ビオトープは再読で補強すべし〜『再読だけが創造的な読書術である』〜【11月読書本チャレンジ4】
本日は昨日の『積読こそが完全な読書である』(以下『積読』に続く、『再読だけが創造的な読書である』(以下『再読』)を取り上げます。
「再読」ってもう一度読み直すことでしょう? 意味ないじゃん」と考える方もいるでしょう。逆に「いい話は何度でも読みたくなるよね」という方も。基本的に好みのスタンスで読めばよいと私は思っているので、それはどちらでも構いません。私の場合をいうなら、「どっちもアリ」ですから。
さて、前著『積読』では、積んだ本も読んだ本も含めて自分の「ビオトープ的積読環境」を作るのだ、という主張がありました。本書『再読』では、
ということが提示されています。テラフォーミングといえば、SF好きの方ならすぐにピンと来るでしょう。たとえば火星などヒトの住めない環境の場所を地球(テラ)のように環境を改変して住めるように整えることです。ビオトープという自分の生態系を作り上げたら、それを補強していく、といったイメージでしょうか。一度読んだ本を読み直す、つまり「再読」することによって自己の世界をさらに強固なものにしていくことなのです。
本に載っていることはすべて情報が文字という記号で表現されている、とすると、このテラフォーミングという行為で私が想像したのはいろんな形や色のレゴブロックを慎重に選んで自分の城を作るようなイメージでした。同じ本を読んでも同じ感想を抱くとは限らない。というより、同じことを受け取る訳がない。だってそこまでの人生で本に限らず様々な経験で受け取って形作ってきたものが各人で違うのですから。たとえ、レゴブロックは同じ物だとしても、他人とは組み合わせが違うはず。その無限にあると思われる組み合わせを考えて行くことが編集という行為ではないかと私は理解しています。
本書の最後の方で、最近逝去された松岡正剛氏のことも出てきます。松岡氏は「編集工学」を掲げて数多くの活動を行ってこられた方で、その読書に関する著書のひとつ『多読術』も取り上げて解説されています。この『多読術』も実に興味深い本で、他の読書に関して語った本と風合いが違います。また今月取り上げておくべき本だと考えています。
この本は、というか前著『積読』もそうだったのですが、著者の深い経験と洞察から話が膨らみがちです。「なんで再読なん?」という問いを読めばすぐに得ることができるようなタイプの本ではありません。印象としては『積読』よりもう一段分かりにくいところがあります。
でも第二章「本を読むことは困難である」では、なぜ読むこと自体が難しい時があるのか説明しています。
そう、難しいんです。ニュータイプのようにピピッと来たら分かりあえるような話ではなく、抽象化つまりある意味暗号化されたものを自分で解読して、そして自分の記憶として再度暗号化しなくてはならないのですから、正直重労働でしょう。人間は文字を読むという読字行為を学ぶことによって感情や思考を育てていく、ということは、以前読んだウルフ博士の『プルーストとイカ』で詳しく触れられていました。
この解きほぐしがやすやすとできない状態を「読書スランプ」と本書では読んでいます。文字起こしできないから、読みたくない。または起こさなくてもよいマンガ、動画に流れる。確かにその通りです。
そんな読書という行為がそもそもなんで必要なのか、前著『積読』にもありましたが、現代の情報の濁流から身を守るため、です。前著『積読』、本書『再読』、合わせて読むと自分なりに見えてくるものがあります。ひとりよがりでもいいんです。自分に見えた、と思えば。積読して再読していくうちにだんだんと自分のビオトープがテラフォーミングされていく、そんな過程を経験するのはとても楽しそうです。
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