縦長の窓辺で考えごとを #1
時々思いもしないタイミングで想像以上に大きなきっかけをもらうことがある。思いもしないことなので心底驚いて身震いしたあと、全身の勇気をかき集めて「やりたいです」とか「行きたいです」とか「ずっと好きだったんです」とかなんとか口にするのだけど、次の瞬間私の心を占めるのはほとんど恐怖と不安だ。私は積極的なのに、極度の怖がりでもある。
そういう幸運なきっかけが身に迫ってはじめて、自分が本当に自分のことを信用しているかどうか試されるのかもしれない。最も怖いのは自分を信用しきれないできっかけを掴まなかった時。それを想像すると、まるでパンドラの箱を開けて夢から醒めたかのごとく今までの自分の人生がまやかしのように思えて、自分で自分を追い詰めてしまうことを最近(漸く)知った。
きっかけというのは贈り物のようなものなので、自分のそばに来てくれたことは有難い。自分一人の力ではたどり着けない大きな力を持っているように思えて、それをそうだと知っていながら見送るのは自分の力不足を白状している気がして心もとない。
力不足は本当のことで、私はそうやってひとつの大きなきっかけを見送った。夢が現実になるかもしれない、となって初めて考えたことがたくさんあった。自分の毎日をつぎ込める仕事とそうでないものの境界線を引くのは難しかった。きっかけを失わない地点をできるだけ守りたいと考えていた。それを自分だけで掴めるのか、本当の本当のところでは自分が一番信じきれていなかったのだと思った。
これではどっちみちダメになる。この間にわかったことは、私にはまずひとりで行う実験が必要なのだということ。自分を信用するための実験。それがあれば次に自分の身体を上回るきっかけや呼びかけがあったとき、私には手にとって見ることのできる自分の意思があるように思う。
私は実店舗にこだわっているけれど、欲しいのは「箱」でもなく「機能」でもなかった。今はまたそれを自分の実験のために組み直して、眺めたりしている。運命共同体になってくれる同僚はもういないけど、ひとりで背負えるぶんだけを体いっぱい背負ってはじめようと思う。
今回のきっかけが本当はなんのきっかけだったのか、わかるのはきっとまだ先なんだと言い聞かせながら。
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