”歴史の偽造”を反省せぬ日本共産党~頻発する党内人権蹂躙の影にある無反省体質~大阪・吹田事件の真相を振り返る 松崎いたる
◆また起きた”追放劇”~日本共産党福岡県委員会が”異論排除”で党職員を除籍、解雇
日本共産党で昨年起きた「党首公選制」導入を自著で唱えた党員2名の除名騒動の余波が続いている。今度は、この除名事件に「処分見直し」の異論を唱えていた党福岡県委員会の党職員(県役員からは罷免済み)が今月に入り、党除籍、解雇されたというのだ。
「党首公選制を訴えて共産党から除名された党員の処分見直しを訴えていた漫画評論家の神谷貴行氏が16日、共産から6日付で除籍されたと自身のX(旧ツイッター)に投稿した。所属する党福岡県委員会から16日付で解雇されたことも明らかにした。『いずれも到底承服できない』と主張している」
「神谷氏は流行語大賞で入賞した『ご飯論法』の発案者の1人。党首公選制を訴えて除名されたジャーナリストの松竹伸幸氏の処分見直しを県委員会内で主張。党内議論の内容をブログで公表したとして規約違反に問われていた」
「関係者によると、党側は除籍理由として規約違反と党への誹謗(ひぼう)中傷を挙げたという。一方、神谷氏は『除籍と解雇について反論する場を与えられなかった。司法の場で争いたい』と述べているという」
(参考)「『共産党から除籍された』 漫画評論家の神谷貴行氏が投稿 他の党員処分見直しを主張」2024/8/16 産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/e07e2e7fd69dd47b9a85db3a425f537efe35234b
実は日本共産党はもとより、ソ連共産党、中国共産党などコミンテルン由来の共産党の歴史を振り返ると、常に頭角を表しそうな党員の追放、粛清事件が無数に積み重ねられていることが確認できる。その背景に常にあるのが、「党指導部は常に正しい」とする”無謬主義”と歴史に対する無反省だ。
よく日本共産党や党に批判的ながらも好意的な人たちがよく主張する内容に、「日本共産党が破壊活動防止法の基づき公安調査庁などから要監視対象とされるのは不当だ」「議会を通じた平和的な変革を基本路線とする日本共産党に破壊活動防止法など今後、適用されるはずもない」というものがある。しかし、1950年代にソ連、中国の共産党を実質的な指導部とするコミンフォルム(国際共産党・労働党情報局、1943年に解散されたコミンテルンの実質後継組織で1947年10月結成)を通じた”指導”により、日本共産党は朝鮮戦争(1950~53年)における戦線後方かく乱の役割を果たすために武力闘争路線に転換し、白鳥事件(52年)、吹田事件(同)などテロ殺人や騒乱事件を党の指導下に引き起こしている。
これらについて、日本共産党は「50年問題」と称して結論的には「外国の干渉に応じて一方的に党を分裂させた片方の側の”指導部”が引き起こした問題で、現在の党指導部に連なる党の正当な流れには関わりがない」などと主張している。これは全く事実ではないことを、筆者(篠原常一郎)は党中央委員会に在籍している時、当時活動していた幹部からの聞き取りや党資料室の資料を読んで確信するに至っていた。
党の古手(1950年代に活動した経験を持つ)幹部によれば、ソ連や中国により忠誠度が高く最終的には北京に亡命を余儀なくされた徳田球一書記長や野坂参三氏らのグループも、これらに排除された宮本顕治氏に率いられたグループ(これが現在の党指導部の系譜に連なる最初の部分)も、米軍や当時の政府に対する非合法闘争やサボタージュ、更には武力的闘争なども変わらずに展開していたということだった。「党が平和闘争に転換するという方向をほぼ決めた第6回全国協議会(56年)の後、山中に拳銃などの武器を埋めに行ったよ」と筆者へあけすけに語ってくれた幹部(1990年頃、当時、党東京都委員会書記長)もいた。
そして、こうした路線転換の中で、党指導の誤りの責任をまるで”梯子を外す」かのように押し付けられ、党を追放されてしまった人もかなりの数にのぼる。要するに歴史的な誤りの現実を党として認めることはなく、なるべく都合よく歴史上の出来事を説明できる理屈を作り、そこからはみ出すような行動(恐らく党指導部に対して最も忠誠度が高かったということでもある)をした党員を追い出して辻褄を合わせる、という体質をこの時以来、日本共産党は染みつかせたのである(それ以前の事件についても、そうなのであるが)。
基本的に、「党の正当性」「無謬性」を優先して、そのためならば党員など犠牲にしても省みないという体質が、外に向けては「人権尊重」などと叫びながら党内では人権蹂躙の党外追放(再就職などかなり困難な党職員にとっては、生活の術を剥奪するに等しい)を横行させているのだ。だから、いま日本共産党を「まともにしたい」と叫ぶ人たちは党員であろうと、そうでなかろうとまず、党が辿ってきた歴史の暗部をしっかり見直してみることが必要なのではないか、とも考えている。
そうした折、飛鳥新社から『日本共産党
暗黒の百年』を出していた元日本共産党板橋区議会議員で党出版局勤務員だった松崎いたるさんが1952年に日本共産党の指導下で大阪・吹田市で引き起こされた騒乱事件の問題について、論考を寄せていただいたので、掲載したいと思う。
以下、松崎氏の論考「日本共産党による歴史の偽造~吹田事件の真相とは」をお示しする。
◆日本共産党による歴史の偽造~吹田事件の真相とは/松崎いたる
大阪・吹田市議会で今年、ある「論争」が発生した。これはローカルな地方問題に止まらず、日本社会の戦後史にかかわる問題でもあるので、多くの読者に知ってもらいたい。
発端は、2月2日の同議会で自民党の藤木栄亮市議が「吹田事件」を取り上げたことからはじまった。
<吹田事件は”弾圧事件”なのか?~図書館ホームページの表現に対して疑問>
藤木市議は、吹田市立図書館ホームページが「吹田事件とは、1952年朝鮮戦争反対のデモ行進に対する弾圧事件」と紹介していることを示し、「弾圧事件と一言で紹介しておりますが、このような表現は、現在行われているような平和的なデモを警察が一方的に弾圧したとの誤解を招く表現ではないでしょうか」と質問した。
この質問に、市立図書館の管理責任者である地域教育部長は「当時のデモ行進で武力衝突があったことなど、当該事件の状況が正しく伝わるよう、記事の内容を訂正するなど適切に対応いたします」と答弁している。
この藤木市議の質問と地域教育部長の答弁に日本共産党が反発し、「自民党議員が吹田事件に関し、図書館の方針や教育に介入。吹田市がそれに従った」と主張。その後、5月18日には「吹田事件の真相を語り、行政を議会に是正を求める市民集会」が開かれている。
<「吹田騒乱事件」と呼ばれた1952年6月25日の事件の実相~警察、米軍を竹槍、投石、火炎びん、硫酸びんなどで襲撃>
吹田事件とは、吹田騒擾事件、あるいは吹田騒乱事件とも呼ばれている。事件の概要は次の通りだ。
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