【中国語講座】「する」のか「受ける」のか
コロナも一応収まりましたね。思い返すと、大学入試共通テストをはじめとする大学入試などはコロナの影響を大きく受けましたね~。
かつてセンター試験だった時は本試験の1週間後に追試を行って、病気などで試験を受けられなかった人にチャンスを与えていましたけど、コロナ禍で行われた第1回大学入学共通テストは新型コロナのことを考慮して、本試験の2週間後に行われ、翌年の第2回もそれにならって2週間後に追試を行うことにする、というようなニュースがあって、NHK中国語ニュースでも報じました。
この部分、中国語ニュースでは「以前は本試験の1週間後に受験生は追試を受けることができた」というような言い方で訳されていたのですが、この「追試を受けることができた」をこう訳してありました。
考生可进行补考。
kăoshēng kě jìnxíng bŭkăo
“进行补考”だけを見ると、ふつうは「追試を行う」と訳せると思うのですが、ここの主語は“考生”つまり受験生です。「受験生は追試を行うことができる」・・・日本語的にはちょっと変ではありませんか?まぁ意味は分かるけど、ふつうは「追試を受けることができる」ですよね?
中国語も多分「追試に参加することができる」という言い方もできるはずだと思います。つまり:
考生可参加补考。
kăoshēng kě cānjiā bŭkăo
でも“进行”でもいいのですね~。「受ける」とも「行う」「する」とも訳せる。中国語には時々こういう言葉がありますね。動作をする方が主語になってもいいし、動作を受ける方が主語になってもいいような。。。
パッと思いつくのは、“上课”です。
辞書で調べると、この単語は「授業に出る」と「授業をする」の両方が書いてあります。
つまり、主語は先生でもいいし、学生でもいいのですね。
他在上课。
tā zài shàng kè
これは「彼は授業をしているところだ。」(つまり“他”は教師)とも取れますし、「彼は授業を受けているところだ。」(つまり“他”は学生)とも取れます。
なんか不思議ですねよ~。なんか、当事者でない第三者(先生でも学生でもない第三者)が客観的に“上课”という動作を眺めて言っているような感じに見えます。時々中国語って第三者的に物事を見ているんだなぁと思わせられます。