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小田部雄次先生に聞く②〜「側室制度が廃止された意義~「女性天皇」は新皇室典範制定時も議論された」

YouTubeチャンネル「古是三春_篠原常一郎」では、2023年8月24日に視聴者から寄せられた質問を基に「【特別配信】 小田部雄次教授 質問に答えます」( https://www.youtube.com/live/Mb4y1atEPPY?si=OMav9zSVL0xJ1YWd )をライブ配信いたしました。皇室の歴史、皇位継承の歴史的経緯と女性天皇が果たした役割、新旧皇室典範の成立や男系男子継承の限界、時代に沿った皇室のあり方、皇位継承者を始めとする皇族の資質と帝王学問題などについて、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次先生にお願いし、長年の皇室史研究の視点から検証された事実(何が検証されていないかを含めて)を踏まえて懇切な解説をいただきました。

本noteでは、全体で5部(5問)に分かれた番組内容について、小田部先生が準備のためにまとめられたメモを編集して、5回に分けて掲載いたします。上記番組も5回分に分けて「切り抜き」版も作成しましたので、回ごとに該当する動画のリンクも下に掲載しておきます。

多くの国民が期待する敬宮愛子内親王殿下が皇位継承者になること、その正当性を確認し実現への道筋はどうなるのか、考える上で5回にわたる記事は必須といえる知見を得られると思います。どうぞ、「切り抜き」動画も御覧になりながら、メモを御覧ください。

【画像① 皇太子時代の昭和天皇。昭和天皇は、父母の大正天皇夫妻の思いを引き継ぎながら、ジョージ5世戴冠式での訪英にともなう外遊で西欧の王室の状況も知り、側室制度が非近代的で「人倫にもとる」ものと痛感し、住み込み女官を通勤にするなどの改革を働きかけた。父・大正天皇に継いで自身も側室を持たないことで、事実上、天皇、皇族、華族の世界から側室を無くしていくきっかけを作った。しかし、これが男系男子継承という明治時代の旧皇室典範での皇位継承規定を継続する上での大きな矛盾ともなった】




◆第2回 「側室」廃止で不安定になったはずの男系男子継承が新皇室典範に残されたのは何故か?



(参考動画)「【切り抜き】 新『皇室典範】に男系男子継承が残ってしまったかの経緯、理由 『小田部雄次教授 特別対談』より②」2023/9/15 古是三春_篠原常一郎
https://youtu.be/JSDe9IOQfQU?si=_8PFLw1KCO87_xmc

【質問②】



歴代皇位継承の中で「嫡出」と共に「庶出」、いわゆる「側室」による子の継承が認められていたことは、皇位が途切れずに継承されるための条件と見なされていたとも思われます。

●しかし、皇位継承者について新皇室典範第6条で「嫡出」及び「嫡男系嫡出」とされ「庶出」が排除されました。これで法制上も「側室」廃止を決定的にしたと見てよいのでしょうか?

●「側室」廃止により旧皇室典範以前の皇位継承者確保の条件が著しく変わったのに、「男系男子」継承の項目が新皇室典範に残されたのは矛盾としか思えません。なぜ新皇室典範に「男系男子」継承が残ってしまったのか、経緯、理由を教えて下さい。

●大正、昭和の天皇が「側室」の仕組みを嫌い、最終的に女官制度の仕組みにまで立ち入った改革を行わせ、「側室」の根を断ったことの意義をどう見ればよいですか?
また、皇位継承者に「嫡出」と「庶出」で差別があること、また母が「正室」でないことによって生じる問題も、大正天皇夫妻が「側室」を嫌ったことにつながると考えてよいのでしょうか?


【回答】


【画像② 現状で「初の女性天皇」とされる推古天皇(在位592~628年)。判明しているだけで、女性天皇は重祚(退位後、時をおいて再度皇位に就くこと)があった2人を含む8人10代の存在が確認されている。皇位継承が「男系男子」に限られるとしたのは、天皇、皇室の歴史では明治以降だけだ】




<新皇室典範制定の国会審議でも「女性天皇」を認めるべきとの議論があった>

新典範制定時にも「女帝」論議がありました(芦部信喜・高見勝利編著『日本立法資料全集1 皇室典範』参照)。「(男系男子のみ継承は)憲法の男女平等の精神に反する」「文化国家として女性天皇は有意義である」「戦争放棄したので軍事的長として男性に限定する必要がない」などの議論がなされていたことが分かります。

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