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不安と恐れを癒す

少し思ったことがあったのでメモがわりに残しておく。

なんの役に立つかなどは知らないけど。不安や恐怖について。


人は時に不安と恐れを不都合なものとして扱う。それを克服しようとする。

人がやっちゃいがちがこと第一。知らんけど

それらが自分にとって不利益を被るばかりだから極力不安材料や恐怖の対象を排除しようと試みる。

それは何も間違ったことじゃない。

だがそれは不安や恐怖をなんとかしようとしてそれらに無意識的に乗っ取られている行いである。ミイラとりがミイラになる

まぁよくあることだよね。

自分はそうであった。今もよくある。

今までは不安の方ばかりに無意識に意識が行っていたように思う。


もう幼い頃から体と心に染み付いた癖のようなもので。

反射的に不安に取り込まれ、ありもしない脳内物語を自分勝手に作り上げ、問題を設定し、それを解決すべく、あれやこれや対処法をこうじ格闘する。


だがそれも飽きてきた頃だ。


認知行動療法だと不安を認識しそれを変えるための行動をするってことが主題のようだ。

私はそれと似たようなことをよくやる。

瞑想的な観察で内側で起きている不安、そして不安を材料に物語を構築する脳内の働き。それを認識する

それだけ。不安を認識し、許し、愛でる。

認知行動療法と違うのは行動に主眼を置いてないところかな。別に行動を変えたきゃ変えればいい。心の癖を認知し行動を変えることで新しい心の癖がつく様方向付けをする。

でも大事なのは不安を悪者扱いしないと言うこと。不安を不安のままその存在を許すと言うこと。

特別不安をなんとかしようとしない。単なる癖の様なもので可愛い奴である。

そうすると不安は消えたりする。消すことが目的ではないが結果としてその存在を認め、許してあげると、消えちゃったりする性質があるらしい。消えない場合もあるがそれは観察による副次的な効能?であり目的ではない。


不安を悪者扱いしない。


恐怖を邪険に扱わない。


それらは必死で自分を守ってくれようとして一生懸命働いてくれる自己防衛本能なのだがら。

それらの働きを認めて許して愛てあげる。無条件に。

心の底から愛でる。

そうすると別に不安は恐怖はあっていいものになる

あっていいものであれば、特別故意にそれらを恐れ、除け者にする必要はない。

今までだと不安に不安していた。恐怖に恐怖していた。

不安や恐怖に抵抗し、それをなくそうとしたり、ないものとして自分を誤魔化したり。

なかったら、困るしね。火傷をしても手当てしないみたいなことだと、生きていけないしね。だから感謝する。

不安はなくなる様なものじゃないし、なくすものでもないから、いつまでも格闘してもコスパも悪いしね笑


もうそれらに怯える必要はない。仲直りをする


その上で不安がきたら来たで、不安の上塗りをせず在るが儘に見る。

不安を除け者に扱うこともないが、不安に乗っ取られる必要もない。

ニュートラルな関係を気づく。


そんなことを思うた今日この頃。



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