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ナスカの地上絵は本当に古代人によって描かれたのか

皆さんはお正月休みをどのようにお過ごしになられたでしょうか。

私も例にもれず、実家に帰省し、こたつに入ってミカンを食べながらテレビに読書と、お正月ならではのゆったりとした時間を過ごしました。

普段テレビをまったく見ない反動でしょうか、面白そうな番組が放送されていると気づけば釘付けになっている自分がいます。中でもナスカの地上絵についての番組に見入ってしまいました。

しかし私はその放送を見て、ナスカの地上絵について妙な疑問を持つことになったのです。

地上絵の概要

ナスカの地上絵は、ペルー南部のナスカ台地に広がる巨大な図形群であり、1939年にアメリカの歴史学者ポール・コソックが上空を飛行した時に発見されました。約2000年前にナスカ文明(紀元前200年〜紀元後600年)の人々によって描かれたとされています。地上絵の数は約1000点以上に及び、最大のものは数百メートルにも達します。

地上絵は、表面の暗く酸化した石を取り除き、下にある明るい土壌を表出させることで描かれています。地上絵には、主に〈線タイプ〉と〈面タイプ〉の2種類があります。

線タイプ:一筆書きで縁のみ石を取り除いた絵

線タイプの地上絵

面タイプ:枠内の石を取り除き、石を積み上げることで模様を表現した絵

面タイプの地上絵:山形大学HPより

ハチドリやサルなどの有名な絵は〈線タイプ〉の地上絵で、山形大学の研究チームが新たに発見した地上絵はそのほとんどが〈面タイプ〉でした。

疑問

この時点で、すでに私の中には2つの不穏な疑問が浮かびました。

  • 地表の土壌を数十cm掘り上げただけの絵なのになぜ約2000年も消えずに残っているのか?

  • 壁画や石板と違って、炭素年代測定が難しそうなのになぜ古代人が描いたとされているのか?

なぜ残っているのか

小学校のときに校庭に石灰の粉で線を引いたことがありますが、数日のうちに綺麗さっぱり消えてしまいます。もちろんナスカの地上絵の描き方は小学校の石灰の粉と違い、地表面を20~30cm掘り起こす、または石を集めて濃淡の模様を作ることで描いています。しかし、それでも少し掘り起こしたり、石を集めただけの絵が約2000年も残り続けるという事実はあまりにも直感に反しています。

現在、山形大学の研究チームのみがナスカ台地に立ち入ることを許可されており、番組内では地上絵に影響がないように体重による圧力を分散させる特殊な靴を装着する様子が放送されていました。言い換えれば、普通に歩いてしまうと地上絵が消えてしまう可能性があるのです。

事実、地上絵が有名になるにつれて観光客が増え、自動車などが地上絵に影響を与えているとのこと。山形大学の研究チームが特殊な靴を装着して研究することは、ナスカの地上絵に限らず、古代文明の記録を守る姿勢として、当然のことだったのでしょう。しかし地上絵には他の古代遺物にはない構造的な脆弱性を感じます。

それに、今回新たに発見された面タイプの地上絵は石の積み上げで模様を作るのですが、石を積み上げるくらいなら誰にでもできてしまいそうですし、崩すことも簡単でしょう。

加えて、地上絵があまりに巨大なため発見が遅れたことにも言及しましょう。地上絵の中で最も大きい絵は約285mのペリカンですが、そのあまりの大きさに全体像を地表から観察することが難しいのです。

おそらくナスカの現地に住む人々にとっても、
🧐「なんか線があるな~」
🤔「なんとなく何かの模様っぽいかもな~」
くらいの認識であったかもしれません。現地の人々が地上絵のことなど気にせずに生活を送り、その影響で地上絵が消えてしまっていたとしても不思議はないのです。

ナスカ文明が衰退した後に栄えた文明に、あの有名なインカ帝国があります。インカ帝国の人口は最盛期で約1,000万人から1,600万人と推定されています。そのくらい大きな文明が近くにあれば、ナスカの地上絵もその人々の影響を受けた可能性があると考えるほうが自然でしょう。

以上から、地上絵が2000年も残り続けているという事実は私にとって不思議で仕方がないのです。

なぜ古代人が描いたと言えるのか

古代の遺物がいつ作られたのかを調べる方法に放射性炭素年代測定という方法があります。C14という物質の量を測り、対象となる遺物がいつ作られたのか調べることができます。化石や地質もこの方法を用いて年代特定を行います。確かに化石や地質など明確な物体があるならば、その中の有機物を取り出し、C14の量を調べることはできそうです。

しかしナスカの地上絵は、表面の石をどかしただけで、明確な物体としては存在していません。石板のように1つの物質を取り上げて「ナスカの地上絵だ」と明言することはできないのです。仮に地上絵の白線部分の一部に有機物が見つかりC14の量を測定できたとしても、その有機物が最初から地上絵の一部であった保証はありません。厳密には、同じことが化石や地層にも言えるかもしれませんが、ナスカの地上絵の場合は増して不確定的なのです。

すごく意地悪を言えば、コソック氏に発見される数年前に、ナスカ文化オタクの人がナスカの土器に描かれたデザインに倣って、同じデザインを地上絵にした、という可能性を否定できないのです。それなのに番組に出演した先生たちは人生の半分以上をナスカの研究に費やしているような人たちばかりで、「もしこれが全て単なるイタズラだったら...」と私は気が気でありません。

これが、素人の私が番組を見ていて感じた疑問でした。

答え合わせ

結論から述べますと、ナスカの地上絵は多くの間接的な要因により、古代人が書いたものであるとする学説が主流のようです。なので私の心配は全くの無用でした。

考えてみればそうですよね...

イタズラの可能性がある遺物をN◯Kが特集するはずもなければ、山形大学がペルーにナスカの地上絵研究用の施設を建てるはずがないのですから。

ではその間接的な要因とは一体何なのでしょうか。

残っている理由

〈自然的要因〉
1, 雨がほどんど降らない

ナスカ台地の年間の降水量は25mm以下です。東京の年間降水量が約1,500mmなので、その60分の1。東京は3日に1回雨が降ると言われているので、ナスカ台地では年に1~2回しか雨が降らないことになります。

2, 風が吹かない
ナスカ台地はほぼ無風に近い環境で、大規模な風や砂嵐による土壌の移動がほとんどありません。

3, 気温の変動が少ない
ナスカ台地では一年を通じて気温が比較的一定しており、極端な温度差による土壌の膨張や収縮が少ない環境です。

4, 野生動物がいない
ナスカ台地は極めて乾燥した砂漠地帯であり、食料や水の供給が限られているため、野生動物はほとんど生息していません。そのため地上絵には影響がないと考えられます。

5, 霧の発生が土壌を安定化させる
霧が地上に降りると、わずかな湿度が土壌表面を安定させ、砂粒や小石の動きを抑える効果があります。

〈人的要因〉
1, 認知されていなかった・生活環境から離れていた
地上絵はそのスケールの大きさゆえ、地上からでは全体像がわかりにくく、飛行機の普及による上空からの観察が可能になるまで注目されていませんでした。加えて地上絵は人々が生活する村や都市から離れた乾燥地帯に描かれており、農業や都市開発の影響を受けませんでした。

2, 絵が風で砂や石の移動を防ぐ構造になっていた
地上絵の露出した部分を取り囲むように暗褐色の石が残されています。これらの石が風や砂の移動を防ぎ、露出した地層を保護する役割を果たしています。

3, マリア・ライへによる保全活動
ドイツ生まれの数学者、天文学者、考古学者であるマリア・ライへ(1903–1998)は、地上絵の清掃を行い、文化的重要性を訴えることで風化や破壊から地上絵を保護しました。

古代の遺物だとされる理由

1, 放射性炭素年代測定
・地上絵周辺で発見された木炭や土器片などの有機物
・地上絵を描くために使用されたと考えられる木製の杭や縄などの道具
これらに放射性炭素年代測定を行ったところナスカ文化の時代に属することが確認されています。

2, 土器のデザインの類似
土器や織物などの工芸品には、地上絵と類似するデザインが多く見られます。特に動物や植物のモチーフが一致することから、これらのデザインが同じ時代に作られた可能性が高いとされています。

3, 地表面の土壌と石の科学分析
・露出した石灰質の土壌の酸化や風化の程度
・土壌中の特定の同位体や鉱物の経年変化
これらの科学分析の結果から数千年が経過していると推測されます。

以上のことからナスカの地上絵は紀元前200年〜紀元後600年の間に描かれたものであるとする学説が研究者の間では主流なのだそうです。考古学について科学的なことを何も知らない私は、まだこれらの間接的根拠について文句をつけることはできそうですが、イタズラを心配する必要は全くなかったのです。

結論

ナスカの地上絵について調べて分かったのは、厳密な科学的根拠を理解することは極めて難しいということでした。ナスカの地上絵について少しだけ詳しくなることはできましたが、結局「学者さんが言っているのだから多分そうなのだろう」という域を出られなかったのです。しかし、考古学における科学的検証の一部を垣間見ることができたことを喜ばしく思います。

ナスカの地上絵の目的について

最後に、ナスカの地上絵がどのような目的で描かれたのかについて少し考えたいと思います。

暦説
この説は先述のマリア・ライへが唱えた説で、一部の地上絵の直線が、太陽・星座の位置、冬至・夏至の日の出と日の入りに一致していることから、カレンダーとしての機能を担っていたとする説です。現在ではこの説にあてはまらない地上絵が多く発見されたため、すべて暦であるとする説は否定されています。

地下水脈説
地下水脈や古代の灌漑システムと地上絵のデザインが一致しており、地上絵がその管理や象徴として使われたとする説です。しかし「暦説」と同じように、この説もあてはまらない地上絵が多く発見されたため、主流ではありません。

宗教目的説
最も支持されている学説で、地上絵の多くの直線や曲線が、特定の場所へ向かう道のように見えることから、儀式的行進に使われたとする説です。
・地上絵に描かれた動植物がナスカ文化において神聖な意味を持つと考えられること
・地上絵の周辺で、壊れた陶器や貝殻などの供物が発見されていること
これらのことが宗教目的で使用されていたとする根拠です。
研究チームによると、新しく見つかった面タイプの地上絵は豊穣を祈願するために生贄を捧げる物語を表しているとのことです。

現在有力な説は、宗教的儀式を中心に、天文学的な観測や地下水の管理がそれを補完していたとすると説です。地上絵は複合的な目的を持って描かれたのです。

宇宙人?

私たちが地面に何かを描く場面を考えてみると、グラウンド内の白線、どこかに孤立してしまったときの「SOS」などが思い浮かびます。グラウンド内の白線は、陸上競技のように特定のルートを進んでもらう点で、儀式的行進と目的が同じであると気づきます。

一方で「SOS」は、人々の目線よりも高いところから見ることが想定されています。現代においてはヘリコプターなどを想定しますが、飛行技術がない時代においては、何らかの上位概念を想定していたと言えるでしょう。

それが神だったのか、はたまた宇宙からの訪問者だったのか。

いずれにしても、「SOS」なだけに涼宮ハルヒシリーズの新刊を待ちわびた人間としては、宇宙からの訪問者だったという可能性が残っていることをうれしく思ってしまうのです。

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