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日本共産党の総選挙”惨敗”と見えてきた”表舞台からの消滅”の危機~元日本共産党参議院議員・党中央政策委員会責任者 筆坂秀世



【画像① 2024年10月27日夜、日本共産党中央委員会(本部)で開票速報を見ながら笑顔で会見する田村智子党委員長。票も議席も大幅に後退させながら、「我関せず」のような笑顔である。】





(編集者から) かつて本note主筆である篠原常一郎氏が公設秘書として仕えた元日本共産党参議院議員で党中央政策責任者、書記局長代行も務めた筆坂秀世さんから2024年10月総選挙での日本共産党の得票、議席の後退について、その背景を論ずる文章を寄せていただいた。筆坂さんは、2005年に日本共産党を離党し、その後、『日本共産党』(新潮新書)など数々の著作を執筆されている。この度の文章を読むと、正に同党の”断末魔”を見るような状況であるが、読者のみなさんと貴重なデータを共有するため、以下に掲載する。


◆自党の危機的状況に”無反応”な日本共産党指導部


日本共産党が先の総選挙で大敗を喫した。その結果、比例代表で80万票を失い、議席数でも10から8(比例7、小選挙区1)に後退し、改選前7だったものが28議席に躍進した国民民主党はもとより、3議席から9議席に前進したれいわ新選組に議席数でも得票数でも後れを取るという衝撃的な事態に陥った。野党の中では日本維新の会が43議席から38議席に後退したものの、議席を2割後退させた点で日本共産党にとっては「1人負け」というべき結果になったのだ。


1970年代、当時の社会党に次いで野党第2党として躍進した栄光は遠い過去のものとなったことが、現状の衆議院で第7党という惨憺たる状況によって浮き立たせられるものになった。しかし、驚くべきことに、自党のこの危機的な状況に対して党指導部はあまりに”無反応”とも言うべき態度をとっている。


選挙直後に発表された共産党中央委員会常任幹部会の声明では、選挙結果を「国民が自民党政治に代わる新しい政治を模索し、探求する、新しい政治プロセスが始まった」と評価し、「心から歓迎する」との言葉が続いた。これが惨敗を喫した政党から発せられる言葉なのだろうか?


【画像② 2024年1月18日、静岡県熱海市で開催された日本共産党大会で選出されて記者会見する党指導部。長年君臨した不破哲三氏(94)は姿を消し、志位和夫議長(69)、田村智子委員長(58)、小池晃書記局長(64)を中心とした”清新な指導体制”になったとされるが、新たに起用された山添拓政策委員長(39)などの若手を含めてもその思考は旧態依然というか、むしろ旧時代に退化していっているとしか言いようのないものであることが、この度の総選挙後退であざやかになった。】





本来、求められるのは「自民党が金権政治で大きな批判に晒されている折の総選挙でなぜ党が前進出来なかったのか」を深刻に分析し、次のたたかいに生かすための教訓を引き出すことなのだが、党指導部はまるで現実を直視せず、大敗北を「新しい政治プロセスが始まった」などと都合の良い言葉と解釈置き換えて、現実から逃避しているかのようだ。指導部が党内で危機感を共有しようとする気配が感じられないことに、かつて党指導部に席を連ねていた私ですら、深刻な衝撃を受けている。


◆野党共闘拒否と無茶な小選挙区候補者”倍増”の代償


日本共産党の敗因を考えるなら、それは多岐にわたる。最大の失策は、立憲民主党が提案した野党共闘を拒否したことだろう。日本共産党は「金権だけの共闘では駄目」と共闘を断って独自の戦略を選択。小選挙区の候補者を敢えて105名から213名に倍増させて打って出たのだが、これが裏目に出た。


【画像③ かつてNHKなどで放映される予算委員会質問で質疑に立つと「視聴率が上がった)と言われた世間で”論客”として人気を博した元日本共産党参議院議員・筆坂秀世氏(76)。】





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