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これもまたイニシエーションの話…映画エヴァンゲリオン

ここ数日「潜在意識、無意識はイリュージョンである。イニシエーション後は潜在意識はなくなる」がずっとリフレイン中のなか、エヴァンゲリオンを観てきたら…。

主人公のシンジが世界を崩壊させたのは、欲がなかったが、同時に意志もなかったからだった。(この二つは二重性として補完しあう創造主には大切なもの)しかし仲間に贖いをしたのち、最後に彼らから「意志」(象徴としての槍)を託されて、彼は救世主として生まれ変わった。

そして海に終わったエンディングを観て確信したのは、シンジは(秘教学で言われる)「救世主としての魚座の変容」だった。庵野監督はそこまで考えていなかったと思うけれど、結局ストーリーを昇華させると、神話につながる。(ここでは実際にシンジが魚座か…は重要ではない)

そして、救世主となったシンジが無意識の層にアクセスして一つ一つ消し去っていったシーンには、イニシエーション(意識拡大)後には潜在意識はなくなる…というメッセージに思えた。しかも救世主は「引き返して救世主になる」のだ。まさに逃走していたシンジであり、これは彼の意識拡大、イニシエーションの話だ…と。

先日のノマドランドもだけれど、イニシエーションの印象と波動がおろされているのかなぁ…。秘教本ではないが、同じくらい人類にとって貴重な本である、エリザベス・ハイチの『イニシエーション』より。


人間の本質とは海のようなものだ。意識は海の表面にすぎない。それよりはるかに奥深く広大な無意識が存在していて、人の考え、言葉、ふるまいはその深みから湧き起こる。 しかし、救済を体験して完全な自己認識に達した人の意識は、聖なる〈自己〉に目覚め、自己を悟っ ているため、もはや潜在意識も超意識も存在しない。つまり無意識の部分がなく、神なる全意識という無限の大海の深みまで意識の光がゆきわたっているのだ。そして、あがないを経ていない者にとっては「無意識」と認識されている(多くは認識すらされていない)世界が、すみずみまで完全に意識化され、故郷となる。 うお座を表わす二匹の魚は、この完璧に調和した大海の中を思いのままに泳ぎまわる、幸せな雌雄の象徴である。この放射はあがないによる救済体験をもたらし、これによって個人は、個人を超えた 無限の〈自己〉の深みへ飛び込み、神聖で分かつことのできない全一の存在に溶け合う。この放射エネルギーによって救済は成就し、物質の霊化が完了する。

エヴァンゲリオンを秘教学の視点から語ると面白そうだな…と思いつつ。この劇場版以外を視る時間がなく…m(__)m


追記:もう一つだけ余計なことを言うと・・作品のなかにはキリスト教や宗教のモチーフがあったが、「神」そのものへの信はないので、エンターテインメントとして成立したのだなぁ…と思った。大衆に広がるには、それで正解と感じる。

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