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《歌詞考察》若者が時代を創る—THE ALFEE「ラジカル・ティーンエイジャー」

こんばんは。InterFace'87です。

本格的に始めて第1回目の記事では、私の大好きなTHE ALFEEの楽曲「ラジカル・ティーンエイジャー」の歌詞について書いてみたいと思います。

私も現在、18歳のティーンエイジャーです。こんな時代だからこそ、諦めと冷笑に立ち向かい続ける若者の一人でありたいという気持ちで、この曲は私の中で今年のテーマソングになっています。

YouTubeで曲を検索▶︎https://www.youtube.com/results?search_query=ラジカル・ティーンエイジャー

⒈ 「ラジカル・ティーンエイジャー 」の作品情報

この曲は、1983年発売のシングル「メリーアン」のB面に収録されました。作詞と作曲はもちろん高見沢俊彦氏。サビの高音の盛り上がりとラストの転調が印象的で、ライブでは大合唱になることもあるという一曲です(Wikipedia)。

⒉ 1番の考察—「君」の夢はなぜ崩れたのか

ここから歌詞について考えていきますが、以下はあくまで現代社会とそこに生きる私たちに引き寄せた私の解釈です。1983年当時に高見沢氏が込めたメッセージを追っていく、という趣旨のものではないことを心に留めて読んでほしいです。

歌詞の全文はTHE ALFEE公式サイトに掲載されています。引用はすべてここから▶︎http://www.alfee.com/disco/album/song.asp?SID=75&CID=7

この曲には一人称視点の主人公(ここでは「語り手」と呼ぶことにします)と「君」が登場します。曲は街の情景から始まります。

「悲しいニュースが また一つ街に流れ/そして人は憎み合い 心探り合う」

事件や言葉の暴力など、悲しいニュースは毎日、テレビやインターネットを通じて人々に共有されます。そしてそれは人々を憎しみの連鎖に陥れる。誰も信じられない、心を開けない。そんな状況が歌われています。
SNSが普及し、心ない言葉がネット空間に飛び交う今、そういう状況は加速しているようにも見える。

「憧れ両手に 抱えた君はやがて/崩れた夢に立ちつくす自分を見るだろう」

憧れとは、自分の輝かしい将来への希望につながるものでしょう。両手いっぱいに抱えたその憧れはやがて瓦解する。そして、夢の残骸の上になすすべなく立ちつくしている自分の姿を見ることになる。
この部分は「夢は必ず叶うわけではない」と、現実の厳しさを説いているようにも思えます。

しかしここでは、これが人と人とが憎み合う社会の状況を歌った部分に続くものであることに注目するべきでしょう。彼女の夢が崩れる背景に、そうした社会状況があると捉えることができます。
人々が「憎み合い」、「心探り合う」ことが、「君」の夢の実現を阻む要因として意識されていることが窺えます。この裏側には何があるのでしょう。それはきっと、自分に不利益がもたらされるかもしれないという疑心暗鬼です。この疑心暗鬼はいかにして成立するのでしょうか。

一つには、「悲しいニュース」が増えたこともあるかもしれません。
しかしそれ以上に、ここには、共同体の崩壊社会の個人化が深く関わっているように思います。それまで人々を包摂してきた共同体は、アイデンティティの源泉であると同時に、そこに生きる個人を承認する役割を担っていました。そこでは個人は、常に社会につなぎ止められていた。いたずらに疑心暗鬼が広がることは、社会の機能によって避けられていました。
しかし今ではそうではありません。

70年代以前の日本では、職場(職業)がアイデンティティの源泉という性格を持っていました。しかし80年代以降の経済のグローバル化は「労働市場のフレキシブル化」をもたらしました。そして年功序列と終身雇用による安定的な雇用が崩れたことで、職場が担っていた共同体的役割は消滅し、個人はアイデンティティの源泉を職場に求められなくなる。「個性」の称揚、「自分らしさ」の追求はこのような文脈の中で生まれたのです(西澤 2019)。
新自由主義が支配した日本社会では、個人は往々にして、親密圏を超えた社会とのつながりを欠いています。

新自由主義と一体となった個人化は、周囲の社会への信頼を失わせ、人々に自己責任を強います。そうして社会が社会として機能しなくなったために、人々は「憎み合い」、互いに「探り合う」ようになったのです。
だとすれば、歌詞のこの部分から読み取れるのは、そうした社会構造の変容こそが若者の夢を蝕んでいくという問題提起でしょう。

語り手は、夜の静寂の中で泣く「君」の声を聞きます。そして言います。

「涙をふいて 立ち上がるのさ/時代を創れ/ラジカル・ティーンエイジャー」

涙を流している場合じゃない、立ち上がって自分たちの時代を創造していくのだ、という力強いメッセージがここにはあります。

「時代を創る」とはどういうことでしょうか。先程の解釈を踏まえて言えば、「君」の夢を瓦解させてしまうようなシステムを打ち破れ、ということになるでしょう。
これは「自己責任」を強調する個人化、問題の個人への矮小化を退け、社会全体の変革を要求するものです。「革命」とも呼べるかもしれません。

「君」の挫折の描写を、単に「夢は必ず叶うわけではない」という当たり障りのない言葉としてではなく、語り手や「君」が生きる社会への問題提起を含むメッセージと捉えること。
それによって、「君」が立ち上がる意味は、単なる「諦めるな」の精神論から、「社会を変えよう、革命を起こそう」というムーヴメントへと変わります。
私がこの曲が好きな理由はここにあるのです。

⒊ 2番の考察—「自由を売り渡す」人々と「時間の鎖」

2番の歌詞も見てみましょう。

「知らぬ間に誰もが 時間の鎖に繋がれ/生きることと引き換えに自由を売り渡す」

「時間の鎖」という比喩は何を表しているのでしょう。解釈は一つには定まりません。私の解釈では、ここでも前述した社会の構造的変化を言っているのだと思います。

生きるために「自由を売り渡す」という表現は、反転すればその自由を「買い取って」いる主体が想定されていることになります。これは被雇用者と雇用主の関係、労働市場を表現していると考えられます。
そして雇用主は労働者を「時間の鎖」で繋いでいる。しかも「誰もが」「知らぬ間に」繋がれていると言います。雇用する/されるの関係であれば、「知らぬ間に」というのはしっくりきません。だとすれば「時間の鎖」とは、労働市場に導入された新たなシステムのことでしょう。
労働市場の変化というと、90年代以降拡大する非正規雇用が思い起こされます。「パートタイム労働」「時給制」という言葉に現れているように、人々は労働市場に「時間の鎖」で繋がれるようになりました。意識しないうちに非正規雇用はどんどん拡大し、格差も拡大し続けています。それは人々に貧困をもたらして自由を奪ったり、または貧困を避けるために多大な犠牲を払わせたりするのです。
この比喩から私が読み取ったのは、そうしたある種の警鐘です。

歌詞はこう続きます。

「すべてを この胸に/預けて欲しい 今こそ」

語り手は「君」にこう言います。今までの考察を踏まえると、これは「ともに立ち上がって戦おう」というメッセージと読めるのではないでしょうか。すべてを預けるというのは戦いからの離脱を意味しているのではなく、「君」ひとりだけの戦いではないのだと言っているのです。すべてが語り手自身の、そして若者たちの課題なのだと。
「ラジカル・ティーンエイジャー」として、社会を変え「時代を創る」という決意がここに表れているのです。

⒋ おわりに

いかがだったでしょうか。好き勝手な解釈と思われるかもしれませんが、私にとってこの曲は、現存する社会構造の問題を見据え、社会をよい方向に変革していく若者たちの力を歌った曲なのです。

SNSを見ていると、社会に文句を言わないこと、理不尽に寛容になることが「大人になる」ことだと思っている若者が多いような気がします。まず変えるべきは若者自身の態度なのかもしれない。
そんな時代に立ち上がろうとする若者の背中を、この曲は力強く押してくれます。

参考文献
Wikipedia「メリーアン (曲)」。
西澤晃彦(2019)『人間にとって貧困とは何か』(放送大学教材)、放送大学教育振興会。
吉見俊哉(2009)『ポスト戦後社会』(シリーズ日本近現代史⑨)(岩波新書)、岩波書店。

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