですよね。
「もちろん僕のレコード・コレクションのなかにはキース・ジャレットをはじめ、パット・メセニーやラルフ・タウナー、エグベルト・ジスモンチをはじめECM作がいろいろあった。だから、1作目を(オスロのレインボウ・スタジオで)レコーディングしたときは、彼らと同じスタジオで、同じエンジニアやプロデューサーのもと~きっとマイクも同じだったんじゃないかな~録音ができるなんて、ちょっと非現実的な夢が叶ったっていう感じだった」
――あなたが、ECMからアルバムを出すと知ったとき、ぼくはそれほど驚きませんでした。ECM以前のあなたのアルバム群もまたサウンドスケイプや間(ま)に留意するところがありましたから。
「スペースに目を向けたインストゥルメンタルを作っていたので、確かに親和性はあったのかもしれないね。とはいえ、僕はヴァーヴやブルーノートの作品も、ウェザー・リポートやマハヴィシュヌ・オーケストラなども愛好し、僕のなかにあった。そうしたなか、ECMの何に特に惹かれたかというと、やはりスペースの持ち方だった。そして、それを生んだ環境のもと僕が自分の音楽を作れるっていうことにすご感激したんだ」
――実際、ECM社主でもあるマンフレート・アイヒャーはあなたにとってどんなプロデューサーでしょう? 
「映画監督に近いかな。すごく映像的なアプローチを取るし、ミュージシャンのことをまるで役者を扱うような感じで使うんだ。そこは、彼がユニークで特別なところだと思う。そして、彼は役者という奏者にある種の不安感とものすごい前向きな力の両方を絶妙なバランスで与えてくれる」
――やはり、他のプロデューサーとは一味違いましたか? 
「ECM以前の自分のアルバムの場合、『シェイプス』(デッカ、2004年)はクラシック・アルバムだったので、ニック・パトリックがプロデュースしている。でも、それ以外のリーダー作は自分でプロデュースしていたので、あまり比較はできないかな。セルフプロデュースはセルフィー、要は自撮りするようなものだから、第三者が撮ってくれる写真とは違う。でも、逆にそちらの方が本当の自分の姿を写し出しているんじゃないかと思えたりもするよね。なんにしろ、マンレートみたいな人は地球上にいない」
――さて、ECMからの第3作が出ます。どんな内容にしたかったのでしょう。
「僕のやっているような歌詞のない音楽っていうのは、どういう音楽かとか、どういう内容なのかっていうことを説明してしまうと、なんか自画自賛を語るみたいな感じになってしまう。だから、通常は自分の口からはあまり言うことはないんだ。とはいえ、どういうことを受け取ってもらいたいかと言うのであれば、このアルバム・タイトルの『ヴァガボンド』というのがそれを象徴していると思う。今作はいくつもの短編小説が集まったようなものと言える。ヴァガボンドとは昔の吟遊詩人のことを指しているんだけど、僕が今気ままに語りたいストーリーがコレクションされた内容であると僕は感じているな。ECMから出したアルバムのなかで言うと、一番シンプルで一番直接的かもしれない。メロディとかコードといった部分で一番曖昧なところがない。だけど、シンプルなものこそ一番難しいわけで、ぼくは生涯そういうことを突き詰めようとしているんだと思うし、だんだんそういうことができるようになってきたんだなとも感じている」
――なるほど、ヴァガボンドってそういう意味合いなんですね。ぼくは放浪者みたいな感じで使っているのかと思いました。だって、あなたはアルゼンチン生まれでアメリカに少し住んだ後にイギリスに居住し、またアメリカの音大に行ったとかした後に、英国を中心に活動していますから。あと、音楽的にもジャンル的にもしなやかなスタンスを取っていて枠に属さず、自分の道を自由に歩んでいるといういうことで。
「確かに僕は旅するミュージシャンではあるし、そう思われるのは当然だと思う。もともとは詩人のジョン・メイスフィールド(1878~1967年、英国人)が書いた詩のタイトルなんだ。僕の父が亡くなったんだけど、彼の好きな詩だったので、父へのトリビュート的な意味でアルバム表題にしたんだ。実際7曲目「ミ・ヴィエホ」は英語にすると「マイ・オールド・マン」という意味で、“オールド・マン”というのは老人ではなく“父親”という意味なんだ。僕は確かに音楽をやって世界中を回っているけれども、かつてのヴァガボンドのようにお金がないわけでもなく、そういった意味でも自分のことではない。だけど、彼らの思うままメッセージを伝えているっていう部分には共感ができる。楽曲って必ずしも自分自身のことを自伝的に語るだけではないと思う。スティングだって、作る曲すべてが彼のことを語っているわけじゃなくて、ある種キャラクターを作り上げて、そこから良い物語を紡いでいるわけだよね。僕もそういう感じはあるな」
――今作はカルテットで録音されていて、参加しているミュージシャンは全員国籍が違いますよね。ピアノのヤコブ・カールソンはスウェーデン人だし、ベーシストはベルギー人のニコラ・フィズマンでドラマーのジヴ・ラヴィッツはイスラエル人です。参加者の属性を散らしたのは意識的なものでしょうか?
「いや、それは考えてない。でも、ミュージシャンっていうのは世界中に散らばっている家族みたいなもの。だから、よりその顔ぶれが違えば違うほどいいっていうふうに思う。また、音楽は言葉を超えていて、そう考えると国籍もないし、パスポートも必要ない。そうした多様な彼らが集まりそこでどういうサウンドを出すか、お互いにいかにインタープレイし合うか。考えたのはそれだけだね」
――ベーシストとドラマーは、2019年の来日公演と同じです。基本的に、こういうミュージシャンを自分は好むといった物差しのようなものはあったりしますか。
「アルバムごとに僕は違うことをやっているけど、前作と共通する奏者はニコラだけ。彼の場 合は、そのポップス的なタイトさやタイミングが導く規律のようなものがすごく好きで、そんな部分とジャズ・ミュージシャンが一緒になった際に 面白いバランスが生まれるんだ。ジヴは自由にビートの上を踊るように叩くわけで、それはポップスの規律とのいい意味での対立みたいなものを 生じさせる。そして、ジェイコムはクラシックの要素を持っており、その演奏がさらに加わることで、まったく個性が異なる役者が一つの舞台で演 じているかのようになる。そうした場に曲を書いてる僕が監督のような形でいて、その舞台のデザインをしてくれるのがECMであり、マンフレートなんだ」
――今作の収録曲はここのところ書いた曲ですか?
「うん、そうだね」
――曲は、どういう感じで仕上がっていくのでしょう?
「運とハードワークの末のものと言えるかな。その運というのは、自分に訪れる一瞬のインスピレーションを逃さずに捕まえられるかどうかということ。これがなかなか難儀で、それを成就させるのに何年もかかったりするんだけど、その後それを最終的な形に持っていくのが自分にとっての仕事であり義務だね。その過程でいろんなオプションを選ぶことができ、僕はその過程がすごく好きなんだ。でも、最終的に出来上がった曲が最初のインスピレーションに近い場合が意外と一番良かったりする。さっき言ったようにし、シンプルなものが良いんだよね」
――曲ができた際には、そのサウンドの全体像はすでに定まっているのでしょうか。
「出来上がったときには、サウンドははっきり見えている。でも、それは完全な到達点ではない。レコーディングでミキシングを終えた段階で曲は完成を見るわけだけど、実はそこからまた新たな発展が始まる。要するにアルバムっていうのは、アイデアの記録でしかない。そこを出発点に、その次に曲をどう持って行くかというのがライヴだね」
――言うなれば、ジャズは“点”でつないで描くような表現だと思うんですよ。だから、楽器のソロなり、インタープレイなりをずっと追っていかないと、その真価はちゃんと伝わらない。でも、ポップ・ミュージックは“面”で描く音楽なので、パッと聞いても良いものは良いって分かると思うんです。そして、あなたの場合は“面”であることと、“点”で描くことの両方に留意した音楽を作っていると思います。
「その見解はクール、すごくうれしいな。僕はポップスとかロックのストラクチャーとジャズの自由に表現していいという、そうした両方が好きだからね。究極の僕の願いは、自然に生まれた音楽だと聞き手に聞いてもらいたということ。だけど、水面下では様々なストラクチャーがせめぎ合い、そこには言葉を超えた危なさや神秘性が付随している、というものだね」
――“点”と“面”の両立、そしてその奥から神秘性が現れると言うのは、ECM発のプロダクツにも言えることですよね。
「そうだね。パット・メセニーの『オフランプ』なんて、まさにそういうアルバムだよね。ヴォーカルがあるような楽曲、僕はそういう5分間ぐらいの短い時間で物事を語る曲が好きなんだ。たとえばキース・ジャレットのような、ちょっと印象主義的なインプロヴィゼイションを中心とした15分もの尺を必要とするような曲ではなく、本当に歌詞があるようなメロディがシンプルに聞こえてくるものが好きだ」
――ECMって一部の人にとっては大層リジェンダリーなジャズ・レーベルです。現在そこからアルバムを出していることで、ありがたやと思える部分はやはりあったりしますか。
「プロモーターたちへの影響は結構なものかもしれないね。それまではあり得なかったようなところにブッキングされたりしているから。あと、やっぱり友達の反応が違ってきて、それはなんかうれしいものだ」
――これからもスティングのサポートは続けていくと思いますが、個人リーダーとしては、今後どんなふうに進んでいけたらいいなと思っていますか。
「あまり先のことは考えないな。ただ好奇心は絶対に捨てたくないというか、忘れたくない。あとはミュージシャンとして、より良いサウンドをいかにギターで出すかということに心を砕き、成長していきたい。それこそは、僕が生きている証となるんじゃないかな」

■ドミニク・ミラー (Dominic Miller)
1960 年3 月21 日、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。バークレー音楽学校、ロンドン・ギルドホールスクールでクラシックを学ぶ。セバスチャン・タパジョスに師事。1991 年にスティングのアルバム「ソール・ケージ」に参加し、その後のスティングのツアー、レコーディングには欠かせないギタリストとなる。その他、ティナ・ターナー、ブライアン・アダムス、パヴァロッティ、レナード・コーエン、ユッスーン・ドゥール、ローナン・キーティン、バックストリート・ボーイズなど多くのアーティストとの共演、レコーディングなど活動は多岐に渡る。


ヴァガボンド
ドミニク・ミラー(g)ヤコブ・カールソン(p, key)
ニコラ・フィズマン(b)ジヴ・ラヴィッツ(ds)
[ECM/ユニバーサルミュージック UCCE-1199] 2023/4/21発売

【掲載号】

https://tower.jp/mag/intoxicate/


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