【今こそ素数さんを知る!❶】
阪大でちょっとした有名人の素数さん。
でも素数さんとはいったい何者なのか?
世界で一番詳しい素数さん記事をお届けします。
【今こそ素数さんを知る】第1回
素数さんの学生時代
―――もともと数学が大好きだったんですか?
もともと好き、というわけではないんです。
僕がどんな人かというと、小学生の時は縄跳びが好きで、あとピアノを習っていて音楽が好きでした。
中学校の時はお父さんを見ていた影響で「男はスポーツをするのが当然だろう」と思い込んでいたので、とりあえずスポーツをすべきだと思ってバスケ部に入り、部活に打ち 込んでいました。
僕はここらへん(阪大の周り)が地元で、今はもう廃止されていますが、僕が高校生の時は学区制でした。
当時はこの辺り、第一学区の大雑把なランクが、一位は北野高校、二 位は豊中高校、三位が池田高校という感じ。
僕は池田高校に行けるかな、くらいの点数を取る程度には勉強していたけど勉強好きではなく、基本的にはバスケに打ち込んでいたんですよね。
意外と思うかもしれませんが、中学二年生の時は数学だけ点数が良くなかったんです。
数学は他の科目と は全然違ってその場で考えないといけないから、連立方程式の文章題とか全然解けなくて。
社会とか理科だったら暗記すればいいじゃないですか。英語もまあ、そうですよね。国語も中学の時は習った範囲を覚えればいいだけでしたからね。
そして、中二の時はパソコンのweb上のゲームにハマっていました。
そしたら、ある時からゲームそのものよりゲームを作る方に興味が出てきて、将来の夢はゲームプログラマーだったんですよ。
図書館に行って、職業別の「なるには本」 でどうやったらゲームプログラマーになれるのか調べてみたら「数学を勉強する必要があります」と書いてあって、そこで危機感を持ったんです(笑)。
3年生になると受験を意識するようになり、このままの点数ではまずいということで、地元の数学専門塾に行くようになります。
その時の僕はマジメで、「受験生は勉強しないといけない」ってホントに思い込んでいました。
後々、サボるということが人間には可能であることを学んだので、勉強しないといけない状況でも勉強しないようになっていくんですが(笑)、中三の僕はマジメに勉強したんですよ。
この塾が数学との最初の決定的な出会いで、なぜかというと、この塾には非常に良い制度があったんです。帰宅問題というのがあって、これを解かないと帰れないわけです。
A問題とB問題に分かれていて、Bは標準的な問題を5題から10題。でもAは難問が一題だけ。
中学生的には、これを一番に解き終えて最初に颯爽と帰るのがカッコ良かったんです。 今からすれば、別になんもカッコ良くないんだけど(笑)。
だけどその時は数学が苦手だったので、一番に帰るのは難しかったわけです。大教大付属池田というレベルの高い学校の生徒も来ていて、どうやらその学校でトップレベルというわけではないけれど、それでも普通の公立中学の僕から見たらかなり頭がよくて、勝てませんでした。
でもそれが悔しくて頑張っていたら、時々勝てるようになっていったんです。
最初に帰れるか帰れないかっていう勝負が楽しくて、どんどん数学が楽しくなっていきました。
そしたら、ゲームプログラマーの夢はいつの間にか忘れていたんです。
「ゲーム作るよりも数学の方が面白いやんけ」と感じて、「もし仮に数学をして食べていける職業が存在するんだったら、それになりたい」って漠然と思うくらいに数学が好きになりました。
第2回へ続く
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