第二次世界大戦中迫害された移民
1940年 日本人の店が大破される
第二世界大戦のときに、ペルーはアメリカ寄りで、
日本人移民たちが虐げられたという歴史がある。
その時にペルー政府が日本語禁止令が出したので、
家庭でも日本語を使わなくなり、
現在の日系人は日本語が話せない。
とほぼすべての日系人2世、3世たちは言う。
大戦当時、政治的、社会的、経済的に外国人嫌いが蔓延した。
その矛先は日本人移民に向けられることになる。
1930年代にペルー政府がその抑止対策を取ろうとしたが、
いくつのメディアが日本人移民に対する攻撃的な内容を発信したため、その流れを食い止めることが出来なかった。
日本人のせいでペルー人が就職できない。というような内容のものであった。
1940年代には、日本がペルーに攻めてくるというようなうわさが流れ、日本人移民たちがその為に武器を貯蓄しているなどと言われるようになった。
我を失ったペルー人の一部が集まり、日本人の経営する店に投石、略奪、放火などを行った。銃やその他の方法で殺された日本人もいたが、調査が行われることはなかった。
リマとその近郊に15000人余りの日本人が住んでいたが、そのうち620人が被害を受けている。