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★簡単に謝らないために★


「簡単に謝るなら、二度と謝らないでいいように考えて行動したらどう?」

人生で忘れられない言葉の一つで、大学時代のルームメイトに言われた。その頃の私は5分に一回は人に謝り、「ごめんなさい」が口癖だった。何をしても自信がなく、息を吸うだけでも人に迷惑をかけ、人に嫌われてしまう…と思っていた。

え?いまの私からは想像できない?…(笑) 

だから、この言葉で私を叱った彼女には感謝している。無駄に謝らない人生を生きるまでに、私を変容させてくれた言葉だ。

クラス開催するようになり、今は私が「ごめんなさい」と聞かされる立場になった。欠席、遅刻、宿題の未提出…などなど。そのたびに「もし謝るのならば、自分自身にでは?」と思う。なぜなら、その行動は法律を犯しているわけでもない。私が「迷惑だ。傷ついた」と言っているわけでもない。そして、その行為に明確な動機があるなら、謝る必要などないのである。そして機会の損失をするのは自分自身なのだから。

大学生の私は簡単に謝ることで、「謝る私は良い子です。だから私を責めないで」と自分を防衛していた。なぜなら私の動機はすべて「人に嫌われないこと。迷惑をかけないこと」だった。

ルームメイトに「いいんだよ。大丈夫」と優しくヒーリングされていたら、私は気づかなかっただろう。自分が自分を生きていないことに。自分軸ではなく、他者の評価を生きていたことに。

だから「簡単に謝るな」と叱ってくれて、本当に助かった。人生を創造する責任は自分にしかない…と、目を覚ましてくれた。そして「考えたらどう?」と言われて、情や不安から行動しないことを覚えた。今では彼女がいった「考える」とは自分の意志や動機、そして意図を明らかにすることだと理解している。

自分から逃れないように生きるコツは、自分の動機を丹念に観察して、確認。一歩一歩その動機を信じて歩むこと。そうすることで、生活が整い、人生もまた整っていく。

動機の研究と理解には価値があり重要である。どのような要素が日常生活を鼓舞しているかを知的に確信できるようになるからである。これは注意深い考察に値する言葉である。私はあなた方に尋ねたい。あなた方を刺激し行動させる主な動機は何ですかと。このように問うのは、それが何であれ、それがあなた方の優勢な生活傾向を条件づけ決定づけているからである。
アリスベイリー「グラマー」より

もしあなたが簡単に「ごめんなさい」を口癖のように言うなら、まずは言わないことから始めて、そして一旦は自分の動機に立ち戻ってください。そこに動機がなく無自覚でした行動なら、「次からはこうしたい」と相手に告げて、そのために助けが必要ならヘルプを伝えてみてはどうでしょうか。

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